テキスト主体

懐中電灯と双眼鏡と写真機を
テキスト主体で語ろうとする
(当然、その他についても、語ったりする)

ライト光機製 8×42 ダハプリズム双眼鏡

2013-07-16 22:52:02 | 双眼鏡 望遠鏡
中央道諏訪インターの売店や、ライト光機さんが企業として出展するイベント等で買うことが出来た、双眼鏡のひとつです。

以前にも紹介した双眼鏡ですが、付けてるストラップは、カメラアクセサリーのアルティザン&アーティストのイージースライダーシリーズ中のオリジン、ACAM-E25です。このストラップは以前ご紹介したときより種類が増えて、吊りストラップの細いもの、リングのもの、そして38ミリ幅の太いもの、と充実してきています。
短くしてチェスト位置で、長くして身体の横でたすき掛けにして、と、便利なストラップをこの双眼鏡に奢っているのは、長時間持ち出して身につけて歩き回る場合、第一候補がこの双眼鏡だからなのです。ソフトレザー製のしっかりしたケースも付属していましたが、バトラー式の対物キャップ、しっかりはまる接眼キャップのおかげで、そのままで何の不安もなく、見え味も良好で、星見でもダハ特有の光条がほぼ目立たない優秀なダハプリズム、そして、焦点が合ったとき、ふわっと浮き出てくる印象のある鋭く、かなり平坦な視野です。唯一、使いにくいほど緩かった接眼目当てのクリックストップも簡単な工夫で固定して万全の使いやすさになっています。


ライト光機さんは、国産ダハ双眼鏡の草分けですが、元々OEM生産主体のメーカーさんで、最近では、双眼鏡よりも射撃用のスコープで米国に於いて確固とした地位を築き、欧州でもその製品版図を拡大しつつあるようです。
下は、出展ブースを訪れた方に配っていた、42mm径の日本製レンズです。単体でもそれなりのお値段がすると思われるシャープなレンズでコーティング、コバ塗りも施してあり、合わせレンズですが、1000Gにも及ぶ射撃時の衝撃にも平気なだけあって、かなり頑強に接合されているようです。


一カ所で見る場合が多く歩いての移動がほぼ無い、星見では、勝間光学さん一二三光学さんのポロを使う場合が多いのですが、日中、長時間徒歩で散策する場合のダハの仕舞いの良さには、やはり一日の長があり、見え味も秀逸なこの双眼鏡は、一台だけ持ち出す場合は、コレ、的な機種なのです。

ランチョンミート

2013-07-15 15:09:59 | 脱線して底抜け
ポークランチョンミートの缶詰(空)です。
ポークランチョンミートとは、コンビーフの豚版のようなもので、もともとは発祥のホーメル社のSPAMというブランドの製品がWW2にて戦線に送ることの出来る動物性蛋白質として大量に消費され、広まり、今日に至ります。SPAMはふとしたきっかけで大量の迷惑メールを意味するspamの語源となり、当初ホーメル社はマイナスイメージの撤回に躍起になりましたが、いまでは逆手に取って、販促につなげるようになってます。SPAM以外にはヨーロッパのTULIP、写真の米国国内産WINDMILLなど、各社の製品があります。
食肉処理場が主体となって畜肉が流通する時代に、カタチ良く枝肉を切り分ける際に出る余剰の部分を上手く商品化するために作られた商品です。SPAMというブランドの由来も、Shoulder of pork and ham"(豚の肩肉ともも肉)が起源らしく、デンマークのTULIPも食肉加工業がその母体です。
上記に名を挙げた3ブランドとも、日本での販売は沖縄が中心で、どちらかというと動物性の脂っぽい料理に使われ、サラダなどに入れる場合は、つぶしたジャガイモなど、脂をよく吸ってくれる材料と使います。
私の場合、上から2/3ほどはそのまま焼いたり、あるいは他の野菜と一緒に炒めて食べますが、残り1/3はかなり塩味が濃いので炒めたタマネギと一緒に細かくしたものを溶き卵でオムレツ風に焼いて食べます。沖縄料理のポーク卵と似た雰囲気の味です。
減塩タイプの製品は、ハムカツにしても美味しくて、中身が柔らかいので、粗くしっかりとしたパン粉で揚げるのが食感が良くおすすめです。
以前、ご近所さんだった沖縄出身(姓からすぐに分かった)のおばさんは、お好み焼きに、炒めたゴーヤとこれの薄切りを入れて、沖縄風お好み焼きなるものをつくってくれ、おばさん家のコドモさんと一緒に食べたことがあります。少し焦げ加減になった焼き具合がちょうど良く、たくさん食べました。

