TANEの独り言

日々の生活の中でのつぶやきだから聞き流してネ

意を決っして、旅に出る …【第19話】

2022-10-15 18:10:00 | 夢実現に向けて
『摩利支天』の山頂で、鳳凰三山とその奥に鎮座する富士山を拝みながら、一人静かに昼食を摂りました。

40数年間、胸の奥の方に常にあり今だに気に掛かっていた夏合宿での『欠けたパーツ』が、この場所に立てたことでやっと収まった感じがしました。

大袈裟に聞こえるかもしれませんが、

『これまでの40数年間はこの瞬間のためにあったんだ… 』

とさえ、思われました。

それも私が誕生した日に、これ以上ない晴天に恵まれ、雲海の上に富士山のシルエット付きでしたから… 。


ゆったりと流れる時間を『摩利支天』の頂きで過ごした私は、帰路につきました。


これから北沢峠経由で長衛小屋のキャンプサイトまで下り、テント撤収後に北沢峠まで戻って登山バスに乗らなければなりません。

もっと言うなら、登山バスに1時間程揺られたら愛車に乗り、九州まで帰り着かなければ私の旅は完結しないのです。


風化した花崗岩の白い粒が一面に広がる登山道を気を引き締めて下って行きました。


今まで静かだった雲海が、少しずつ波打つように動き始めます。


来る時に登ってきた仙水峠を白い雲が乗り越えてきました。


北側の富山湾方面も雲で隠れ始めています。

針葉樹の林の中はガスの中でした。


どこまでも、どこまでも、ただひたすら下って行きました。


苔むした林は北沢峠が近いことを告げていました。


木立の間から峠に建つ山小屋が見えてきた時、私はホッと安堵しました。


山小屋の前の石段には、私を労わるように優しく咲いていました。


バスの時間を確認し、長衛小屋のキャンプサイトまで急ぎテント撤収です。


居心地が良かった長衛小屋のキャンプサイトともお別れし、再び北沢峠へ急ぎましす。

この上り坂が、今回の旅の中で一番応えました。

なかなか足が上がらないのです。

バスが出るまでの僅かな時間に、40数年前に仲間と一緒に撮った記念写真の場所を探してみましたが、はっきりしませんでした。



今回、何枚か撮った写真の中にそれらしき場所を帰宅後に見つけることになります。


看板は建て替えてありますが、背景の木々の色や立ち位置を比べてみてください。


石は動かしてあると思いますが、下の写真の右側の石は40数年前の写真の一番左側に写っている石だと思うのは私だけでしょうか?











意を決っして、旅に出る …【第18話】

2022-10-14 22:21:00 | 夢実現に向けて
自分の誕生日に甲斐駒ヶ岳の山頂で富士山をはじめ南アルプスの山々・中央アルプス・北アルプス・八ヶ岳等々絶景を望む事ができました。









