6月12日、菅官房長官はアベノマスクについて「15日までに配布完了見込み。最後まで着実に進めていきたい」と記者会見で語った。4月に安倍総理が配布の発表して以来、これほど悪評の高い「政策」も珍しいが、それをいまだに続行しているということである。
多くのメディアによれば、布マスクの配布は、安倍政権の支持率低下を食い止めるためのアイデアだったという。結果は、支持率低下を食い止めるどころか、むしろ、SNSの安倍総理の団欒の様子と並んで、支持率をさらに低下させるものにしかならなかった。そのことは、実際にはこの政権自身が最も正確に理解しているはずだ。
しかしこの政権は、自らの間違いを外に対しては、決して認めようとしないのだ。当初の目的の支持率上昇を考えるなら、悪評が立った段階で、すぐに撤回し、マスクを必要とする施設等に配布する方向に変更するなどすれば良い。そのことで、むしろ支持率は上昇が期待できただろう。それを当初どおりに続行することは、彼ら自身の利益にも反するのだが、ここに安倍政権の一つの特徴がある。
安倍政権は、間違いを絶対に認めようとしない。今までも、「モリカケ」を初め、多くの批判に際し、徹底して最後まで、「間違いはなかった」の一本槍である。しかし、それらの議事録等の公文書の廃棄を意図的に行っているのを考えれば、彼ら自身は間違いを認識しているのである。間違っていなければ、廃棄の必要はないのであり、間違いを認識しているから、該当する公文書の存在が、彼らにとっては、あってはならないのである。政権を補佐する上級官僚はすべて高等教育を受けた者たちであり、その者たちが、近代国家での公文書の重要性を理解していないことなどあり得ない。廃棄が作為的なのは明らかである。コロナ危機でも、専門家会議の議事録を作成していない。後ろめたいことがなければ、議事録を残すはずである。彼ら自身が、記録されてはまずいという認識があるから、議事録を作成しなかった、そう考えるのが自然の理である。
国会論戦で安倍総理が、野党の批判に対し、まるで逆上したかのように色をなして声高に反論する様子が度々見られる。何がなんでも、間違いは頑なに認めようとしない。ここにも、安倍政権の姿勢が顕著に表れている。
恐らくそれは、一つの間違いを認めることが、連鎖反応を起こし、多くの批判を浴びることにつながると心配しているからなのだろう。一つの小さな穴から、みるみるうちに穴が拡大し、政権が瓦解する、そんなイメージを安倍総理が抱いているからだろう。安倍晋三、彼は強気の外見を装っているが、内心は気弱な「独裁者」なのかもしれない。