CAN'T TAKE MY EYES OFF YOU

2013-07-14 22:48:36 | 本、小説、漫画、動画、映画、音楽等
”君の瞳に恋してる”と軽く意訳されるこの曲は、オリジナルはFourSeasonsによる甘い歌で、ホーンの音が印象的なラブソングです。
実に沢山のカバー曲があることで有名で、オリジナルよりずっとヒットした、BoysTownGangのカバーは私が思うもっとも成功したリバイバルソングです。
日本の歌手でも桜田淳子から始まって少女隊、椎名林檎、MISIAからキティちゃんまで、洋楽では、アンディ・ウィリアムスやシナトラのような大御所、フンパーディンク、シーナ・イーストンやローリーン・ヒル、などなど多数の歌手や、変わったところでは、女優のミシェル・ファイファーが出演した映画の中で歌っていたようです(その映画は小屋まで観に行ってるのですが、記憶に残っていません)。
BoysTownGangの曲は、別の意味でも思いで深い曲で、若かりし頃、一番よく聴いていたお気に入りを集めたカセットテープの先頭がこの曲で、カーステやウォークマン、何かにつけて、聴いていたテープなので、いきおいこのCAN'T TAKE MY EYES OFF YOUが耳馴染みというか、行動を始める際のスタートアップソングめいた感じでした。

BOY TOWN GANG - Can't Take My Eyes Off You ''MELODY DISCO 1982.divx


Frankie Valli(FourSeasons) - Can't take my eyes off you (subtitulada)

三連休

2013-07-13 23:29:16 | 日記
世間一般では、週休二日の土日休みと、海の日(ハッピーマンデー)休日で三連休らしい。ハッピーマンデーといっても、その恩恵があるのは、海の日以外に、成人の日、敬老の日、体育の日の合わせて4つで、その他の11の国民の祝日は、そのままの期日なので、さほど恩恵は無いわけです。いっそのこと、他の休日も、動かすわけにはいかないのでしたら、その前日も休み(代休なし)にして、必ず連休になるようにすれば、もちっと、勤勉な日本人も休めるのに、と以前から思ってました。
私にとっては明日以降、予報では星天が望み薄なので、まぁ、気合いも乗らない、変わりない日々になりそうです。
ただ、乗らないなりにインドアでの愉しみを見いだそうとはしていて、セミの声が五月蠅い中、刃物やら、ハンダごてやら、各種接着剤やらを引っ張り出してなんやかややってるでしょう。
上手くいけば、このブログでも紹介いたしますが、そうでない場合は、深く暗がりに沈めて日の目を見ることはありません。

