井泉水は言う。
心と言葉、内容と表現との関係はまことに微妙なもので、いかに好き言葉を選ぼうとしたところで、心がそこに達してゐなければ其に応じたる言葉を捜りだすことは出来ない
芭蕉の句を例に、
芭蕉は最上川を舟で下らうとして、其発船所である大石田といふところに泊まってゐた。五月雨の時分で日和が定まらなかった。芭蕉は一榮といふ同行者の家を宿としてゐたが、毎日、もう天気もいい加減に上がってくれればいいのに・・・と空具合を眺めてゐた。
その地で句会があった。その席に芭蕉が出した句は、「雪丸げ」といふ本にでてゐる。その句は、
五月雨をあつめてすずし最上川
といふものであった。
さて、日和も漸く定まったらしいので、芭蕉は川舟に乗った。川はまだ減水してゐない。日本三急流といはれる最上川が増水の勢いを得て、とうとうと奔馬のやうに猛るのである。舟は小さし、軽し、水は強し、すさまじ。芭蕉は幾度かスリルを感じたことだろう。これは危ないぞとおじけづけば、そこに句の生まれる余地はない。自分の身そのものが舟になって急流に乗る、といふ心地になれば、川の水と自分とが一枚のものとなる。そこに句がうまれるのだ。奥の細道を読むとこの気持ちが解る。
五月雨をあつめて早し最上川
ただ、「すずし」が「はやし」に改まっただけである。しかし、この僅かな差ともみえるところの二文字が、其實は雲泥の差なのである。「はやし」といふ言葉は、如何にしても、大石田に於いては探り得なかったものなので、これは、芭蕉自身がその急流に身を乗せて、危ないと思われるほどに緊張したる体験をなしたる後にして初めて手にすることが出来た言葉なのである。
絵を描くにも「現場主義」という言葉がある。現場で見て触り、五感を働かすことで感情豊な作品に結びつく可能性があるということだろう。

「水に誘われて」 2008年4月
この絵は、大分県竹田市を目指してスケッチドライブの途中、緒方川の土手を走らせていると、平らな岩盤を緩やかなに流れる川が突然なくなって、滝を作っている風景にであった。豊後大野市・緒方川の「原尻の滝」であることを後で知った。平らな岩盤を流れる水に足を漬けると、くるぶしから膝の深さ。そろりそろりと滝に近づくと滝つぼに吸い込まれそうであった。そのときの気持ちがこんな構図を作らせた。
心と言葉、内容と表現との関係はまことに微妙なもので、いかに好き言葉を選ぼうとしたところで、心がそこに達してゐなければ其に応じたる言葉を捜りだすことは出来ない
芭蕉の句を例に、
芭蕉は最上川を舟で下らうとして、其発船所である大石田といふところに泊まってゐた。五月雨の時分で日和が定まらなかった。芭蕉は一榮といふ同行者の家を宿としてゐたが、毎日、もう天気もいい加減に上がってくれればいいのに・・・と空具合を眺めてゐた。
その地で句会があった。その席に芭蕉が出した句は、「雪丸げ」といふ本にでてゐる。その句は、
五月雨をあつめてすずし最上川
といふものであった。
さて、日和も漸く定まったらしいので、芭蕉は川舟に乗った。川はまだ減水してゐない。日本三急流といはれる最上川が増水の勢いを得て、とうとうと奔馬のやうに猛るのである。舟は小さし、軽し、水は強し、すさまじ。芭蕉は幾度かスリルを感じたことだろう。これは危ないぞとおじけづけば、そこに句の生まれる余地はない。自分の身そのものが舟になって急流に乗る、といふ心地になれば、川の水と自分とが一枚のものとなる。そこに句がうまれるのだ。奥の細道を読むとこの気持ちが解る。
五月雨をあつめて早し最上川
ただ、「すずし」が「はやし」に改まっただけである。しかし、この僅かな差ともみえるところの二文字が、其實は雲泥の差なのである。「はやし」といふ言葉は、如何にしても、大石田に於いては探り得なかったものなので、これは、芭蕉自身がその急流に身を乗せて、危ないと思われるほどに緊張したる体験をなしたる後にして初めて手にすることが出来た言葉なのである。
絵を描くにも「現場主義」という言葉がある。現場で見て触り、五感を働かすことで感情豊な作品に結びつく可能性があるということだろう。

「水に誘われて」 2008年4月
この絵は、大分県竹田市を目指してスケッチドライブの途中、緒方川の土手を走らせていると、平らな岩盤を緩やかなに流れる川が突然なくなって、滝を作っている風景にであった。豊後大野市・緒方川の「原尻の滝」であることを後で知った。平らな岩盤を流れる水に足を漬けると、くるぶしから膝の深さ。そろりそろりと滝に近づくと滝つぼに吸い込まれそうであった。そのときの気持ちがこんな構図を作らせた。