涼月(すずつき)、冬月(ふゆつき)、そして柳(やなぎ)。風流な響きのする言葉である。
会場の前席にはお二人の老人が座っておられ、私達会衆に向って話し始めた。
「20年4月、戦艦大和が出撃することは、その2週間前に聞かされた。」
「私の任務は11隻の護衛船のなかの1隻、駆逐艦・涼月の機関部につくことだった」
「涼月は艦の真上に向けて砲を放つことができるが、大和は45度しか上に向けることができない。飛行機は10機ばかりいたが、大和が動いたと察知した米軍のおよそ400機の飛行機が蜂の巣をつついたように戦艦の上空に現れた」
「この出撃は沖縄特攻・菊水作戦に当たるもので、私達の駆逐艦はおとりだった。つまり、米軍飛行機の攻撃をその身に集め、米軍艦隊に対する航空攻撃を少しでもしやすくすることだった」
毎年4月7日はその沖縄海上特攻の日である。涼月、冬月の生き残った乗組員は、北九州市若松区の洞海湾入口に防波堤となって眠っている艦のあるところに集い、艦達とその戦友たちの霊を慰める。乗組員は高齢となり、今は家族らが平和を希求する活動とともに彼らを支えている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/c2/fe5b706237d0097f228acbb3119278c6.jpg)
写真は、現在どうにか形をとどめる「柳」を手前におき、遠く皿倉山を望んでいる。
絵画のモチーフにされる「軍艦堤防」であるが、その姿はあまりにも悲惨な先の戦争の語り部である。表現者たちは、もうコンクリートで固められた堤防からは何を語っているか聞き取ることができない。しかし、乗り組み員の口から吐き出される言葉は胸に刺さって残る。
会場の前席にはお二人の老人が座っておられ、私達会衆に向って話し始めた。
「20年4月、戦艦大和が出撃することは、その2週間前に聞かされた。」
「私の任務は11隻の護衛船のなかの1隻、駆逐艦・涼月の機関部につくことだった」
「涼月は艦の真上に向けて砲を放つことができるが、大和は45度しか上に向けることができない。飛行機は10機ばかりいたが、大和が動いたと察知した米軍のおよそ400機の飛行機が蜂の巣をつついたように戦艦の上空に現れた」
「この出撃は沖縄特攻・菊水作戦に当たるもので、私達の駆逐艦はおとりだった。つまり、米軍飛行機の攻撃をその身に集め、米軍艦隊に対する航空攻撃を少しでもしやすくすることだった」
毎年4月7日はその沖縄海上特攻の日である。涼月、冬月の生き残った乗組員は、北九州市若松区の洞海湾入口に防波堤となって眠っている艦のあるところに集い、艦達とその戦友たちの霊を慰める。乗組員は高齢となり、今は家族らが平和を希求する活動とともに彼らを支えている。
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写真は、現在どうにか形をとどめる「柳」を手前におき、遠く皿倉山を望んでいる。
絵画のモチーフにされる「軍艦堤防」であるが、その姿はあまりにも悲惨な先の戦争の語り部である。表現者たちは、もうコンクリートで固められた堤防からは何を語っているか聞き取ることができない。しかし、乗り組み員の口から吐き出される言葉は胸に刺さって残る。