ボランタリー画廊   副題「げってん」・「ギャラリーNON] 

「げってん」はある画廊オーナとその画廊を往来した作家達のノンフィクション。「ギャラリーNON]は絵画を通して想いを発信。

ギャラリーNON(64) 「天佑なり」が終わる・余禄

2013年01月12日 | 随筆
  2013・1・12西日本新聞の文化欄に幸田真音さんのご挨拶が掲載された。
 「小説「天佑なり」連載を終えて」と題して2000字分の囲い記事となっている。 以下、文章を引用さて頂きます。

 一年二ヶ月の連載を終え、今はなんだか体の真ん中に大きな穴が空いてしまったような感覚に襲われている。・・・中略・・・なにをしていても、片時も離れずわたしのなかにあったそのとてつもなく大きな存在は、連載終了を経て、やがてはわたしから抜け出ていかれるのかと思うと、無性に寂しい。・・・中略・・・十年ほど前になるだろうか。・・・財政制度等審議会の委員だったころ、ふと耳にした官僚の言葉がきっかけだった。・・・
 「日本国債を海外で売ろうと頑張るなんて、明治時代の高橋是清以来のことなんですよ」
 担当者のそんな言葉は、私の記憶に強烈に刻まれた。財政問題をライフワークとしているのなら、いつか是清について・・・。・・・中略・・・。
 是清の生涯を軸に、明治、大正、昭和初期と時代を追って書いてきたが、繰り返される政権交代、関東大震災、そして世界的な大恐慌という背景のなかで、当時この国が向き合わされてきた財政問題は、いままさに日本が直面している現代のそれとあまりに類似していることに気づかされ愕然とした。膨大な資料のなかに是清自身の珠玉の言葉をいくつも見つけ、作中で語らせてきたが、もしや是清自身が現代の日本人に語りかけているのではないかという錯覚に、何度も囚われた。・・・後略・・・。

 
 作中で是清の発言がなんども出てくるが、小説とはいえ、どうしてこんなひれ伏したくなる言葉がつくれるのかと感心したのは、事実に基づいていることが分った。作者が主人公に惹かれたように、私は作者に惹かれ、作者の登場させた主人公に惹かれたのだ。

ギャラリーNON(63) 「天佑なり」が終わる

2013年01月03日 | 随筆
 西日本新聞に409回に亘って連載された幸田真音さんの小説「天佑なり」が終わった。奇しくも大晦日、一年の締め括りになった。新聞の連載小説には必ず挿画があるので切り抜いて参考にするのが習慣になっている。その挿画は小説の中のどの部分を表すのかを知りたいから読むことになる。読み進むにつれ引き込まれ、最後は厚みのある感動を与えてくれた。2・26事件で殺害される大蔵大臣・高橋是清の生涯である。
 
 幸田真音さんをネットで追ってみた。なんと、日曜日のRKB、8:00サンデーモーニングでときどきお顔を拝見しているではないか。債券の売り買いの現場に居た人がどうしてこんな小説が書けるのかとの思いから一気に彼女に惹かれた。債券ディーラー、外国債券セールス等の経験を経て1995年作家に転身、国際金融の世界を舞台にした小説をほとばしるように18年間で50冊リリースしている。惹かれる思いは一層強くなるばかりである。

 私という人間を分類すれば技術系に入る。敢えてもう一つのアスペクトを加えさせてもらえるならばアート。だから経済に最も疎い。
最近のTV放送で、池上彰さんの中高生に教える「やさしい経済学」や田原総一朗の「仰天歴史塾」などは私のためにあるような番組で、分りやすくて欠乏していたビタミンのようにスーツと体に沁み込む。どうしてこれを義務教育や高校教育で教えてくれなかったのかと悔しい思いである。ついでに追加すれば、「課外授業・ようこそ先輩」も、半藤一利の「昭和史」もそうだ。私は老人になってしまっているが、こういう番組を見ていると不思議にも若いときの気持ちに返る。「天佑なり」もしかり、経済のことなど皆目分からない私を引き込んだ。

 「天佑なり」という題がつけられた訳は294回前後から汲み取れる。
 明治37年(1904)、日露が開戦。高橋是清は日銀副総裁の立場で戦費調達を命じられ、公債引き受けを勧めるためロンドンへ。日本がロシアと戦うなどとは小人対巨人の戦いで無謀とみられていたが、鴨緑江の陸戦勝利で市場が好感を示すもののそれだけでは如何ともしがたい。そのときアメリカのリーマン・ブラザーズが公債を引き受けてくれることになる。つまり、アメリカ・イギリスは日本を勝たせたいと思っていたのだ。ロシアの反ユダヤ主義を恨み、同胞たちを救いたかった有能な投資家がリーマン・ブラザースに居た。このときの全てが思いがけない形で好転したことを指して「天佑なり」と回顧しているのだ。

 歴史的には不幸なことであったかもしれないが日露戦争に日本は勝利した。膨大な戦費をバックアップしてくれた人のことなど忘れて日本は自信をもってしまった。やる気になれば適うのだといった裏づけのない自信である。
 昭和11年(1936)2月26日、日露から32年、軍部は増長を重ねるが「無私の人」高橋是清が壁になってすすめない。そして遂に無法者の集団と化し、丸腰の無防備な81歳の老人を完全武装した多勢の軍事が銃によって絶命させ、さらに肩と背中に刀を振り下ろした。こんな正義がどこにある。軍はこのあと戦争への道を進み、5年後に真珠湾へ奇襲する。あのとき支えてくれたアメリカやイギリスに刃を振りおろしたのだ。