私は今までふと目にとまったものを描いてきた。
そんな私に
「あなたは何をテーマに描いているのですか」とか、
「あなたはどんなものを描いているのですか」と聞かれることがある。
その度に、テーマがなければ描いてはいけないのか、人物か静物か風景かに専念する絵描きでなければいけないのかと拗ねて不機嫌になっていた。
そもそもテーマって何だろう。
一点毎の絵に添えてある画題のことか、それとも、展覧会の題名のことか。
一点毎の画題は一点毎に異なるし、今、九州国立博物館で行われている展覧会の例では、「若冲と江戸絵画」、英語では「JKUCHU and The Age of Imagination」と表記してある。これは展覧会の企画者たちがキャッチコピーのような意識で付けたもので、先の質問の答えに当たるものではなさそうである。もっと作者の奥底にある強い意識のことではないだろうか。
私が初めて絵の前で立ちすくんだ作品は、香月泰男の捕虜の群れを描いた絵であった。私はその絵を見て、大阪大空襲で焼け出され、家族全員ぼろぼろで島根の母の実家へ落ちていく光景を思い起こした。5歳の私は、ずっと母に抱かれて満員列車にいたのだ。
香月泰男のそれは、単純化した構図に濁った白色の中に黒い塊が描かれ、その塊がなんであるかが自然に目の奥で理解できるのである。香月泰男の命の瀬戸際体験と私の体験では大きく比重が異なるが、共通しているのは生きるということ。香月泰男のシベリアシリーズのテーマは「戦争の悲惨・無意味を訴えること」であろう。
こんなふうに考えていくと私にはそんな大それたテーマなどありえない。
ふと目にとまるもの、それは一体なんだろう。NHKの「美の壷」のテーマのように、こんなものは美しいと思いませんかと私なりの美感覚を提示しているのかも知れない。私は当分これで行きます。私にはテーマが見付からない。