ボランタリー画廊   副題「げってん」・「ギャラリーNON] 

「げってん」はある画廊オーナとその画廊を往来した作家達のノンフィクション。「ギャラリーNON]は絵画を通して想いを発信。

ギャラリーNON(37) 古い殻を打ち破れるか(その2)

2009年08月31日 | 随筆
 朝刊は、これ以上ない大きな文字で「308政権交代」と書き立てている。やや小さな文字で「改革競争の時代へ」とある。「小泉自民党から鳩山民主党への圧勝リレー」という文字も。
 麻生政権の敗因は、小泉政権の行った改革で市場原理主義が行過ぎたとみて、これに封印したことにあると朝刊は解説している。民意は改革を行って欲しいと思っていることを分からない鈍感さが敗因となったわけだ。改革の過程で傷が生じたら手当てや修正をすることはあっても、改革をやめてもらっては困るのである。だから、改革は未知数で確かさはないが改革すると言っている方の鳩山民主党へ移しただけなのではないか。政権選択選挙では無いと思う。
 私は現役サラリーマン時代にタイムスリップして、再びイメージで考える。この会社が閉塞感に満ちておって古い殻があることを見つけた交代派遣の新社長は、その殻を壊して新しい風を吹き込もうと決めた。新社長はまず社内から人材を探し求め彼らと話し込み、自分の連れて行こうとする進化した会社の在りようを分からせる。そして、そこへ行くための計画を彼ら自身につくらせる。修正をかけながらこれならいけるとみて実行に移す。さらに、実施過程では幾度も見直しをかけ、苦労の末、目的地にたどり着く。 と、まあ、こんなイメージだが、鍵は人材に違いない。
 民主党は政治家主導を遂行するため、政治家を集めて政策立案すると言っている点が気に掛かる。これは、会社の体質改善のため、多数の執行役員を外部から連れてきたようなもの。プロパー社員は気分が悪い。それに、やる気になっていないから効率が悪い。政治家は官僚ブレインを抱えてリーダーシップを発揮するのであって、自らが改革計画の実務をするのではないと私は思う。見知らぬ人間が、どかどかと上がりこんできて、殴り込みをかけられる形になって改革がうまく行くのだろうか。それとも、殴りこみをかける勢いでないと古びた大きな殻は崩れないところまで硬直しているのだろうか。いずれにしても、ここが気になる。
 70歳近い私は何を取上げても傍観者でしかないが、どうやって改革を進めるのか見物するのは面白い。おらが町の先生、先代の後を継いだ先生も幾人かおられるようだが、改革には世代交代も必要だと思っていたら、多くの若い人が当選していたので救われた思いだし、頼もしくも思う。
 

ギャラリーNON(36) 古い殻を打ち破れるか(その1)

2009年08月30日 | 随筆
 もう4日前に投票は済ませたのだが、今夜、政権交代なるかどうかの結論がでる。なんでも、民主党は政治家主導の政治に変えると言うのだが、自民党にはそれができなかったのだから、この際、交代してみてほしいと私は思う。評論家達は、どこに向かっていくのか分からなくなるほどの日本社会の閉塞感をつくった責任は政治家にあり、その本質的な原因は政官の関係にあると言っている。政権交代したら日本の向かう方向が見えてくるだろうか。疑問は尽きないが、せめて切り口だけでも炙り出して欲しい。
 私が勤めていた会社は、二つの会社が50:50の出資で立ち上げられた。立ち上げ当時は係長以上の管理職は出資会社から出向されたが、次第にプロパー社員が育つと、出向は部長以上、さらに役員以上に縮小されて行った。しかし、社長職だけは任期毎に二つの出資会社から交代で派遣され、その度に我々は新社長に時間をかけて会社の説明を行ったものである。いわば、入れ替わり立ち代わりで大臣が就任するのだが、官僚の方々も大変なことだろうと想像できる。この会社をどこへ連れて行くのか分からない大臣(社長)が就任したら、プロパー社員は黙ってひたすら目の前の仕事に没頭していたことを思い出す。それでも企業の場合は利益追求集団としての箍がはめられているから甘えは許されないが、これが税金活用集団だとしたら、甘くなるのは当然の成り行きだろう。そういう意味で政治家に責任があるというのは理解できる。
 明治以来の中央集権型統治システムが機能不全に陥っているといわれている。この古い殻を打ち破ることが出来るのか楽しみである。もし打ち破られたら、今よりも透明でリーズナブルな社会は到来するだろうが、反面、他人のせいにばかりできなくなり、甘えが許されない厳しい面が増長されるだろう。一企業でのささやかな経験からそんな風に政権交代を予想する。