夏原 想の少数異見 ーすべてを疑えー

混迷する世界で「真実はこの一点にあるとまでは断定できないが、おぼろげながらこの辺にありそうだ」を自分自身の言葉で追求する

菅首相は「分科会の了承を得ました」と言うが、「分科会」は首相より上位の機関なのか?

2021-06-22 10:17:43 | 政治
「分科会」は首相より上位の機関?

「イベント上限1万人案を分科会了承」ANN6月16日
「東京など『重点措置』移行 関東3県の期間延長 分科会了承」NHK6月17日
 昨年来、このようなコロナ対策の政府案を「分科会が了承」という言葉が、マスメディアから、たびたび流される。菅首相も「分科会の了承を得ました」と記者会見で、この言葉を使う。「了承」とは、「上司の了承を得る」というように使われる言葉であって、「部下の了承を得る」とは使われず、言外に「上司の了承を得なければ、それはできない」という意味を持つ。この言葉を言葉どおりに捉えれば、了承が得られたから実施するのであり、了承が得られなければ政府案は実施しないというふうに解釈できる。これでは、あたかも内閣府総理大臣より「分科会」は上位にあり、政府案に対する決定権を持つことになってしまう。こんな馬鹿げたことがあるのだろうか?

分科会とは
 この分科会とは、新型インフルエンザ等対策特別措置法(平成 24 年法律第 31 号)の 第七十条の二 「新型インフルエンザ等対策の推進を図るため、内閣に、新型インフルエンザ 等対策推進会議(以下「会議」という。)を置く」の「会議」の一部のことである。同年8月3日、上記の法に基づく「新型インフルエンザ等対策閣僚会議」の下に「有識者会議」が置かれた。その中の分科会として、令和2年2月14日の「感染症対策本部」決定により「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」が置かれ、令和2年7月3日の 閣議決定で「新型コロナウイルス感染症対策分科会」に変更され、現在に至っている。それがこの「分科会」である。しかし、政府が設置したのはこれだけではなく、厚労省内に「アドバイザーリポート」「クラスター対策班」、有識者会議の下に「諮問会議」などがあり、ほぼ同じメンバーで設置されている。法的根拠は特別措置法にあるはずなのだが、実際には「感染症対策会議決定」の名のもとに乱立され、それがこの「分科会」の位置づけを不明瞭にした一因ともなっている。
 その役割は、上記の特別措置法以外の根拠はあり得ない。それは、第七十条の三での、「次に掲げる事務をつかさどる」ことであり、「内閣総理大臣又は政府対策本部長に意見を述べること」と、「新型インフルエンザ等対策について調査審議し、必要があると認めるときは、内閣総理大臣又は政府対策本部長に意見を述べること 」だけである。当然のことだが、「調査審議し」、「意見を述べる」だけの機関であり、どこにも「政府案を了承する」かどうか権限がある、などとはなっていない。
 
 政府に飲み込まれた「会議」
 日本政府は数多くの専門家による諮問会議を設置しているが、その狙いは政策は「専門家」の意見を聴いて実行しているという形を取りたいためである。だから、「専門家」と言っても、政府に忠実な意見を持つ人物しか選考しない。コロナ対策も、「専門家」の意見を聴いて対策を講じているとしたかったのだと思われる。しかし、通常の政策とは違い、コロナ対策は大問題であるため、他の政策とはけた違いに失敗は責任を問われるので、それは避けたい。また、対策は専門家の意見と同じで医学的・科学的見地に基づいているというイメージをつくりたい。そのために、「専門家会議」も実際は政府の一部機関に過ぎず、上からの圧力で政府案に沿った意見を言わせる。あるいは、部分的な反対意見は公表しない。記者会見に同席させ、一体化しているように見せかける。そういった工作が行われた。この責政府側の罠に「専門家」がまんまと嵌ったのである。
「国の政策や感染症対策は専門家会議が決めているというイメージが作られ、あるいは作ってしまった(毎日新聞2020.6.30)」と専門家会議の脇田隆宇が言ったのは、実情を表している。
 菅首相が「分科会の了承を得ました」というのは、その延長線上にあるのである。
 
 腰砕けの「尾身会長の反乱」
 「分科会会長」の尾身茂も、さすがに医学者としての良心に目覚めたのか、最近になって、政府と異なる意見を公表するようになった。5月14日に政府方針に反し、緊急事態宣言の対象地域を拡大すべきだと発言し、東京五輪には「パンデミックの状況でやるというのは、普通はない 」と言った。パンデミックは終わりそうもないのであるから、「普通はない」というのは、「中止すべきだ」という意味である。
 しかし、その後は菅政権幹部からの批判もあり、トーンダウンし始めた。尾身と分科会有志でまとめた「提言」でも、無観客開催が望ましいとも記したが、中止は求めなかった。 また、開催での感染リスクを「無観客」「有観客」に分けて 細かく注文をつけた。
 にもかかわらず、それに対して、政府、IOCや組織委員会の対応は、「完全無視」というものだった。数ヶ月前までは、開催しても「無観客」の流れができつつあったのだが、世論調査で開催中止派が減少したのを見計らって、観客上限1万人と決定したのだ。政府に逆らう「専門家」に用はない、ということである。 
 
 政権から独立した医学的機関?
 現在の政府内部に取り込まれた「専門家会議」や「分科会」ではなく、アメリカのCDCのような、政権から独立した機関が必要だという意見がある。確かに、そうであれば、尾身茂も「学者の良心」を疑われることなく、もっと自由な発言ができただろう。しかしそれでも、安倍・菅政権は耳を傾けるふりをするだけで、政策決定には影響させないに違いない。もともと政権には、科学的、医学的見地に従う気などさらさらないのである。この辺は、トランプやブラジルのボルソナロと同様なのであって、最も優先すべきは「経済」なのである。それを変えさせるのには、やめてもらうしかないのである。
 
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