後藤愛彦(その2)を投稿し終わったとき、日本に明るいニュースが入ってきた。スエーデン王立アカデミーはノーベル化学賞に鈴木 章(北海道大学名誉教授80歳)と根岸英一(米パデュー大学特別教授75歳)とリチャード・ヘック(デラウエア大学名誉教授79歳)の3氏に授与すると発表したのだ。その研究内容は炭素と炭素を結合させる触媒反応。筆者の現役時代は効率よく炭素と炭素を触媒反応で切り離す(分解)仕事を生業としてきただけに、同じ頃、逆の結合させる研究をしておられたのだと思うと親近感さえ覚える。
鈴木博士の受賞の感想スピーチがいい。
「資源のない日本は、人と人との努力によって生み出す知識でしか生きていけない」
蓮舫さんの「なぜ一番でなければならないのですか」という質問に、このスピーチは本質的な回答をしていると思い、胸を熱くした。
資源の乏しい日本のことを考えた後藤画伯の辿り着いていた思いもこれと同じではなかろうか。
後藤愛彦画伯は86歳(1991年)で人生を終えられた。制作のホームグランドとなっていた北九州八幡東区には、多数の遺作が保管されているが、没後19年経った今も静かに眠っている。その中から、ご子息の許しを得て、1950年代、60年代、70年代、80年代の人物画を選って10点の作品をマルミツ画廊に預からせていただいた。今一度、後藤画伯の言われたことを噛み締めてみたいと思ったからだ。「人と人との努力で生み出す知識で生きるしかない日本」といった鈴木博士、「日本の資源は人間しかない」と言った後藤画伯。捨てたものではない日本を感じる。
鈴木博士の受賞の感想スピーチがいい。
「資源のない日本は、人と人との努力によって生み出す知識でしか生きていけない」
蓮舫さんの「なぜ一番でなければならないのですか」という質問に、このスピーチは本質的な回答をしていると思い、胸を熱くした。
資源の乏しい日本のことを考えた後藤画伯の辿り着いていた思いもこれと同じではなかろうか。
後藤愛彦画伯は86歳(1991年)で人生を終えられた。制作のホームグランドとなっていた北九州八幡東区には、多数の遺作が保管されているが、没後19年経った今も静かに眠っている。その中から、ご子息の許しを得て、1950年代、60年代、70年代、80年代の人物画を選って10点の作品をマルミツ画廊に預からせていただいた。今一度、後藤画伯の言われたことを噛み締めてみたいと思ったからだ。「人と人との努力で生み出す知識で生きるしかない日本」といった鈴木博士、「日本の資源は人間しかない」と言った後藤画伯。捨てたものではない日本を感じる。