ボランタリー画廊   副題「げってん」・「ギャラリーNON] 

「げってん」はある画廊オーナとその画廊を往来した作家達のノンフィクション。「ギャラリーNON]は絵画を通して想いを発信。

ギャラリーNON(65) 福岡現代美術クロニクル展・1

2013年02月19日 | 随筆
 クロニクルとは年代記のこと。この展覧会は1970年から2000年までを70年代、80年代、90年代、2000年代 に分けて現代美術の動向を示そうとする展覧会である。私は現代美術については無知なので観て分るわけはないのだが、この際、何かを得てやろうと考えて福岡市の二つの美術館へ向った。
 新聞にはめずらしく学芸委員が展覧会の解説を連載し始めているが、そのタイトルは「個と状況」ということでなんだか難しそうである。文章を読み始めると、美術集団の「九州派」、「反中央」「反芸術」を掲げる前衛美術集団、「外からの個」、インスタレーション、「場」で体験、アジアの作家も参加する強力な「磁場」、・・・分りにくい言葉が繋がっている。私の最も分かりたいと思う点は、分りにくい解説用語が私の言葉にならないかといことだ。その道の専門家が同じ専門家仲間に語る場合はどんどん専門用語をつかってよいのだが、一般の人に語るにはまるで子供に話しかけるように本質に近づいた言葉でなければならない。私のような素人がそんな言葉を見つけることができるだろうか。

 1970年代は、1965年ごろまで活発であった前衛美術集団は休止し、新たな美術集団が活動を始めた年代に当たるのだそうだ。
 北九州市立美術館が開設したのは1974年、福岡市立美術館の開設は1979年。このような公立の大型ギャラリーが開設するには、その前に必ず発表の場を求める熱情を発信する時代がある筈で、70年前半は「グループ玄」「TR同」、70年後半は「WORK PARTY STUDIO」「ゾディアック」「銅版画教室(後にIAFと改称)」といった美術集団がその発信集団として挙げられている。さて、どんな人がどんな方法で何をどんな目的でなぜ発信したのだろうか。

 まずこの展覧会は1970年からだが、その前のことも知りたいと思って、インターネット情報で「九州派」を探してみるとウイキペディアでちゃんと出てきた。
 1956年に福岡県庁西側大通りの壁面(300m)を使った「ペルソナ展」を行った、桜井孝身、オチ・オサム、働正、菊畑茂久馬の4人が翌年福岡市に結成すした芸術集団とある。1959年の「全九州アンデパンダン展」では、公募団体から200人の芸術家が九州派になだれ込みピークを迎える。その後中央との出入りを繰り返して1962年解散する。
 時間の流れは分るが、活動の中身は抽象的で、“三池闘争と朝鮮戦争に刺激を受けて、ある種の熱気を持った九州生まれのグループが、労働戦線の人間と彼らをとりまく文学者と多くの交流を持ち、その枠組みの中で「反東京」「反芸術」を含む芸術論や表現論を生活原理の上で査証しようと試みたグループ”とのコメントされている。
 
 やはり平易な言葉に翻訳するなんて至難の業だ。芸術活動は哲学的なものかも知れない。