「げってん」とは九州北部の方言で「頑固者」の意。頑固という言葉の奥には「一徹」、「清廉」、「ひねくれ」、「やんちゃ」、「へそまがり」など人間臭い意味がある。私が知ることになったそんな人のことを書きたい。その人の名は光安鐵男72歳、マルミツ画廊主のことである。
1965年11月3日、眼鏡店の壁付けディスプレイ棚が撤去され、L字状の壁に国画会の出品を終えた油絵の大作を並べてマルミツ簡易画廊はオープンした。
いささか絵画に興味のあった彼は、ある日、美術教師のかたわら中央展に出品している若い画家の家を訪ねます。三畳のアトリエで冷酒を酌み交わしているとき、突然、画家は言い出します。
「地方に住んでいる画家は寂しいですねエ! 真骨を削って描いた絵も東京の展覧会に出品が済むと地元の誰にも見てもらえず、こうしてしまうだけです。自分を納得させるだけの繰り返しですが、これでは全くマスターベーションです。尤も、絵かきなんて描き描き人生ですが」
彼は、この愚痴とも洒落ともとれる話を聞き捨てにはできず、酒の勢いもあって店舗の壁面を地方の画家たちに開放することを約束した。
1965年と言えば、戦後の高度経済成長が国民の一人一人に感じられ始めた頃。画材が買えるようになり、長い冬眠から覚めて絵を描き始めた頃。しかし、まだ発表の場が多くは与えられていなかった頃である。
眼鏡フレームと油絵大作との取り合わせは異様であるが、流石に油絵の存在感は強烈である。眼鏡店の小さな応接セットはやがて画家たちに占領されることになり、彼は眼鏡の仕事は職人さんに任せて、自分は毎晩画家たちと冷酒を酌み交わし、出費はあっても一銭も儲けにならない画廊主へと転身していくのである。げってんらしさの始まりである。
(この文章の一部は、1990年、西日本新聞連載「ふりかえると四半世紀・マルミツ画廊よもやまばなし」を引用しています)