このところ毎日楽しみに読んでいるのは、画家・野見山暁治の「あとの祭り」である。西日本新聞の記者と思われる北里晋さんが聞き書きした700字位の短文が今日で88回目。平凡なサラリーマンとして生きてきた私にとっては、画家の生き方は別世界ではあるが、北里晋さんの軽快な文と相俟って、画家・野見山さんの本質的なものの見方、考え方が好きで惹かれる連載である。。
・デッサンが好きでない野見山さんが芸大入試に臨んで、いわゆる下手なデッサンを描く。不合格で当然の状況下で、一人の審査員が重さが出ていると瀬戸際で拾われ合格する。きちんと描く以外のところを見抜いてくれる審査員が居なかったら今の自分は無いと。
・留学生の身分でフランス滞在中、待望の画商が付くが、やがて画商から作品をコントロールされるようになったので決別する信念。
・やがて、芸大の教授となり、デッサンで合否を決めるのは如何なものかと、入試改革と称して花の油絵を描かせるように変えてみたものの、予備校がそれにすぐ追随してきたので入試方法には正解がないと。
・香月泰男を芸大の特別講師に招いたとき、学生が香月さんのマチエールづくりについて質問した。香月さんは実演方式でマチエールを示したところで売れっ子になっていた香月さんは言った。「教えた方法で絵を描いて売りなさい」と。それは、シベリア抑留時代に粗末な材料から編み出した方法。方法と表現はその人のものであることを教えた。
・絵というのは具体的に説明できるものを画面に再現しているもんだと思い込んでいる。音楽の場合はこの音は具体的に何を表しているのか分かりませんとは言わないくせに、絵の場合は具体的な説明がつかないと人はまごつく。僕はいま、ぎっしり詰まった空間が、あるときみんな消えてなくなった、そんな画面をあこがれている。画面の外へすべてが飛び散って中は何もない、そんな絵をつくりたい。
・ぼくは絵かきだから絵を描いているのが本職。人との予約に「その日は絵を描きますから」と言うと、相手は浮かぬ顔で「なんだ、家にいるならいいじゃないですか」となる。どうも絵描きというのは暇つぶしだと思われているようだ。
・パリに行く資金稼ぎの展覧会を開いていたら、ブリジストンの石橋さんから、贈答品としてパリの絵を描いて欲しいと小品を年間何十枚という量で注文された。その金があればパリに行ってもすぐアトリエが借りられるし、アルバイトもしなくてよい。眠れないほど嬉しかったが、翌日には断りに行った。贈答品を意識して、どこかで相手が喜ぶような要素を入れるようになるじゃないか。何年かたったら次第にそればっかりの絵描きになる。その何年かを取り戻すことはできない。32歳の時の話。
・ぼくには大切な3人の人がいる。「おまえは自分の好きなように描けばよい」と言ってくれた小学校の今中先生、「立体のコップをどうやって平面の紙にもぐらせるか、その仕掛けを自分で考えてみろ」と言ってくれた中学校の鳥飼先生、「セザンヌをよくみろ」と言われ、キュービズムの理知的な世界に導いてくれた今中通中さん。この3人に比べれば美術学校で学んだことなどどうでもよかった。
と、こんな話がどんどん続く。読み進むにつれ、私は絵の進化路のずうっと始めの方にいることが分かるが、歩く行く先にはそんな道があり、いつか腑に落ちるときがあるかもしれない。
・デッサンが好きでない野見山さんが芸大入試に臨んで、いわゆる下手なデッサンを描く。不合格で当然の状況下で、一人の審査員が重さが出ていると瀬戸際で拾われ合格する。きちんと描く以外のところを見抜いてくれる審査員が居なかったら今の自分は無いと。
・留学生の身分でフランス滞在中、待望の画商が付くが、やがて画商から作品をコントロールされるようになったので決別する信念。
・やがて、芸大の教授となり、デッサンで合否を決めるのは如何なものかと、入試改革と称して花の油絵を描かせるように変えてみたものの、予備校がそれにすぐ追随してきたので入試方法には正解がないと。
・香月泰男を芸大の特別講師に招いたとき、学生が香月さんのマチエールづくりについて質問した。香月さんは実演方式でマチエールを示したところで売れっ子になっていた香月さんは言った。「教えた方法で絵を描いて売りなさい」と。それは、シベリア抑留時代に粗末な材料から編み出した方法。方法と表現はその人のものであることを教えた。
・絵というのは具体的に説明できるものを画面に再現しているもんだと思い込んでいる。音楽の場合はこの音は具体的に何を表しているのか分かりませんとは言わないくせに、絵の場合は具体的な説明がつかないと人はまごつく。僕はいま、ぎっしり詰まった空間が、あるときみんな消えてなくなった、そんな画面をあこがれている。画面の外へすべてが飛び散って中は何もない、そんな絵をつくりたい。
・ぼくは絵かきだから絵を描いているのが本職。人との予約に「その日は絵を描きますから」と言うと、相手は浮かぬ顔で「なんだ、家にいるならいいじゃないですか」となる。どうも絵描きというのは暇つぶしだと思われているようだ。
・パリに行く資金稼ぎの展覧会を開いていたら、ブリジストンの石橋さんから、贈答品としてパリの絵を描いて欲しいと小品を年間何十枚という量で注文された。その金があればパリに行ってもすぐアトリエが借りられるし、アルバイトもしなくてよい。眠れないほど嬉しかったが、翌日には断りに行った。贈答品を意識して、どこかで相手が喜ぶような要素を入れるようになるじゃないか。何年かたったら次第にそればっかりの絵描きになる。その何年かを取り戻すことはできない。32歳の時の話。
・ぼくには大切な3人の人がいる。「おまえは自分の好きなように描けばよい」と言ってくれた小学校の今中先生、「立体のコップをどうやって平面の紙にもぐらせるか、その仕掛けを自分で考えてみろ」と言ってくれた中学校の鳥飼先生、「セザンヌをよくみろ」と言われ、キュービズムの理知的な世界に導いてくれた今中通中さん。この3人に比べれば美術学校で学んだことなどどうでもよかった。
と、こんな話がどんどん続く。読み進むにつれ、私は絵の進化路のずうっと始めの方にいることが分かるが、歩く行く先にはそんな道があり、いつか腑に落ちるときがあるかもしれない。