なんとなく靴

2013-07-12 23:56:14 | 脱線して底抜け
靴をしばらく眺めていました。
普段、自分の足にあった靴は、履いてることを、ことさらに意識せず、日本式家屋では玄関で脱いだり履いたりするときだけ、気にかけるようです。
ただ、不調になったとき、あるいは必要なときに無い場合、これほど困るものもないでしょう。古くは、鼻緒を切ってしまって、困っている女性を手助けする情景、ダイ・ハードで、割れたガラスまみれの床を裸足で走らなければいけないシーン、ジャングルを行軍中にブーツがダメになり、足を痛めてしまうシーンなどなど。
あるいは実体験で、夏の砂利浜や泥濘地で、サンダルのまま足を水につけないといけない場合の途方もない粘着抵抗、レンタル用品のない山奥のスキー場で、ビンディングの不調で、全く滑れず、無為にそり遊びばかりで過ごしたことなどもあります。
阪神淡路大震災でも、靴がない故に、移動すら出来ず、被災した地点に留まったままに成らざるを得なかった人もかなりおられたようです。
女性の場合、デザインやファッション性を追求するあまり外反母趾や扁平足になったりするような足にふさわしくない靴を選んでしまったりもするようです。
個人的には、ハイカット(足首までサポートする)の丈夫で通気性の良い靴が、日常から、極限の状況まで広く対応していて、好みです。
たまに、ヒトにも、最近のカラフルなトレッキングシューズをおすすめするのですが、メーカーや、製品ごとに異なる足形をきちんと選んでくれる専門店に、まず最初に行って貰うことが肝要で、そうして頂けた場合には、見た目よりずっと履き心地が軽くて歩きやすい、という感想を云って貰えます。
靴やさんも、もっと足形、サイズを重視して販売展開して欲しいものですが、通販でも普通に靴が売っている昨今、良く足にあった靴の快適さを知らないままにいる方が多いのではないかと感じています。

空飛ぶ冷やし中華

2013-07-11 22:29:24 | 日記
夏は食欲が増進します。
特に冷たい麺類は、そのひんやりとした喉ごし、冷たい麺にも良く絡むように工夫されたタレ、麺と合わさって食感の妙、味の共演をする具とトッピング。和洋中全ての冷やし麺は、私の夏のソウルフードです。
かつて、その冷やし麺の代表、「冷やし中華」を、こよなく愛し、その愛情の発露が、「なぜ冬には冷やし中華が、メニューから消えてしまうのだ!この全国的に共通の不可解な事象のウラには、きっと大きな闇の力が蠢き、弾圧しているに違いない!」という真理となり、立ち上がった人たち、「全日本冷し中華愛好会」という団体があり、その会報のまとめが、空飛ぶ冷やし中華でした。初代山下洋輔、次代筒井康隆という巨頭を会長に据え、マジメにバカなことが出来るヒトビトが集まったその奇矯な行動は、むしろ会報という公的な場所より、会員たちの随筆やウラ話で語られる方がずっと面白く、メタスラ(メタルスライムじゃなく、メタったスラップスティック)が、公に顕現した嚆矢ではなかったかと思います。
かの人たちは、「全冷中」という団体の存在意義、不当に弾圧された冷やし中華を救済するという架空の教義を大いに謳歌し、教条派、歴史派、古典派、バビロニア派などの派閥が跋扈し、太く短く燃えていました。
私はまだいたいけなコドモでしたから、その凶行に心から賛同できるワケではありませんでしたが、その熱い思いとともに、夏のごちそうは、冷やし中華だという刷り込みがされ、いまでも、この暑い時期を待ちわびているような、ちょっとした気概があります。

