2011年3月11日から6年経った。今回は少し絵から離れて震災に思うことを綴っておきたい。
報道関係のメディアでは、6年前の巨大な津波にすべてをさらわれた町々の様子と今の様子とを比較して、復興の達成度を俯瞰している。その中から問題を見出して、今後のあるべき方向に思いを馳せることを中心に映像を流している。どうやら見えてきた大きな問題は人口減少のようである。その原因は、津波の高さに抗した高い防潮堤作りや、高台移転や地面の嵩上げに時間を費やしているため、人々の生活を復旧させる時間軸のイメージが描きづらく、戻ってこれなくなったことが人口減少の原因ではないかと解説している。
震災後の6年という時間は、中学一年生なら大学生となって将来の方向をほぼ定めて行く時間。25歳の若者なら自分の生業を見つけて31歳になっている時間。家族の柱になっている人なら、毎日が大切で6年も彷徨っては家族を守れない。75歳の後記高齢者ならひとに迷惑をかけずに生きながらどうにか81歳を迎える時間。ノホホンとして暮らしている私のような人間の時間より、被災地の人々にとっては何倍も貴重な時間に違いない。これからも故郷に回帰する人が少ない分、これから多大なエネルギーを復興に注がなくてはならないのだろう。
私は「ギャラリーNON(77)再会」で、津波にかき乱された浜辺に、ハマボウフウが浜辺を復興させようと、けなげに花を咲かせ、根を張ろうとしている写真に感動し、と同時に、すぐその横で、巨大な防潮堤がハマボウフウを見下ろしている様を想像して、何か大きな不自然さを感じたことを書いた。「きれいな海の見える町が防波堤の見える町になった」と悲しそうな表情が今日の映像に映しだされていた。万全な避難手段の確保で、生活の復興を優先すれば、人々はこれほど故郷を離れることはなかったのではなかろうかと思う。無責任な年寄りのつぶやきだったろうか。今後、新たにつくった防潮堤と嵩上げの高さでは敵わない想定外の災害や事件が起きたらどうするのだろう。
それから原発の問題。6年たっても何も問題処理ができていないという事は、原発は収拾がつかない物騒なものという事だろう。再稼働や廃炉以前に、寿命や事故によって原発設備を始末しなければならない時に、そのための技術は無いのだ。そんな無茶な配備をしてしまったことの反省の弁が6年経ってもないというのはどういう事であろう。ちゃんと謝ってのち、ちゃんと原発廃炉技術の構築とそれに代わる新エネルギー技術をも構築する国家プロジェクトを編成して世界に冠たる日本になってほしいものだ。そのような理念の渦巻く東日本であれば、人は集まってくるに違いない。臨終の耳元でそんないい話を聞きたいものだ。震災の直後、もっと言えば原発災の直後、大げさでなくこれで日本は変わるなと直感して心が昂ったのを覚えている。がしかし、国策は、東日本海岸改造論的で、生活する人々が集まる策になっていなかったということだろう。
次の大地震のエネルギーが溜まってきているという。私も避難の準備をするようになったのは地震列島を認識したからである。2011・3・11・6 の日に思い巡らしたことを綴った。
報道関係のメディアでは、6年前の巨大な津波にすべてをさらわれた町々の様子と今の様子とを比較して、復興の達成度を俯瞰している。その中から問題を見出して、今後のあるべき方向に思いを馳せることを中心に映像を流している。どうやら見えてきた大きな問題は人口減少のようである。その原因は、津波の高さに抗した高い防潮堤作りや、高台移転や地面の嵩上げに時間を費やしているため、人々の生活を復旧させる時間軸のイメージが描きづらく、戻ってこれなくなったことが人口減少の原因ではないかと解説している。
震災後の6年という時間は、中学一年生なら大学生となって将来の方向をほぼ定めて行く時間。25歳の若者なら自分の生業を見つけて31歳になっている時間。家族の柱になっている人なら、毎日が大切で6年も彷徨っては家族を守れない。75歳の後記高齢者ならひとに迷惑をかけずに生きながらどうにか81歳を迎える時間。ノホホンとして暮らしている私のような人間の時間より、被災地の人々にとっては何倍も貴重な時間に違いない。これからも故郷に回帰する人が少ない分、これから多大なエネルギーを復興に注がなくてはならないのだろう。
私は「ギャラリーNON(77)再会」で、津波にかき乱された浜辺に、ハマボウフウが浜辺を復興させようと、けなげに花を咲かせ、根を張ろうとしている写真に感動し、と同時に、すぐその横で、巨大な防潮堤がハマボウフウを見下ろしている様を想像して、何か大きな不自然さを感じたことを書いた。「きれいな海の見える町が防波堤の見える町になった」と悲しそうな表情が今日の映像に映しだされていた。万全な避難手段の確保で、生活の復興を優先すれば、人々はこれほど故郷を離れることはなかったのではなかろうかと思う。無責任な年寄りのつぶやきだったろうか。今後、新たにつくった防潮堤と嵩上げの高さでは敵わない想定外の災害や事件が起きたらどうするのだろう。
それから原発の問題。6年たっても何も問題処理ができていないという事は、原発は収拾がつかない物騒なものという事だろう。再稼働や廃炉以前に、寿命や事故によって原発設備を始末しなければならない時に、そのための技術は無いのだ。そんな無茶な配備をしてしまったことの反省の弁が6年経ってもないというのはどういう事であろう。ちゃんと謝ってのち、ちゃんと原発廃炉技術の構築とそれに代わる新エネルギー技術をも構築する国家プロジェクトを編成して世界に冠たる日本になってほしいものだ。そのような理念の渦巻く東日本であれば、人は集まってくるに違いない。臨終の耳元でそんないい話を聞きたいものだ。震災の直後、もっと言えば原発災の直後、大げさでなくこれで日本は変わるなと直感して心が昂ったのを覚えている。がしかし、国策は、東日本海岸改造論的で、生活する人々が集まる策になっていなかったということだろう。
次の大地震のエネルギーが溜まってきているという。私も避難の準備をするようになったのは地震列島を認識したからである。2011・3・11・6 の日に思い巡らしたことを綴った。