ボランタリー画廊   副題「げってん」・「ギャラリーNON] 

「げってん」はある画廊オーナとその画廊を往来した作家達のノンフィクション。「ギャラリーNON]は絵画を通して想いを発信。

ギャラリーNON(25)-俳句の手(荻原井泉水)-

2008年02月13日 | 美術
  昨年末から家の中のものを整理していたら妻の養父が持っていた荻原井泉水(1884~1976)の著した古い本が数冊でてきた。その養父は「層雲」に属し、作句中の老いた姿は私の目の裏側にある。今も家に遺されている井泉水の掛け軸や色紙、同じ層雲に属していた山頭火の短冊などは、養父が作句にのめりこんでいた時代を窺わせる。
 遺された古本の一つに「俳句の手」昭和12年発行、B6判、356Pがあり、副題に「手ほどきより奥の手まで」とある。俳句は一句も詠んだ経験のない私だが、その副題にほだされて本を開いてみた。
 「まず掴め」と井泉水は言う。
私はハッとした。これは絵を描くことを始める時の心得と同じではないか。
 私は教室で
「先ず描きたいなと思うものに出会ったら絵は半分以上できあがったようなものだ」 と言ってる。
絵の素材との出会いである。
「先生、これは絵になりますかねえ」と写真を持ってこられる方に対して私は、
「その写真の何処に惹かれましたか」とこちらから尋ね、その答えに少しでもチカッと光るところがあれば「それは絵になりますよ」と描くことを薦める。所詮、絵を描く稽古なので惹かれるものがあるかどうかは二の次でよいのだが、絵を描く出発点は対象の何かに惹かれているものが無ければ、完成まで気が持たない。
 井泉水は「片手でよいから掴んだら握り締めよ」と言う。
これは絵でいうスケッチのようだ。シャカシャカと対象を描き取るときの気持ちは、この対象を作品にする時は、構図や色のポイントはこうしようああしようと思い巡らし、最初にこれを描いてみようと思ったときより表現のありようについて深かく考えるようになる。この思い巡らしは対象を握り締めているという言葉に合致する。
 次に井泉水は「両手で掴め」と言う。これは、二つの別々の角度から見たものを合わせて一つに見ることに、自然の立体感がでると。
 更に、井泉水の言葉は、
 「笊(ザル)で抄うな、素手で掴め」
 「素材を箱に入れ、箱の外を見よ」と言ったように次々と俳句の心を説き明かす言葉が続く。
 私はこの本を読んで俳句の虜になるのではなく、絵の心を説き明かしてくれているようで、ひょっとすると絵の専門家が絵の心を説き明かしてくれているより、上手く説いているようにさえ思わせる。
 井泉水は五七五の枠からはみ出した人、言い換えれば俳句文学を進化させた人である。今からじっくりこの本を読んで行こうと思う。伝統ある五七五の約束、あるいは掟といえるものからはみ出す気持ちに至ったところを知りたい。私も実は今の自分の作品に飽きているから、何とかしたいと思っているのだ。
 

ギャラリーNON (24)-新年会-

2008年02月04日 | インポート
  2008年のマルミツ画廊新年会を開いた。画廊の恒例となっている新春色紙展の打上げを兼ねて画廊をご愛顧して下さる方の集まりにした。
 新春色紙展は画家達の書初めの変わりと言ったようなもので、年の初めに心に期すことなどが作品に織込まれる。
 36人の作家の38点の作品は、みんな思いおもいのもので、画家だけでなく、陶芸家の陶板や鉄鋼工芸家の小品、木工芸家のネズミの彫り出しものもある。その人らしさがあって面白い。公募展ならこれに順位をつけるのだからおかしなことだとも思う。
 
 上の色紙は私の作品。無礼にも正岡子規の俳句を使わしてもらった。初めて自分の小さな工房ができたので、これからここで絵を描いていこうと思った次第。よろしくご批評下さい。
 合わせて、今年も「ボランタリー画廊」をご愛読頂きますようお願いいたします。