TANEの独り言

日々の生活の中でのつぶやきだから聞き流してネ

お世話になった先輩とのテント泊【前編】

2022-06-07 22:31:00 | 日記
昔、昔の話です。

学生時代、私は地元の大学に通っていました。

入学した当初は、毎日、自転車と国鉄(民営化でした)を使って大学と自宅を往復していました。

夏が過ぎた頃、私はW.V(ワンダーフォーゲル、略してワンゲル)部の門を叩きました。



それからと言うもの、サークル活動の後に飲む機会が増え、度々終電に駆け込む事が多くなりました。

随分と飲み過ぎた日には、眠り込んでしまい100km先にある終点の駅に朝方到着という事も何度かありました。

という訳で、無理して家に帰ることはせず仲間や先輩の下宿に泊めてもらっていたのでした。


話は現在に戻ります。

40数年前に私がよく泊めてもらい、とてもお世話になっていたW.V部のO先輩から先週初めに連絡が入りました。

「次の日曜日にそっちで用事があるんで、前入りして土曜日に△△のキャンプ場でテント泊しようと思うとんやけど、都合はどうかなと思って… 」

そのキャンプ場は、コロナ感染者が減少したことでつい最近キャンプができるようになったばかりとの事でした。

学生時代にお世話になったO先輩とは大学を卒業してからも山仲間の結婚式やOB会などで何度か顔を合わせる機会はありました。

でも、ここ数年はコロナ禍でその機会は無くなったままでした。

学生時代だけでなく、卒業後も事あるごとに声を掛けてもらったり力を貸してもらっう事もありましたので、O先輩からのテント泊のお誘いを断わる理由など私にはありませんでした。

O先輩も自分の同期にも声を掛けるとの事でしたので、私も同期にこの件を伝えたのでした。

しかし、まだまだコロナの心配が無くなった訳ではありません。

私の同期に対しては、無理をして顔を出すことがないようにその点は注意して伝えたつもりです。


さて、お世話になった先輩とのキャンプは山仲間との宝満山登山の翌々日です。

同時並行しての準備となりますが、抜かりは無いでしょうか?








いざ、宝満山へ!<後編>

2022-06-05 16:30:00 | 山行
何度か車道を横切りながら、爽やかな朝の登山道を2人で登っていきました。

懐かしい学生時代の山の思い出や大変だったベトナム脱出劇の話、帰国後の自転車の旅やこれからの夢の事など、時間を気にせず話しながら歩きました。

途中、こんな看板も見つけました。


『宝満山を登るカエル』の看板です。

注意して登山道に目を落とすと、1cmにも満たない小さなカエルが必死に山道を山頂に向かい登っているのです。


小さな体でカエルにとってはとてつもない高さの山に挑戦している姿に、自分たちの姿を重ね、しばらく2人で見守るように見入ってしまいました。


コースタイムの2倍以上の時間をかけて、私たちもゆっくりとゆっくりと登っていきました。

その間、会話は途切れません。

コロナ禍で会うことができなかった時間を取り戻そうとしているかのように話し続けました。

登り始めて3時間も過ぎる頃に山頂に着きました。



40数年も前、私は先に入部していたH田君やT福君、今は亡きS永君に誘われ若杉山から宝満山まで縦走しました。

私にとってワンゲル最初の山行でした。

その時、夜に山頂の岩の上で、福岡の夜景を見ながら4人で酒を飲んだのです。

私は、

『やっと本当の仲間を見つけることができた!』

という思いがしたのです。

   …その思いは今でも続いています… 





40数年ぶりに旧友と登った宝満山は、昔を懐かしむ山行であると同時に、仲間との繋がりを再確認する山行でした。

山頂の岩の上で、彼の奥さんが焼いたパンと私が握ったおにぎりを食べ、そして帰りの道も、話をしながらゆっくりゆっくり降りてきたのでした。











いざ、宝満山へ!<中編>

2022-06-04 10:28:00 | 山行
原田駅前のロータリーに車を着けていることをLINEで伝え、電車が到着する時間まで待っていた時のことです。

待ち合わせ時間前に、私の車の後部座席の窓をノックする音がします。

運転席から振り返ると、知らないおじさんが中を覗き込んでいるではありませんか!

