ボランタリー画廊   副題「げってん」・「ギャラリーNON] 

「げってん」はある画廊オーナとその画廊を往来した作家達のノンフィクション。「ギャラリーNON]は絵画を通して想いを発信。

ギャラリーNON(31) 水彩画クラブN

2009年04月19日 | 随筆
 私の主宰している水彩画クラブ作品展の時季となった。第5回目となる。
 私が教室を始めた契機は、近くに福祉センターが新設されたものの活用が進まないとのことで水彩画教室の声がかかったことによる。12年前のことである。センターがチラシを作ってPRしてくれるのだが、ほんの数人しか集まらず、あとはセンター側のサクラ・メンバーが加わって教室は成立した。 私は25年前に私の先生に言われたことを思い出しながら教室をスタートした。数ヶ月が過ぎるとメンバーがポツポツ増え始め、サクラ・メンバーは次第に去って、どうにかクラブ設立可能なレギュラーメンバーが揃った。
 教室をはじめた翌年、初めての個展を開いた。個展は教室とは関係なく、一度、自分を人前に晒してみてどう思ってくださるか知りたかったからだ。画廊主のげってんさんは、久しぶりに画廊がざわめいたといって喜んで下さった。皆さんから観た私の絵は、伝統的でスタンダードな描き方であるが、油絵の調子も少し加わった画風に見えたらしかった。
 「定年退職したら昼の教室を開いてくれ」とせがまれるようになった。60歳の定年が到来したが、社長からは「絵なんかいつでも描けるではないか」といって引き止められ2年間延長して働いた。「絵なんか・・・」と言われて反発できない情けなさはあったが、何も知らなかった私を育て、さらに仕事に興味を持たせながら40年間も人生を支えてくれた会社という人間の集まりに恩があるから、言われるとおり更に2年間働いた。遂に開放された2002年12月、昼の教室を開いた。直ぐ一杯になり、2003年5月に戸畑、2004年4月に小倉といった具合で4クラブとなった。翌年の2005年から、4っのクラブを総称して「クラブN」と呼称し、年1回作品展を始めた。それが今年で5回目と言うわけである。
 「教えることは学ぶこと」とはよく言ったもので、大半がアベレージ愛好者の集まりであるとはいえ、描く勉強よりも本を読むことの勉強を余儀なくされ、結局のところメンバーの皆さんのお陰で育てられている。今、なぜか水彩画は静かなブームである。集まってくださった人たちを水彩画の楽しめるようにしてあげることが、元気で居られるまでの私の役目と思っている。