双眼鏡の新製品動向を確かめて感じたこと

2013-07-10 23:43:41 | 双眼鏡 望遠鏡
常々、新製品の動向を気にしている訳ではありませんが、以前に少し触れたビクセンのアリーナ H6x21WPが、既にビクセンブランドでは製造終了になったことを知り、通販価格サイトなどで、調べてみました。
件のアリーナ H6x21WPは、コールマンのロゴを付けて、カラフルな色彩の非防水機と一緒に、引き続きビクセンが製造販売するようで、ビクセンブランドでのアリーナ H8×21WP新色発売に伴い、6倍の存続を図り、テコ入れするための処置のようです。
セールスポイントに乏しい6倍機をコールマンブランドを借りて存続させようとする意図はよく分かるのです。
ただ、他のメーカーの新製品、モナーク5、アキュロン、ウンカのようなケンコー、サイトロンなど、全てが低コストの海外生産品です。特にモナ5など、EDレンズや他のスペックは非常に立派で、期待したのですが、実際に店頭で少し覗いてみたところ、当ブログのダハのデファクトスタンダード機、Shirstone Samrai 8×42より軽いのは良いのですが像質は明らかに劣り、EDレンズの長所も感じられず、少しがっかりしました。
取りも直さず、先に述べたビクセン・コールマンの双眼鏡同様、価格ランクやブランド訴求力を重視した製品で、性能を追求したものより、売れ筋を狙った製品が多いという感じです。
他の民生用光学機器の代表、デジカメなど違い、高性能が数字で表しにくく、また、着実な進化もほぼ終わっていて、性能追求をセールストークにしにくい一面もあります。また、本格的な大口径機になるほど、光学的に要求される部品、組み立て精度が、現在の低コストなマスプロダクツとは相容れません。
このブログで提唱する双眼鏡の魅力、「一方的な距離感の喪失」や、星見、観劇観戦など、双眼鏡のあまたの魅力は、官能的な部分が多々あります。官能的な魅力を数値化することは難しく、また、持ちやすさ、軽さを追求すると、デザインでも、差別化はし難く、畢竟、マーケティング重視に偏りすぎな製品ばかりになるのは仕方がないかと思いますが、ペンタックスのパピリオのように、官能的な魅力のあふれる近接視をうまく商品の特徴にしている例もあります。見え味の官能的な部分の訴求が難しければ、持ちやすさ、構えやすさを追求しても面白いかと思います。双眼鏡の見え味は、対物から接眼までの光学経路だけで決まるものではなく、最終的には網膜にどのような像を結像させるかですから、以前に紹介したボーヤ・フィットと同様な機能、例えばオーディオテクニカのヘッドホンに採用されている3Dウィングサポートのような機構を、メガネのノーズパッドの部分や、額にあてがうような、視軸と光軸を簡単にきっちりと整合させる仕組みがあれば、初めて双眼鏡を手にする方はもとより、使い込んだ方にも、より保持しやすくブレにくく、そしてより見え味のいい双眼鏡が出来るのではないか、などと空想しています。

その昔、好きだったラーメン

2013-07-09 23:11:13 | 脱線して底抜け
まだ、ラーメン屋というものに、ランキングとか、口コミとか、テレビで紹介などという、余計なお世話が押し寄せる前の時代、ごひいきのお店がありました。
お品書きの一番高いのでも、500円という価格で、いつもは爺さんひとり、タマに婆さんの姿も見えるというお店でした。
そこで、こだわりのお気に入りが、もやし。
おそらくは、婆さんがやっているのかと思うのですが、きちんとヒゲと芽を切り取ったモヤシを入れてくれる。最近では根切りモヤシがスーパーで売ってたり業務用のヒゲとりモヤシもあるらしいのですが、そういうのとは違う、シャキッとしたモヤシをパササッと入れてあるのが、もう大層歯ごたえが良くて、ある意味、食べる快感でした。
幾度となく通うウチに、モヤシ増量とか、バター一かけとか、いまで云うトッピング追加もしてくれるようになり、ますますお気に入りになり、いろいろと爺さんともお話しさせていただきました。モヤシは生の冷たいものを入れるより、煮えてしまわない程度湯煎して温かいものの方が好きとか、ゆで卵や生卵より、半熟+加減が好きとか、好みのトッピングがだんだんと作られていきました。半熟気味のタマゴがモヤシに絡んだ食感が美味しいねなんて話をしてるウチに、爺さんが、あらかじめバターを溶かしたフライパンに、モヤシと溶き卵を入れて、ごくごく軽く炒めたものを、載っけてくれるようになりました。このラーメンと、小ご飯で500円。なんど食べても飽きない、食感の妙と、タマゴの甘みとバターの塩の効いたモヤシを、麺と一緒にほおばる刹那、味の調和が口中に広がり、思い出すだけでも、舌の両脇から唾液がにじみ出てくる、文句なしに好きな味のラーメンでした。
残念ながら、いまはもうありません。自分で似たようなものを作ることは出来ますが、ラーメンの味もさることながら、いくら丁寧にヒゲとりしても、あのモヤシの食感とはどこか違うのです。

