ボランタリー画廊   副題「げってん」・「ギャラリーNON] 

「げってん」はある画廊オーナとその画廊を往来した作家達のノンフィクション。「ギャラリーNON]は絵画を通して想いを発信。

ギャラリーNON(61) 2012個展・若松の海岸

2012年11月28日 | 随筆
 4章は「若松の海岸」とした。

4)若松の海岸
 若松は半島です。北西部は自然のままの美しい海岸で、北東部と南西部は浚渫や鉱滓などで埋め拡がった海岸です。残る南東部は石炭積み出し港で栄えた名残りのある海岸です。
 若松の今昔を色々な形で残して行く人々がいますが、私は若松の海岸の絵を描くことで、密かに彼らの末席を汚したいと思っています。



「漁場へ」 M50

 この絵を描いている私の立ち位置は、背に遠見ヶ鼻の灯台、前方は芦屋の海を見ています。左手は三里松原、右手の外れは波津の港、正面の峠を越えれば岡垣です。陽が傾き始めイカ釣り船が漁場へ出て行くところです。


「安屋海岸」 M50

 若松半島の北西部海岸は自然が残っていることは前にも記述しましたが、その海岸の東側の始まりがこの安屋海岸です。前掲の「漁場へ」は西側の終わりの海岸です。
 現世は開発をの望む人と望まない人に分かれますが、私は後者です。開発をしたらその時は便利ですが、ハードの部分はやがて朽ちて自然に返ろうとするとき、開発をしたエネルギーと同じエネルギーが要ると考えているからです。私の信じる言葉は「エネルギー保存の法則」。核反応の世界では異論もあるらしいけれども、凡人にはこれで充分信じるに値する。このところ原子力に魅せられて便利さを謳歌したが、日本列島の東北部の海底に溜まったストレスを取り払う自然力が働いたことで、地上の人間達は便利さを謳歌した膨大な代償エネルギーを今から費やしていかなければならないのだと思います。


[涼月のこと」 太子

 若松の海岸には、こんな風景もあります。当ブログのギャラリーNON43,44 に登場したあの涼月の悲惨な話を思い出してください。
あのとき、この現場を訪れて話して下さった話は会衆の胸に刺さりました。

ギャラリーNON(60) 2012個展・蓮池の連作

2012年11月23日 | 随筆
 3章は「蓮池の連作」です。

3)蓮池の連作
 少し前から、移ろう季節のモチーフとして蓮池を描き始めました。今回は描き溜まった6点を並べてみます。
 こうしてみると、まだ描いていない一年の後半は描かなくてはと思います。それに、蓮池と言えども蓮以外の色々な植物が生息していることに目が移るし、水面下の様子も気になり始めました。まだまだ描いていくことになりそうです。



「睦月」 M50


「文月」 M50
 
 蓮池の年中の変化を描いていくということに捉われるようになったのはなぜだろうと自問してみるが即答できない。
 今までの私は、身の回りや、日常生活の活動範囲で目に留まったもの、少し遠征をして、日常にないものを見て惹かれたものを描いてきている。しかし、蓮池の場合は同じところに何度も足を運んでおり、今までの私の行動パターンとは違う。植物学者でもないし、生態をつぶさに観察している者でもない。ただ水面に見せている蓮の姿態を描いているに過ぎない。ただ、こうして半年分を絵にしてみると、私は蓮の生き様を見ているのではないかと思い始めた。結局、「目に留まる」、「心惹かれる」という視点から、「見詰める」という視点が加わったような気がする。


ギャラリーNON(59) 2012個展・ギャラリー「椿」界隈

2012年11月19日 | 随筆
 次の章は、ギャラリー「椿」界隈とした。

2)ギャラリー「椿」界隈
 作品発表のホームグランドとしていました若松の「マルミツ画廊」が閉廊して寂しい思いをしておりましたが、昨年ここ「椿」に出会い、今年もお世話になっています。
 町の雰囲気にも馴染みたいと思って、画廊界隈をスケッチ散策しました。花などのスケッチも一緒に並べます。


「架け橋の詩」の像 金鶏町交差点にて

「金鶏町交差点にこんなのあったっけ」とつぶやく人が多かった。等身台の彫刻だけど目に留まらない。文化の香る町にするのであれば作品を鑑賞する環境を考えて欲しいと思う。作家さんの名前も分らない。


「枳殻」 下到津にて

到津八幡神社に程近いところに中低木で囲まれた広い屋敷があり、門までのアプローチの生垣に枳殻(カラタチ)の枝が張り出していた。この実は柚子(ユズ)に似ているが食べられるのだろうか。棘は丈夫そうだ。


「皿倉の見える通り」 筑紫女子短大前「にて

真直ぐな通りの真正面に皿倉山が見える。皿倉山の頂上からの眺めは360度見渡せるので、皿倉山はどこからでも見上げることができる。しかし真直ぐな通りの消失点に皿倉山が鎮座する景色はそうはないだろう。


「通学路」  丘の上の九州歯科大からの帰り道 

ギャラリー「椿」は国道3号線を挟んで真向かいにある。車の通りは多いが人通りは少ない。ビル風が強い。九州歯科大は新しい建物で、病院の建物も付属している。ぐるりを散策していると学生が次々と長い坂道を登っていく。まるで田舎道である。誘われるように私も登って行った。すると古い校舎や体育館、グラウンドのある丘の上に来ていた。帰り道をスケッチした。

ギャラリーNON(58) 2012個展・旧作品

2012年11月12日 | 随筆
 これでよしと思える作品ができたら発表するのが個展だとすると、私なんぞはいつまで経っても個展が開けない。先に画廊を予約して、その期日になんとか間に合わせるのが常になってしまっている。 しかしそんな中でも意欲的な展覧会にするために4ツの区分で展示することを試みた。
 2012年11月5日~11日 ギャラリー「椿」
 4ツの章とは、1)旧作品 2)ギャラリー「椿」界隈 3)蓮池の連作 4)若松の海岸 である。

1)旧作品 
 若松在住の99歳になるMさんのお手許にある私の旧作品(1999~2004年)を並べます。Mさんは私の個展にはいつも早々に足を運んで下さり、帰り際にそっと言って下さる感想は、私が作品に込めた思いの伝わりを感じました。今にしてみれば、それこそが絵を続けられた理由だと言い切れます。感謝しています。
 2004年の感想は「少し頑固になりましたね」と。





 「頑固になった」とはどう言うことだろうか。
 この作品は9年前の「小雨」と題した8Fの作品。若松の渡し場近くにある石炭積出港として栄えていた頃の名残りの建物、旧古川鉱業ビル。
 2回目のスケッチの時に雨が降り始めた。スケッチブックをたたんで帰ろうとしたとき、フッと「雨もいいのでは」と思ったが傘もなくたたむしかなかった。
少し離れたところに駐車していた車に乗って再びスケッチの場所に来た。車の中から見つめていると、ビルのレンガ壁が濡れていい色になり、アスファルトは光り始めた。写真を撮って家に帰り、描き始めたところで何かもの足りなくなって筆が止まった。スーッと人物を配したくなって描き入れた。画面は良くなった。少し生意気になって嘘をつけるようになった。この生意気さを「頑固」といってくださったのではなかろうか。