小倉織研究の工房を訪問して、400年前に生まれた小倉織・綿織物を復元・展開する研究の一端に触れる機会を得た。丁度、藍染めの時季で、きれいなグラデーションで藍が染められた糸を見るだけでも、その風合いや色調の美しさに心惹かれた。絵を描く私は、いつのまにか画用紙の上で広がる染料を想像して、実際にそんなことをしてみたい衝動に駆られた。
画用紙も綿でできているではないか、だったら染まるのでは?、その前に染まるって何?、化学反応なんだ、だったら何と何が反応するの?。 思いはどんどん奥へ進んで行って、とにかく、画用紙を“すくも藍”にディップしてみて染まるかどうかやってみよう。その結果は、染まることは染まるのだが、画用紙のエッジだけにしか染まらなかった。これは何かが染色剤と触れることを邪魔しているぞ!ドーサーか?それとも綿を紙にするときの糊かな、紙の製造工程を理解しておかないと前に進めないな。エッジだけが染まるという事は、ドーサーだな!ドーサーを用いていない水彩画用紙ってあるのだろうか。分からないことだらけで、ひとまず、画用紙を染めることは棚上げにしておこう。
その気で用意した水張りの20号画用紙が遊んでいるので、工房からいただいた“藍すくも”を画用紙の上に垂らしてみた。広がっていく“藍すくも”の色のきれいなこと。その色はVandyke Brown。一日2点、三日で6点の画面ができた。それぞれバラエティーに富んだ“ウォッシュ”の画面となった。丁度、岡垣アート・フェスティバルの会期が近づいていたので、思い切ってこれを作品として出品することにした。
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「滲」M20号、2017.9作
描いているときは、ごく自然に脳裏からすべての具象が消え去っており、水に運ばれる絵の具の拡散や、津波のように絵の具が移動する様ばかりを感じていた。筆を用いないことを掟として、絵の具を垂らし、被せ、傾けて、滲みわたる美しい色面づくりを意識した。形が消えた。初めての抽象作品となった。果たして抽象画といえるのかどうか心配しながら、ギャラリー・トークに臨んだ。予想以上に先生方から「変わったね」と感想が寄せられ、制作方法について質問も集まった。今後このテーマが私の作品として展開するのが楽しみだとまで言って下さったのは、そんなに時間が残っていない私にとっては、慌てなくてはいけないが、大いなる励みである。