七夕(棚機、棚幡、多奈婆多)

2013-07-08 12:55:55 | 双眼鏡 望遠鏡
本来なら、7/7の未明から、つまり7/6~7/7にかけてが七夕と呼ばれる祭事の中心です。
7/7から、7/8未明にかけては、今年も昨年に続いて天候が良く、しかも月の具合も邪魔にならない絶好の七夕星天でした。私の家の近所にて、肉眼でこそ天の川は望み薄ですが、広視界のテレコンビノなどでは、おぼろげにその存在が分かるような星空でした。
昨年も述べましたが、この時期に夜空がスカッと晴れることは少なく、月の影響も少ないとなればホントに稀有な七夕日和で、月齢の予定から云えば、次は2016年、その次が2021年と、限られた回数しかなく、その年の天候は梅雨の影響もあり、今年のような良い条件はしばらく無いかもしれません。今夜も、トコロによっては星天が望めます。織姫(ベガ)と彦星(アルタイル)が、一戦済ましたあとかもしれませんが、今宵も空を見上げてみては如何でしょう。そのとき、なにか双眼鏡があれば(出来れば10倍以下)、肉眼と見比べてみて下さい。きちんと眼幅とピントを合わせて星空を見上げれば、思ったよりずっと多くの星に満ちていることが分かると思います。



今晩20時半、東の夜空を見上げた予想図です。

季節の指標としてのセミ

2013-07-07 07:52:54 | 写真機 画像
ウチの裏でとうとう朝っぱらからセミが騒がしく鳴く時期になりました。
子供の頃の経験で瀬戸内海沿岸の比較的温暖な西日本地域では、セミと云えば、圧倒的にクマゼミが多く、アブラゼミがそれに続き、ミンミンゼミは、山とかに行かないと居ないので、ミンミンのいる場所=自然が豊か、などと思ってました。
ところが、関東北部含む東日本では、クマゼミは稀少な大型ゼミで、アブラゼミとミンミンゼミが主体だということを経験し、地域による分布の差異だということを知りました。
cicada cicadae cara,formicae formica.
というラテン語のことわざがあります。蝉は蝉に親しく、蟻は蟻に親しい、類は類(友)を呼ぶ、と言った意味らしいのですが、古くから、人に関わってきたその最大の理由が、大きな鳴き声であることは間違いないでしょう。地中で長期間幼虫で過ごすセミにとって、最期の花を咲かせるチャンスですから、仕方ないかなぁなどと考え、我慢することにしています。
上の写真は、WP7×50RB-Dの対物に映った部屋から見た裏の林です。窓越し、スダレ越しなのですが、眼前に迫る樹々の様子がよく分かります。敢えてコーティングの反射の色がよく分かる一枚を選びました。

