ボランタリー画廊   副題「げってん」・「ギャラリーNON] 

「げってん」はある画廊オーナとその画廊を往来した作家達のノンフィクション。「ギャラリーNON]は絵画を通して想いを発信。

ギャラリーNON(50) 壊滅(その1)

2011年04月30日 | 随筆
  東日本大震災に見舞われて1.5ヶ月、未だ原発事故の沈静化見通しのつかない、むしろ大惨事が迫っているような恐怖の事態にどうしても何か言わずにいられない。今回ばかりはアートから外れた話になりそうである。 

 リスクマネージメントという言葉を深く考えることになったのは、退職の7年前だった。国際標準の企業マネージメントシステムの仕事に携わるようになったからだ。この仕事をするようになって初めて会社の仕事の進め方が次々と分かるようになった。ようやく全体が分かったなと思ったら退職の時間が来た。恥ずかしい話だが、会社の仕事を知らずに会社生活して来たことになる。
 マネジメントシステムの一側面にリスクマネジメントがある。リスクに遭遇したときの被害の大きさと、リスクに遭遇しても被害を最小にする投資とを天秤にかけて有利になるところの手当てするといった合理的な考え方に基づいている。日本人は被害を最小にするために投資をせずによく言って聞かせることで危険を回避しようとするのである。

 私は46年前(1965年)に車の運転免許を取った。25歳だった。免許証を貰うため警察署の講堂へ行った。免許証は受付けの係官からすぐ貰えるのかと思っていたら席に着くように言われ、署長から一時間近くの訓話があった。
 「今日から皆さんはめでたく車を運転することができる。だが、皆さんは“交通戦争”という言葉をご存知か。これは1960年ごろから言われ始めた言葉で、交通事故で死亡する人の数が日露戦争の戦死者数(55000人超)を超える事態になっているからです。」
私はハッとした。ならば、なぜ、私達に運転免許を与えるのだろうと思ったのだ。若い私には何の答えも引き出すことができず、車を運転できる喜びが疑問を掻き消した。
 統計によると、交通事故死は1970年がピークで17000人/年、1988年が10000人/年、2009年で5000人/年と減ってきているのだが、毎年7000人が50年間死ぬとすると35万人が死んだことになり、日露戦争の死者数どころではない。不思議なことにこの交通戦争の責任はいつの間にか個々の事故の加害者としている。人と車を分離する位の投資をすれば死者数は激減するのだが、道路交通法を厳しくして、例えば一旦停車の場所で車輪が完全停止しなかったら1万円くらいの罰金に処すようにしてよく言って聞かせるようにしている。まるめて言ってみれば、交通事故の死傷者の犠牲のもとに輸送産業を活性化させてきたのである。人と列車を分離している新幹線のように人と車両を分離する交通手段にすれば、か弱い人間がトラックに跳ね上げられることは無くなる。交通戦争がいつのまにか自己(事故)責任となっているのは洒落にならない。
 
 前述のリスクマネジメントシステムは、製品を信頼して買って貰うためにユーザーから開示を求められる。製品の良否だけでは売買の契約は成立しない。製品を製造販売する会社全体の仕事の進め方まで開示し、評価されてのち成立するのだ。
 事業展開を図る過程で、アメリカのビッグなエレクトロニクス会社にアプローチする場面となった。その会社から膨大な調査資料が送りつけられた。言ってみればちゃんとした会社かどうかの調査である。調査項目の一つに、「もし、貴工場が地震に見舞われ、壊滅したらどう対処しますか?」 というのがあった。私は、全国の活断層マップを手に入れ、九州北部の活断層を示して、工場は大地震の可能性は極めて小さいという回答をした。そうしたら、「あなたは質問に応えていない。」といって全く信頼されないどころか、あきれた会社だと思われたようだった。(誤解を招かないように付け加えるが、その後リカバリーされた) そのビッグな会社は世界を股に架けており、もし一部の材料の調達ができなくなると世界中に甚大な損害を与えるので、工場が壊滅したときの第二工場をどこに準備し、どのような手順で継続的に材料供給するのかを答えなければならなかった。日本は地震列島なのだから、日本以外での第二工場を示唆しているのだった。