夏原 想の少数異見 ーすべてを疑えー

混迷する世界で「真実はこの一点にあるとまでは断定できないが、おぼろげながらこの辺にありそうだ」を自分自身の言葉で追求する

「戦争狂の殺人鬼と化したプーチン(6) ロシアと西側の情報戦」

2022-03-19 16:06:27 | 社会
 

英国放送規制当局が、RTの免許を剥奪した後、ロシアは英国メディアを脅す(The Guardian 15 March 2022)
 
 ロシア政府のプロパガンダが、凄まじい。ロシア国営放送RT(旧Russia Today)によれば、ウクライナはネオナチが政府を支配し、特に、ロシア語話者を弾圧しているという。ナチ政権下のドイツのようだ、と描いている。だから、ロシア軍はウクライナ国民を解放するために、「特別軍事作戦」を展開しているという。
 早朝のNHKBS海外放送は、それまでRTを流していたのだが、批判が高まり、その枠をウクライナ公共放送に変えたが、多くの西側諸国では、ロシアのRTやスプートニクを遮断するなど、ロシア政府の情報を制限し始めた。
 しかし、RTの放送が、1から100まですべてウソかと言えば、そうではない。RTは、ロシア軍支配下地域の住宅地にウクライナ側のミサイルが着弾し、住民の犠牲者が出たと報じたが、恐らくは本当だろう。戦争が起こっているのであり、ウクライナ軍が、ロシア軍支配地域にミサイル攻撃をするのは、当然だからだ。ロシア軍もウクライナ軍も住宅地近辺にも展開しているのだから、住宅地も攻撃は受けるのである。また、ネオナチはマイダン革命(選挙で正当に選出された政権を武力で崩壊させたのだから、クーデターとも言える)時に、大きな威力を行使したのは、多くの専門家が指摘している。だから、ネオナチは今のウクライナ側にいるのは間違いない。しかしそれを、針小棒大のように放送しているのである。
 では、西側メディアがすべて正しいかと言えば、そうでもない。西側メディアは、一つ一つはフェイクではないのだが、都合の悪いことは言及しないか、ほんの僅かしか伝えないという特質をもっている。日本のテレビ・新聞が、政府に都合の悪いことは、なるべく言わないことがあるように、欧米の新聞、テレビも同様である。
 それは、アメリカメディアが、民主党寄りと共和党よりに分かれているが、双方がフェイクニュースを流しているのではなく、民主党寄りのメディアは、民主党に都合のいいニュースを流し、共和党寄りのメディアは、共和党に都合のいいニュースを流していることと同じである。特に、メディアには、オピニオン欄やanalysis分析欄(テレビも同様に「専門家」を出演させ、意見を述べる)があるが、そこに掲載されるオピニオンや分析は、自分たちに近い立場のものなのである。それがメディアの論調である。対ロシアで言えば、ほとんどすべての西側メディアは、クリミアの「ロシアによる併合」に(国際法上は、不法な併合に違いないが)「一方的」と枕言葉をつけ(併合は常に「一方的」であり、敢えて「一方的」という意味はない)、実際のクリミア住民のルポなどは放送しないなどがそれである。これでは、クリミアでロシア軍への抵抗が小さく、他の地域で極端に大きい理由の説明がつかない。それは、クリミアの大半の住民は、ロシア人という意識が強く、それは、都合が悪いから伝えないのである。
 都合が悪いことを僅かしか伝えない例を挙げると、以下は英紙ガーディアンに2004年に掲載さてた記事である。「キエフの背後にあるアメリカのキャンペーン」と題されたものだが、所謂「カラー革命」をアメリカが支援した様子が描かれている。
 この記事は、アメリカがいかに東欧を西側寄りに導くために、明らかに他国の選挙に干渉する活動を行ってきたかを示しており、ロシアによる自国の選挙への不正干渉を非難するアメリカにとっては、非常に都合が悪い。したがって、最近はこのような記事は、ガーディアンには掲載されない。
 
 おおざっぱに言えば、ロシアメディアは大嘘つきだが、西側メディアは小嘘つきなのである。

 確かに、ロシア・中国に比べ、西側自由民主主義国は、人びとの情報へのアクセスという意味では、遥かに優れた制度を持っているとは言える。しかし、その西側も、人びとの情報へのアクセスは、現実には極めて不公平なものなのである。政府とそれを支える体制側には、自分たちに都合のいい情報を大音量で流せるシステムになっているからである。ロシア・中国では、反政府の情報は禁止されるが、西側では禁止されることはない。だがしかし、実態としては、その情報は小さな声でしか流せない。それは、根本的にはメディアの多くが営利としての制約を受けるからである。テレビは、視聴率から自由にはなれないし、新聞・雑誌は、部数の増減から、また、広告主の意向からも自由にはなれないからである。だから、「受け狙い」になり、特に国家の争いには、どうしてもナショナリズムに傾くのである。また、公共放送は、NHKを見て分かるように、政治権力から、完全に自由になれないのは、言うまでもない。
 メディアが発達し、人びとが大量の情報にアクセスする現代と、基本が口コミしかなかった、ルソーの時代(識字率が低く、新聞は知識階層しか読めなかった。)とは、民主主義の様相は、様変わりしているのである。
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「戦争狂の殺人鬼と化したプ... | トップ | 「戦争狂の殺人鬼と化したプ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

社会」カテゴリの最新記事