こんな双眼鏡を

こんなところで使うと、近すぎてピントが合いません。


蜈蚣

2013-07-06 19:58:29 | 日記
むかで と読みます。
拙ブログでは良く話題になるのですが、それは、裏に小さな林があり、野鳥の声豊かなわが家にはムカデが出るからです。
もっとも衝撃だったのが、数年前の深夜、夜中にトイレに座って用を足そうとしていたところ、Tシャツの右肩にフチャッと何かが落ちてきた。
いまでもあの感覚は触覚の記憶として明瞭に記憶していて、声こそ上げなかったものの、魂消ました。ススススススっとムカデさんが這っていたのです。泡を食ってTシャツごと脱ぎ捨て、半裸(足首にパンツと半ズボンは掛かった状態)のまま、立ち上がり、意を決して、脱いだシャツを持ち上げました。
床には居ません。
便器の上で、おそらくはそれまでの人生の中でもっとも強い意志と力をこめてシャツを細かく振りました。ムカデは便器の中に落ち、元気に這っています。
そこで、また、かつてない念をこめて、水洗レバーを”大”のはるか先まで押し込み、メールシュトロームに呑まれて去るムカデを、何の痛痒も未練も微塵としてない気持ちで見送りました。
それ以来、この家では、流石にトイレでこそはありませんが、刺されて熱湯治療を試す機会が無いのが幸いなくらい、キッチンや寝所やその他でムカデの闖入を許しています。
一般的な殺虫剤は効かず、箸で摘んでも柔軟でなめらかな甲皮は彼らの多足の力に滑ってしまうことが多いので、まず閉じ込める容器や袋を準備してから捕獲するようにしてます。
まあ、なんというか今朝も出たのです。しかもリビングの家具の裏側に入り込み、苦労して捕縛しました。
最終処分法は、餓死などいろいろ試しましたが、水責め火責めには強く(マイクロ波は即効)、一番もだえるのは灯油などの石油系溶剤です。もし屋外で見掛けて、ガソリンや灯油があった場合、充分に浸して下さい、前述の通り、火には強いので、着火して断末魔の思わぬ反攻を喰らうより、浸しきってやるほうが早く滅することができます。
まあ、刺さない限り、害虫、特にゴキの天敵だと云うことは分かっているのですが、トイレ降下猟兵襲撃事件以降、容赦しません。

ETC化で、阪神高速の通行券売りのオッサンがどうなったんだろうと、今更疑問に思った件について

2013-07-05 02:24:42 | 日記
まぁ、知ってる人には、タイトルだけで全部分かっちゃうことなんですが、その昔、阪神高速守口ランプへの進入経路のうち、中央環状道路(および近畿自動車道)外回りからの高架下信号は、ほとんどの車両が阪神高速へ流入する車両で、片側二車線に常に十数台信号待ちするような条件でした。一時期、茨木に住んでいたこともあり、結構その道を通ったのですが、信号待ちするクルマの列を縫うように車道上を歩くオッサンが、いつも居たのです。
乗務員か係員風の古ぼけた帽子を被り、停車中の運転席に寄っていっては、前売り通行券を売っているオッサンです。阪高や首都高の回数券は100枚やら500枚でまとめ買いすると2割ほど安くなるので、その差額(+α)の範囲内で、ダフ屋行為をしているようです。
私は実際に買ったことはないのですが、高架下なので、雨の日も、平日休日も問わずに居て、結構な枚数を捌いているようで、胡散臭い帽子がトレードマークの風物詩めいた御仁でした。
平成17年以降、回数券は廃止されたので、あのオッサンはどうしているのだろう、とふと考えたのでした。

きぐちこへい たち。

2013-07-04 23:59:43 | シロートの戯言
キグチコヘイ ハ テキ ノ
タマ ニ アタリマシタ ガ、
シンデモ ラッパ ヲ
クチ カラ ハナシマセンデシタ。


日露戦争の実話をもとにした武勲英雄譚で、戦前の尋常小学校修身書に掲載されていた文章の代表格であり、ヒダリマキの人なら青筋を立て、そうでない人でも、苦笑したり、莫迦らしいと思ったりするであろう内容です。

ご存じのように、無線通信が実用化されるまでは、光(回光通信機、のろしなど)や音(ラッパ、大砲、花火など)が即時伝達のコミュニケーション手段でした。
戦場でのラッパ手は、主に陸戦で展開した部隊の隅々に指揮官の意向を伝え、コントロールする重要な役目でした。
また、部隊の日常生活においても、起床、消灯、突撃、食事、など節目に使われる重要なコミュツールで、現代においても儀礼的に自衛隊や消防などで使われています。

きょう、出先でスマホを置き忘れ、ちょっとしてから気付き、引き返して大過なく取ってきたのですが、この現代のコミュツール、後生大事に肌身離さず持っていて、中には自転車での移動中にも、液晶画面を見ながら危なっかしい運転をしている人が多々います。汗を拭き拭き取りに戻る最中に見ていて、あの人たちも、事故って死んでも手からケータイを離さないんだろうなぁなどと、苦笑いのように思ったのでした。

