ボランタリー画廊   副題「げってん」・「ギャラリーNON] 

「げってん」はある画廊オーナとその画廊を往来した作家達のノンフィクション。「ギャラリーNON]は絵画を通して想いを発信。

ギャラリーNON(87) 橙

2017年11月29日 | 随筆

 ときどき通っている教会は、クリスマスの唄が聞こえ始めるこの頃になると、毎年「もなかバザー」を行う。バザーという単語はummage sale(米国)、jumble bazaar(英国)と言って、(家の不要物の)かき回しセールや、寄せ集め市場のイメージであるが、この「もなかバザー」は教会員らが実際に材料を仕入れて餡(あん)を作り、皮づめまでの手間をかけて売り、資金集めの一助にするという結構大変な苦労である。この教会は創立127年の小さな教会だが、「もなかバザー」は50年前から続けているとのこと。私は、この「もなか」を我が家で採れる橙(だいだい)と合わせて、年末の元気便り・プレゼントにしている。

 2017.11.27撮影 「橙」
 今年はしっかり実を付けてくれて、この籠に二杯採れた。酢醤油には適しており、酸っぱさはもちろんだが少しの苦味が良い味を造ってくれる。横に写っている倒れた黄色の葉は「ギボウシ」だ。多年草で夏の花、それに日陰を好むので、ずぼらな私向きの手のかからない花である。近寄って見下ろすと、ちょっとした抽象画だ。
 
 2017.11.27撮影 「ギボウシ」
 
 面白くなって、手入れをしない我が家の庭を歩いてみると、次々と目に留まるものがある。

 2017.11.27撮影 「ミツバ」
 まだ小さな葉(3~4cm)をしているが、見事に群生している。お吸い物に浮かせたり、サラダに混ぜたり。


 2017.11.27撮影 「ツワブキ」
 半分は花の見ごろを過ぎていたが、まだまだ艶のある葉をしていて、花びらの黄色が映える。


 2017.11.27撮影 「ツタ」
 詳細な名前は分からないが、緑と赤紫の補色が綺麗だ。ベースの石の色もいい。


 2017.11.27撮影 「ジネンジョ」
 自然薯のことは、子供の頃、山を持った農家に居候していたのでよく知っている。自然薯の根は栄養豊富で美味しい。細長くハート型をした葉は秋の終わりには黄色になって枯れ落ち、冬には蔓も朽ち果てる。土中の根は、新たな芽を出すためにエネルギーを消耗してしぼんで痩せるが、夏には新たな栄養接種が勝って肥大する。それを繰り返して5年も経つと1mくらいになり、旬の食料になる。ムガゴは実、鼻にくっつけて遊ぶ三つの陵は種子を内包している。この5年も待つところがポイントで、素人は蔓があると根を掘り出してしまい、山を荒らす奴だとさげすまされる。
 あるがままの我が家の植物たちは、こうして季節に従った暮らしをしている。

ギャラリーNON(86) ワクワク感

2017年11月02日 | 随筆

  秋も深まってきた。私が中学生のころ松茸を採る義兄について行って、どうにか見つけた松茸は、うっかり踏んづけることでしか見付からなかった.たった一個の傘の壊れた松茸を,七輪で焼いて醤油をかけて食べた味が忘れられない。その後今日まであんな美味しい松茸に出会っていない。つい一昨日、TVのドキュメンタリー番組で、松茸だけで生計を立てることに成功した農家の執念の人を取り上げていた。松茸はその松林の間伐と周りの落ち葉のかきとりなどをしておくとよく採れるという。これを糸口に、松茸の生育について深く掘り下げた人の25年間の苦労話だった。この人は思考錯誤を繰り返しながら、家族の心配をよそに毎日ワクワクしながら過ごしたことだろう。今では、松茸の栽培技術は、農林水産業の本格的な研究テーマの一つとして定着しており、間もなく私たちの口にもおいしい松茸が届くに違いない。
  私たち絵を描くことを趣味にする者にはどんなワクワク感があるのだろうと振り返ると、うまく描けたなと思えた時だろう。もっと正確には、完成間近になって「これでいいのができるぞ」と思えた時かもしれない。それにしても、最近そのワクワク感が弱まっている。前の「ギャラリーNON85 形が消えた」では、初めての作品を目指した取組みとあって、描き始めから描き終わるまでワクワク感が絶えなかった。そして、その後も数点の作品に取り組んだがまだまだ緊張感は続いており、わくわく感も消え去らない。これをしばらく続けてみようと思う。


「儚」、M20号、2017.10作