治療終了した直後、地元の若松美術協会の会員展の知らせが来て、出品規定が送られてきた。復帰第一作はなんとしようか。しばし考えた末、昨年の暮れにスケッチした蓮池を作品にしようと決めた。
睦月、卯月、弥生と始まって神無月までの10点を昨年12月の個展に出品したが、あと霜月と師走がない。なぜこんな形の連作をしたのか自分でもはっきりしないのだが、ただ、同じモチーフを何度も描いてみることはやってみたかった。結果として、M50号という大型で、全て縦形構図をとったが、同じ風景の切り取りはせず、描く月を変えた。“それがどうした”と言われてもしかたないが、自分にとってはもう対象を描き取ることに飽きていつの間にかイメージを優先した絵になってしまったことが嬉しくて仕方ない。脳裏に浮かんだものが描ける開放感ということだろう。その作品は「葉月」だ。去年の12月の個展では、その作品の前で何人かの方が足を留めてくれた。
弁慶の刀狩ではないが、「師走」ができたのであと一点、「霜月」ができると、12ヶ月の作品が揃う。この次の作品は是非「霜月」にしたい。そうしたら、義経のような人物か、それに代わる素晴らしい出会いがあるかもしれない。
「師走」2014年6月作
静かな年の暮れ、宵の明星と月が二重奏を演じている。
睦月、卯月、弥生と始まって神無月までの10点を昨年12月の個展に出品したが、あと霜月と師走がない。なぜこんな形の連作をしたのか自分でもはっきりしないのだが、ただ、同じモチーフを何度も描いてみることはやってみたかった。結果として、M50号という大型で、全て縦形構図をとったが、同じ風景の切り取りはせず、描く月を変えた。“それがどうした”と言われてもしかたないが、自分にとってはもう対象を描き取ることに飽きていつの間にかイメージを優先した絵になってしまったことが嬉しくて仕方ない。脳裏に浮かんだものが描ける開放感ということだろう。その作品は「葉月」だ。去年の12月の個展では、その作品の前で何人かの方が足を留めてくれた。
弁慶の刀狩ではないが、「師走」ができたのであと一点、「霜月」ができると、12ヶ月の作品が揃う。この次の作品は是非「霜月」にしたい。そうしたら、義経のような人物か、それに代わる素晴らしい出会いがあるかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/d6/166ba7fd1bb8ed6a61f536f2bc1462a7.jpg)
静かな年の暮れ、宵の明星と月が二重奏を演じている。
しばし足を止めて見入ってしまいます。
私が絵を描ける人なら絶対に描いてみたいと思う、まさにそのような風景です。
すばらしい。ありがとうございますm(_ _)m
蓮池の連作の存在、何と言いますかとっても不思議ですね。
50号で12点集まると、見応えが有ります。しかし、描いた本人は飽きがきており、叩いたり撫ぜたり、引っ張ったり捻ったり、じっとしていられなくなります。そこから何か変化が始まります。そしてそれが功を奏したとき、たまらない喜びを感じるのです。なんと他愛無く、くだらない作業でしょう。
でも、こんなことがきっかけで、ものを見て描くよりも、イマジネーションに傾斜した絵が描けるようになりました。ただし、皆さんの評価については無頓着ですが。