ボランタリー画廊   副題「げってん」・「ギャラリーNON] 

「げってん」はある画廊オーナとその画廊を往来した作家達のノンフィクション。「ギャラリーNON]は絵画を通して想いを発信。

ギャラリーNON(55) DON小品展(3)

2012年01月26日 | 随筆
 
 小倉北区室町は長崎街道の始点だそうで、おそらく今でいう国道3号線に当たる幹道であったのだろう。街中にはそんな面影は見当たらないが、橋の向こうへ続く幅の狭い道路は多分昔のままなのであろう。
 
 私の知る昔の室町は歓楽街で、通り抜けるのもスリリングだった。友達とストリップ劇場に行ってみようということになった。たまたま、友達の友達が仕事の道中で寄り道をして一泊二日の休日を楽しみたいとのこと。さそって3人となった。
 どこか悪びれて、はっきりしない浮遊感で外に出た。遠来の友が開口一番、
 「お金を払って裸を見たのは初めてだ」 と。
 ・・・じゃあ払わないでどうやって見るのだろうと疑問が湧いたが、聞かずとも答えてくれた。彼はインターン(研修医)だった。

 スケッチは楽しい。それをそのままDONに持ち込み小品展にする。見てくださるかたがたにも夫々の想いがあるらしい。

ギャラリーNON(54) DON小品展(2)

2012年01月21日 | 随筆
 彦島港から日明港へ引き返し、その足で小倉の街を歩いた。よく来る街であるがゆっくり歩き回ることは少ない。古船場町のホテルから少し引っ込んだところの安い駐車場に車を置いてポツポツと歩く。
 京町を歩いていると、狭い道の向こうに異様なビルが見えた。

 リバーウォーク北九州、8年前に営業開始した複合商業ビルだ。すぐ近くに小倉城があり、遠目には、彩度と形態の際立つ五色のリバーウォークと、黒白の城と、それに四角い箱のような市庁舎の形態対比と色彩対比がどうも馴染めない。
 日本人は城を大切にするが、一体城とは何だろう。およそ750年前から小倉城(城の呼び名も変遷あり)という行政拠点は時代の移り変わりと共に荒らされたり、再建されたりで、もう城作りは止めようという発想は無かったように見える。日本人の象徴、それが城なのかもしれない。私は、ぎっしり詰まった商業ビルよりも、象徴的な天守閣よりも、城周辺のいわゆる無駄な空間である余白が好きだ。

 京町のその道を抜けると勝山橋交差点に出る。ちょっと都会風の風景を切り取ることが出来た。紫川に掛かる橋もいろいろで、関東大震災の復興にも発想されたような橋々が連なる。
 私が就職で北九州に来た1960年頃の紫川はおよそ川底の見えない汚れた川だった。橋の欄干から釣り糸を垂らしてサヨリを釣っていた。河口には臨海公園(遊技場)があった。洒落た喫茶店、贅沢感のある店も出始めた頃で、夜はキャバレーやクラブが全盛期を迎えようとしていた。この橋の近くの店でボラれた苦い経験もある。

ギャラリーNON(53) DON小品展

2012年01月16日 | 随筆
 小倉北区京町にある珈琲館DON(軽食喫茶店)は、店主のご趣味だと思うが、壁に年中絵が掛けてある。24人の作家をパネリストにして半月毎に作品が入れ替わる。小品10点くらいを飾ることができる。店主は画商行為は一切なさらないので、作家側からすれば自由な発表の場といったところである。
 私がパネリストの一人となったのは2008年であったから2011年は4回目の発表となった。フワッとお仲間に入れてもらったので、出品意識もフワッとしており肩に力が入った覚えが無い。その分、普段着の私が表れているのではないかと思う。

 2011年11月末で、日明港と彦島港を結ぶ関門フェリーが廃業するというので、廃業一週間前、こんな航路があったことを覚えておこうと乗り込んだ。所要時間は僅か15分程度であるが、澄み切った空気に雲間から陽射しがあり、強い風のせいか船は揺れた。スケッチをすると酔いそうだから、舟の中央に跨って眺めを楽しんだ。沖合いから住金・小倉工場を見ると戦艦のようだ。
 

右左に貨物船が走る狭い海峡を、このフェリーは横断歩道のない国道を横切るように上手に走る。
なぜこの航路を閉じるのだろう。このところ高速道路通行料が安くなったり高くなったり、ETCばかり売れたり、円高で石油の値段が上がったり、およそ政治性が感じられないことが続いている。

 彦島に着いた。車をこの島の出来るだけ外周を走らせた。
 西山海岸に出ると空は雲がかき消され、この時季にしては明るすぎる陽射しとなった。つぎつぎに押し寄せる波をスケッチしながら、描き逃したかっこいい波が又来るのを待つ。また描き逃す。
 波の絵が描けた。