ボランタリー画廊   副題「げってん」・「ギャラリーNON] 

「げってん」はある画廊オーナとその画廊を往来した作家達のノンフィクション。「ギャラリーNON]は絵画を通して想いを発信。

ギャラリーNON(44) 「涼月」・「冬月」そして「柳」(その2)

2010年05月09日 | 随筆
 爆弾を抱えたままの戦闘機で敵艦に体当たりする戦法のことを特攻(特別攻撃)ということはよく知っているが、沖縄海上特攻とは何であろうか。私には耳慣れない言葉である。

 沖縄本島に米軍が迫ったとき、日本は最後の決戦をこの特攻という手段に及んだ。しかし、雨が逆さに降るような弾丸の雨の中に飛び込んでいくのでは成功率は極めて低く、そこで考え出されたのが海上特攻なのであろう。
 米軍艦隊に対する航空特攻を少しでもしやすくするため、米軍航空機の攻撃をその身に集めるのが海上特攻である。戦艦として選ばれたのが「大和」、その護衛艦に選ばれたのが「涼月」、「冬月」らの沈まずに残っていた軍用艦だったのだ。

 決戦地の沖縄に届くことも無く「大和」は撃沈、護衛艦の殆どが沈められ息絶え絶えに帰還したのは「涼月」と「冬月」だった。砲撃の装備のよい「涼月」は「大和」が沈んだ後も狙われ続け、大破した。しかし、なぜか沈むことはなく、船首の方向に進むことが出来ずにのろのろ後進で帰還していた。佐世保軍港に着くまでに何度か魚雷に見舞われたが、全部進行方向の前を通過して行った。
 満身創痍で佐世保軍港に着いた時は、撃沈されたと知らされていた艦が帰ってきた事で大歓声で迎えられた。軍港のドックに入り、艦内を調べたところ、ある船室の扉が中から閉じられており、溶断したところ、3人の乗組員が船室を死守していたことが分かった。この部屋が浮き袋となって沈まずに帰港することができたのである。「涼月」の元乗組員と語る会の会場は静まり返り、会衆は奇跡的生還という表現は間違っていることを知った。
 
 高塔山の一角に軍艦防波堤に使用された駆逐艦の慰霊碑がある。
元乗組員とその家族らは毎年慰霊祭を行っている。
蜂の巣をつついたときの蜂のように戦闘機が群がってくることを承知の上で出陣する「大和」、それを当然のことと信じる人間集団、「戦争はしてはいかん」と吐き捨てるように語る元乗組員。

 不思議なくらいに戦後存在し続けている平和憲法。米軍に守られ続けてきた平和憲法。沖縄米軍基地に関して鳩山首相のことを迷走と言うが、国民全体が迷走しているのであって、私達の意志をはっきりさせた方が、どうしたらよいか道が見えてくるのではなかろうか。