そのおじさんは、私に向かって右手を上げながら微笑んでいます。

『このおじさん何か勘違いしてる… 。山登りの格好をしているところをみると、この人も誰かと待ち合わせしてるのかな… 』

と、私はどう対処しようかと戸惑いながらも想像を巡らしていると、そのおじさんは、

「おー、TANEさんお久しぶりでーす!」

と、ニコニコしながら窓越しに声を掛けてきたのです。

その時やっと、そのおじさんが旧友であることに気が付きました。

電車の到着時間前だったこともあり、つい2カ月前(吉野桜を見に行く途中で30分ほどですが)彼に会っていたのに、本人と分からなかったのでした。

後で確認したところ、電車の到着時間を私が勘違いしていたのでした。


変な再会で始まった40数年ぶりの宝満山登山ですが、登山口の宝満宮竈門神社に向かう車の中は笑いで包まれたのでした。


ところで、この宝満宮竈門神社はあの『鬼滅の刃』の聖地の一つになっている場所です。



炭治郎・禰󠄀豆子の姓が “竈門(かまど)” ということだけでなく、大宰府政庁から見て鬼門(北東方向)にあるこの神社は “鬼を封じる” 役割があるとの事。

さらには、宝満山で修行する修験者の衣装に “市松模様” が使われているのだそうです。

私たちが竈門神社に着いたのは午前7時半前ですが、参拝に来た若い女性2人組の姿がありました。


さて、話は宝満山登山に戻ります。

登る準備を整えた私たちは、登山中に鬼が出てこないようにと竈門神社で参拝をすませヒンヤリとした登山道へと歩を進めたのでした。














いざ、宝満山へ!<前編>

2022-06-03 14:25:00 | 山行
学生時代からの山仲間が昨年の年末に、綱渡りのようにしてベトナムから帰国してきました。

彼とは当時、Skypeでのやりとりができていたので、住んでた家から空港へ出発した事や空港で出国のチェックを受けていることなどがリアルタイムで伝わってきました。

『覚悟を決めて打った中国製のワクチンだが、出国できるのだろうか… 』

『ピザをはじめとする書類に不備が無いといいのだが… 』

『日本の空港での検査が何事も無く終わりますように…  』

etc、etc…

私だけでなく、彼の家族や山の仲間たちが祈るような思いで彼の帰国を見守ったのです。

無事、日本へ帰国できたものの、その時は3週間のホテル隔離が義務付けられており、家族でさえ顔を合わせることは叶いませんでした。

隔離を終え自由の身になった暁には、昔の山仲間と宝満山に登ることを楽しみにしていました。

しかし、今年の1月以降コロナ感染者の数は再度増加に転じ、宝満山登山はズルズルと先送りになったままでした。

『山は逃げないから!』

と、互いに言い聞かせて半年が過ぎました。

梅雨入りを前にして、新規感染者数は減少傾向です。

通勤通学する人もまだ少なく、登山者も少ない平日(6月2日)の早朝、彼と私の2人だけで ”下見“ と称して宝満山へ登ることにしました。

あくまでも他のメンバーと登る事を想定しての下見ですから… 

学生時代に登って以来、44年ぶりの宝満山です。

日の出を横目に待ち合わせ場所にむかいます。



午前6:30頃、宝満山登山口に近い原田駅前ロータリーに愛車を停め、電車でやってくる彼を待ったのでした。











あちこちに紫陽花

2022-06-01 18:42:00 | 日記
先日、庭の紫陽花の記事をupしました。

その紫陽花、湯ぶねに浸かりながら見るだけでは勿体ないということで、連れ合いがトイレにも玄関の小床にも飾ってくれました。



雨が降ったからでしょうか、数日前より赤色が濃くなり、中には紫っぽい色の花弁も見られます。



いよいよ梅雨入りも間近かかなぁ、といった感じです。



早いもので、今日から6月ですね。