去年の8月31日に書いた私の拙文を読み直した。(ギャラリーNON37)的外れなことを書いたのではないかとちょっと心配したが、あのときの私の意見は今あらためて賛同できる。あっという間に鳩山総理の辞任となった今、さらに重ねて言わなければならんという衝動に駆られる。絵画に関するブログなのに政治に関する意見を言うなどとは、これぞ的外れであるがご容赦願う。
もはや自民党では希望が持てないので、やらせてみようではないかと民主党系内閣が誕生したのだったが、僅か8ヶ月あまりの短命内閣とはひどいものである。何が短命の原因だろうか。いろいろあろうが、私は総理大臣のリーダーシップ欠如だと思う。
「私を信じてください」「腹案がある」「少なくとも県外に」「5月末までには決着させる」と言って置きながら、中身は何も無かった。総理大臣がこうあって欲しいと望んだら、皆さんがそれに従って動いてくれるとでも思っていたのだろうか。だとしたらリーダーシップの完全欠如である。
人が動くのは、その人の理念に同感し理解することがあってのことで、それが宙に浮いたあやふやなものだったら歩み始めようが無い。誰もこの時期に県外に移すことに同感し理解していなかったのだ。沖縄をどうするかは日本だけでは決められないのに、「信じてくれ」など的外れである。
この9ヶ月の動きからすると、自民党のまずかったところに修正をかけることで国民の目を引き寄せることを理念としているような党と言わざるを得ない。事業仕分けでお手柄をたてているように見えるけれども、私にはヒステリックなドラマを見ているような気分である。理念にもとづけば、予算方針が決まり、省庁はその方針に基づいて予算をたてればよいのである。私のサラリーマン時代の予算会議では、方針に従わない予算をもってきたら門前払いだった。
例えば、「ガソリン税の半分は、4年間で、ダム・道路から少子化と雇用問題にシフトする」といったように予算編成方針を立てれば、あとは省庁が方針にそって予算を立てる。それを審議する。そんな仕組みにすればあんな醜い仕分けは少なくなるだろう。天下りのための無駄遣いなど論外である。
吉田徹さん(比較政治学者)は、今回の鳩山首相退陣を「理念なき反自民政策に嫌気」と評論している。同感である。
菅直人内閣には、民主党の理念を示して欲しい。そして、友愛とか訳の分からない言葉を使わないで、具体的な政策を示して欲しい。そして、官を説得して腕を振るってもらい、政策を実現して欲しい。もう、祈るような気持ちである。
もはや自民党では希望が持てないので、やらせてみようではないかと民主党系内閣が誕生したのだったが、僅か8ヶ月あまりの短命内閣とはひどいものである。何が短命の原因だろうか。いろいろあろうが、私は総理大臣のリーダーシップ欠如だと思う。
「私を信じてください」「腹案がある」「少なくとも県外に」「5月末までには決着させる」と言って置きながら、中身は何も無かった。総理大臣がこうあって欲しいと望んだら、皆さんがそれに従って動いてくれるとでも思っていたのだろうか。だとしたらリーダーシップの完全欠如である。
人が動くのは、その人の理念に同感し理解することがあってのことで、それが宙に浮いたあやふやなものだったら歩み始めようが無い。誰もこの時期に県外に移すことに同感し理解していなかったのだ。沖縄をどうするかは日本だけでは決められないのに、「信じてくれ」など的外れである。
この9ヶ月の動きからすると、自民党のまずかったところに修正をかけることで国民の目を引き寄せることを理念としているような党と言わざるを得ない。事業仕分けでお手柄をたてているように見えるけれども、私にはヒステリックなドラマを見ているような気分である。理念にもとづけば、予算方針が決まり、省庁はその方針に基づいて予算をたてればよいのである。私のサラリーマン時代の予算会議では、方針に従わない予算をもってきたら門前払いだった。
例えば、「ガソリン税の半分は、4年間で、ダム・道路から少子化と雇用問題にシフトする」といったように予算編成方針を立てれば、あとは省庁が方針にそって予算を立てる。それを審議する。そんな仕組みにすればあんな醜い仕分けは少なくなるだろう。天下りのための無駄遣いなど論外である。
吉田徹さん(比較政治学者)は、今回の鳩山首相退陣を「理念なき反自民政策に嫌気」と評論している。同感である。
菅直人内閣には、民主党の理念を示して欲しい。そして、友愛とか訳の分からない言葉を使わないで、具体的な政策を示して欲しい。そして、官を説得して腕を振るってもらい、政策を実現して欲しい。もう、祈るような気持ちである。