1981年9月、平田逸治さんの三賞受賞記念展(北九州ビエンナーレ展大賞、日本国際美術展群馬県立美術館賞、北九州市民文化賞)がマルミツ画廊と画廊リブで行われました。
まず、読売新聞に掲載された取材記事を紹介します。
何でもないようなところに独自の世界を見出した平田逸治の作品は、創作を目指す人にとって「一番ふさわしい表現は、最も身近なところに隠されている」ということを教えてくれている。
この人は石炭の二次製品をつくる新日鐵化学の社員で、もっはら機械の修理を仕事としている。このため、パイプ、バルブ、コンプレッサー、計器、ロボットなどが必ず画面に登場し、それらの多くは擬人化したように構成されている。・・・中略・・・だれもやらないこの手法を編み出してから「機械文明に浸された現代人の虚無をとらえたユニークな表現」と一応認められるに至るまで六、七年かかっている。辛抱強いというより、せっかちに成果を求めず、ごく自然に身の回りの機械の世界を追求し続けた、地道な非職業画家のいい面がもたらしたといってよい。
だれもやらないこの手法とは、一体どんな手法なのでしょうか。同読売新聞では次のように書かれています。
手法は広義にいうモノクロームの版画の一種で「転写デッサン」と呼ばれる独特のもの。発想のもとは日頃接する機会の設計図の表現らしいが、まずトレーシングペーパーに克明に鉛筆で描き上げて原画をつくる。その後はそれをマイクロフィルムで撮影し、さらに別のフィルムを使って焼き付けて仕上げ、最後は最初の手描き・原画にある人間の情念的なものの痕跡をそぎ落とした風にして見せている。
と説明されています。しかし、私にはよく分からないのです。そう思っているところに平田さんから展覧会の案内状が送られてきました。小倉井筒屋の画廊で、「今度技法の幅を広げた作品を展示します」とあります。できたらお会いして、分からないところを分かるように教えていただこうと思っています。
まず、読売新聞に掲載された取材記事を紹介します。
何でもないようなところに独自の世界を見出した平田逸治の作品は、創作を目指す人にとって「一番ふさわしい表現は、最も身近なところに隠されている」ということを教えてくれている。
この人は石炭の二次製品をつくる新日鐵化学の社員で、もっはら機械の修理を仕事としている。このため、パイプ、バルブ、コンプレッサー、計器、ロボットなどが必ず画面に登場し、それらの多くは擬人化したように構成されている。・・・中略・・・だれもやらないこの手法を編み出してから「機械文明に浸された現代人の虚無をとらえたユニークな表現」と一応認められるに至るまで六、七年かかっている。辛抱強いというより、せっかちに成果を求めず、ごく自然に身の回りの機械の世界を追求し続けた、地道な非職業画家のいい面がもたらしたといってよい。
だれもやらないこの手法とは、一体どんな手法なのでしょうか。同読売新聞では次のように書かれています。
手法は広義にいうモノクロームの版画の一種で「転写デッサン」と呼ばれる独特のもの。発想のもとは日頃接する機会の設計図の表現らしいが、まずトレーシングペーパーに克明に鉛筆で描き上げて原画をつくる。その後はそれをマイクロフィルムで撮影し、さらに別のフィルムを使って焼き付けて仕上げ、最後は最初の手描き・原画にある人間の情念的なものの痕跡をそぎ落とした風にして見せている。
と説明されています。しかし、私にはよく分からないのです。そう思っているところに平田さんから展覧会の案内状が送られてきました。小倉井筒屋の画廊で、「今度技法の幅を広げた作品を展示します」とあります。できたらお会いして、分からないところを分かるように教えていただこうと思っています。