『摩利支天』の山頂で、鳳凰三山とその奥に鎮座する富士山を拝みながら、一人静かに昼食を摂りました。
今回、何枚か撮った写真の中にそれらしき場所を帰宅後に見つけることになります。
40数年間、胸の奥の方に常にあり今だに気に掛かっていた夏合宿での『欠けたパーツ』が、この場所に立てたことでやっと収まった感じがしました。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、
『これまでの40数年間はこの瞬間のためにあったんだ… 』
とさえ、思われました。
それも私が誕生した日に、これ以上ない晴天に恵まれ、雲海の上に富士山のシルエット付きでしたから… 。
ゆったりと流れる時間を『摩利支天』の頂きで過ごした私は、帰路につきました。
これから北沢峠経由で長衛小屋のキャンプサイトまで下り、テント撤収後に北沢峠まで戻って登山バスに乗らなければなりません。
もっと言うなら、登山バスに1時間程揺られたら愛車に乗り、九州まで帰り着かなければ私の旅は完結しないのです。
風化した花崗岩の白い粒が一面に広がる登山道を気を引き締めて下って行きました。
今まで静かだった雲海が、少しずつ波打つように動き始めます。
来る時に登ってきた仙水峠を白い雲が乗り越えてきました。
北側の富山湾方面も雲で隠れ始めています。
針葉樹の林の中はガスの中でした。
どこまでも、どこまでも、ただひたすら下って行きました。
苔むした林は北沢峠が近いことを告げていました。
木立の間から峠に建つ山小屋が見えてきた時、私はホッと安堵しました。
山小屋の前の石段には、私を労わるように優しく咲いていました。
バスの時間を確認し、長衛小屋のキャンプサイトまで急ぎテント撤収です。
居心地が良かった長衛小屋のキャンプサイトともお別れし、再び北沢峠へ急ぎましす。
この上り坂が、今回の旅の中で一番応えました。
なかなか足が上がらないのです。
バスが出るまでの僅かな時間に、40数年前に仲間と一緒に撮った記念写真の場所を探してみましたが、はっきりしませんでした。
今回、何枚か撮った写真の中にそれらしき場所を帰宅後に見つけることになります。
看板は建て替えてありますが、背景の木々の色や立ち位置を比べてみてください。
石は動かしてあると思いますが、下の写真の右側の石は40数年前の写真の一番左側に写っている石だと思うのは私だけでしょうか?