計画では甲斐駒ヶ岳の山頂で昼食を食べる予定でしたが、まだ正午には時間がありましたので『摩利支天』に向かいました。

直登コースと比べると風化した花崗岩の粒が登山靴の下でズルズルと滑ります。

滑りやすい下り坂を『摩利支天』に続く分岐まで小刻みのステップで軽快に下って行きました。

甲斐駒ヶ岳は多くの人で賑わっていましたが、『摩利支天』へ向かう人はごく少数でした。


40数年前、夏合宿で南アルプスに来た時に甲斐駒ヶ岳と並び登りたかったのが『摩利支天』でした。

『摩利支天』と言う名の響きと、山頂に2本の剣が祀られているという神秘的な雰囲気を纏った頂きを見てみたかったからでした。

風化した花崗岩の白い登山道を、64歳になった私は『摩利支天』に向けて一歩一歩足を踏み出しました。



誰も居ない静かな山頂は甲斐駒ヶ岳にも増して私を幸せな気持ちにしてくれたのでした。



『摩利支天』から見る富士山は、手前に鳳凰三山を配し、まるで厳かな “神” か “仏” の姿に見えたのです。

予想だにしていなかったその “眺め” を見ながら、厳かな気持ちで一人だけで誕生日を祝ったのでした。









意を決っして、旅に出る …【第17話】

2022-10-12 14:59:00 | 夢実現に向けて
9月25日(日)、この日は私の64歳の誕生日です。

朝4時に目を覚ました私は、お湯を注ぐだけでできるまぜご飯をお腹に入れ、お昼に飲むコーヒー用のお湯も保温の効く水筒に準備しました。


テントは張ったままで、サブザックに最小限の荷物を入れ、甲斐駒ヶ岳に向けて5時半に出発しました。


甲斐駒ヶ岳の姿を早く見たかったので、仙水峠に出るコースを登って行きます。


仙水小屋の前を通り、


苔の道を抜けて、


ゴロゴロした岩が一面に広がる谷を上がって行くと、背後に南アルプスの女王と称される仙丈岳が顔を見せてくれました。


仙水峠に出ると展望が開けました。



雲海の上には南に地蔵岳のオベリスク、東の方向に八ヶ岳も望むことができます。



もちろん、甲斐駒ヶ岳も目の前に聳え立っています。

甲斐駒ヶ岳は “南アルプスの貴公子” と呼ばれるだけあって、ピラミダルなその形状は見る人を惹きつけます。

甲斐駒ヶ岳の右手には『摩利支天』があり、この頂きには剣が祀られています。


急登を黙々と登って行くと駒津峰に出ました。



これから先、岩場が続き鎖場も出てきます。

鳳凰三山の向こうに富士山が美しい姿を見せています。


キャンプ場を出て4時間、ついに私は甲斐駒ヶ岳の山頂に立つことができたのでした。


これ以上望めない程の最高の天気でした。











意を決っして、旅に出る …【第16話】

2022-10-11 15:16:00 | 夢実現に向けて
てっきりガスに包まれていると思っていた北沢峠にガスは出ておらず、木々の緑が目に飛び込んできました。

今日の宿泊場所は峠から10分ほど下った所にある長衛小屋のキャンプサイトです。

キャンプ場に続く山道の脇は苔に覆われていて、水の豊かな南アルプスに来たことを感じさせてくれます。


苔の緑が鮮やかです。


台風の接近で半ば諦めかけていた甲斐駒ヶ岳でしたが、今、私は南アルプスの峠道を歩いているのです。


木立の間からキャンプ場に張られたテントが見えてきました。


沢を流れる水の音や人の声も聞こえてくるのです。


私は長衛小屋で受付を済ませ、どの辺りにテントを張ろうかと場所をさがしました。


沢沿いに絶好のスペースを見つけ… 、



テントが立ち上がる頃には青空まで見えてきました。

針葉樹の稜線の向こうに甲斐駒ヶ岳と思われる花崗岩の白い頂きも現れました。

この日は明日の甲斐駒ヶ岳登山に備えてゆっくり過ごします。

午後2時頃には、長衛小屋からおでんを調達し缶ビールを飲みながらマッタリと過ごしました。


午後4時頃には上空一面を青空が覆いました。


『思っていた通り、天気は回復してきたぞ!』

私は稜線越しに見える花崗岩の白い頂きを眺めながら、40数年を経て目的が達成できる幸せを感じていました。












意を決っして、旅に出る …【第15話】

2022-10-10 13:47:00 | 夢実現に向けて
12:10発 北沢峠行きの登山バスに「1」番で乗車した私は、1番前の席に座ることができました。

40数年前に仲間とともに北沢峠まで自転車を押し上げ続けた道を、登山バスで登っているのです。


なぜ40数年前は自転車を押して登らなければならなかったか、まだ話していなかったですね…

当時、南アルプススーパー林道は開通したばかりの道で、南アルプスを横断するサイクリングルートとして雑誌にも紹介されました。

ワンダーフォーゲル部であった私は、中部山岳地帯の数カ所の山々を自転車で周る夏合宿を計画したのです。

九州から国鉄で自転車を輪行し塩尻まで行き、白樺湖のある霧ヶ峰や北八ヶ岳、南八ヶ岳、甲斐駒ヶ岳や北岳・間ノ岳・農鳥岳など南アルプス北部、最後は富士山まで登るという壮大な計画でした。

ところが、合宿中盤の南アルプススーパー林道の入口のゲートまで来た時に、“自転車は通せない” と足止めを食らってしまったのでした。



サイクリング雑誌等で紹介されたために、多くのサイクリストがココを訪れ、地元の人たちとのトラブルや事故が起こっていたのでしょう。

私はゲートの管理をしていた方と話をし、北沢峠まで自転車を押して上がる事を約束し、翌日の朝にゲートを通してもらったのでした。

長い長い道のりでした。

当時は林道のほとんどが砂利道で、イヤになる程何度も何度もカーブを曲がりながら北沢峠を目指したのです。

今回はバスで1時間くらいかかりましたので、40数年前は7〜8時間はかかったろうと思います。



私はバスの最前列で、かつて仲間と自転車を押し続けた坂道を、昔の記憶を辿るように見つめたのです。

『約束したとは言え、よくもまぁコンな道を北沢峠まで… 』

忘れていたその時の辛さや意地でも約束を守り通そうとした感情が蘇ってきたのです。

バスのフロントガラス越しの林道を見ながら、急に胸が熱くなるのを感じていました。



林道は砂利道に変わり、バスが最後のカーブを曲がると北沢峠が見えてきました。


40数年振りに訪れる北沢峠でした… 。