電脳コイルのメガネのように装着したり、腕時計型や補聴器型などのコミュツールが主流になる時代、さらに攻殻機動隊のような神経補綴型の電脳デバイスが実用化される将来には、いまの私たちはきぐちこへいと同様に見えるのでしょう。

クロスロード

2013-07-03 23:46:38 | 本、小説、漫画、動画、映画、音楽等
悪魔と取り引きし、人間のふりをした”ブルース”に成った、ロバート・ジョンソンの契約の場所、”クロスロード”伝説は、僅か29曲しか録音を残さなかったにもかかわらず、そのまさしく悪魔めいたブルースと言う概念そのものの音楽として語られ、歌われ、弾かれ続けています。
20世紀初頭(1911年とも1912年とも謂われる)に不倫の子として生まれた彼は、27歳で毒殺とも病死とも諸説ある無様な死に方だったらしいのですが、常にギターを抱え、いろんな街で様々な女と関わる中で産み出された演奏と歌は不思議なくらいに人の心を捕らえてきました。私が最初に彼の伝説に触れたのは、ライ・クーダーが音楽を担当した、クロスロードという映画でした。伝説の30曲目を求める奇妙な3人の旅の果てに主人公(ベストキッドの子役のコです)はジュリアード音楽院で学んでいたクラシックギターから、ブルースへと道を変えて進んでいくというお話でした。

CDで発売されると同時に彼の歌を手に入れたのは、映画の所為もありますが、まるで魔力のようなクロスロード伝説に浸りたかったからでもあるでしょう。英語、日本語の総計250ページ近いブックレット(ライナーノーツ)が付いているとはいえ、当時4100円もしました(いまではライナーノーツこそ無いですが輸入盤なら2枚組1000円ほどで買えます)。
当然モノラルでノイズだらけ、ダイナミックレンジも極端に狭い粗い音楽ですが、数々のカバーソングで耳馴染みのある原曲に触れるのは新鮮で、幾たび聴いても飽きる事のない、不思議な音楽でした。感動とはほど遠く、芸術では決してなく、温感療法のような熱い心地よさを感じるようになってからは、クロスロード伝説なんて忘れてしまっているのでした。

いまさらながら、、、

2013-07-02 22:51:09 | 日記
こんなブログを続けていて、全くもって今更なのですが、世にあるいろいろなアイテムの評価は、個人的な好みや趣向の影響が避けられない故、完全に客観的なモノはあり得ず、更にはその評価を読み、参考にする人の主観に沿う可能性も未知数でしかないという事実を強く主張致します。
その上で、敢えて言いますが、最近の音楽ソフトの新録音の低調ぶりには、非常に残念な思いで一杯です。
と、いうか、明らかに品質が後退してるように思えます。
よくある旧い録音のデジタルリマスタリングは、確かにヒスノイズやスクラッチノイズが低減し、音の粒立ちが向上して、瑞々しく聴こえるようになり、決して無意味ではないと思うのです。しかし、例えば、古いモノラル録音のピアノソナタなど、オリジナルの状態で聴くと、こちらに響くメロディーを色濃く感じるのに対して、リマスタリングされたサウンドは、鮮烈で美しく綺麗なのですが、何か損なわれているように思えるのです。
まるっきりの新録音の場合は更に顕著で、当代きってのピアノ弾きの渾身の演奏が、いにしえのSP時代の、ピアノ弾きの演奏に劣るとは全く思わないのですが、なぜか最新録音機器で収録された演奏のメロディーは、綺麗なだけのように思うのです。
私の好きなピアノ曲で、フリードリヒ・グルダの「ゴロウィンの森の物語」では、数編の有名な曲の主題が、グルダの奇想により、見事に解け合って、最後のグルダ自身による切ない弾き語りのような歌で終わる至上の曲で、過去、これを勧めた人には、もれなく好評を頂いている、どこかの低倍率双眼鏡のような作品なのですが、途中、グルダ自身が微かな鼻歌(ハミング)でピアノと秘やかに共演し、下手にリマスタリングすれば、ノイズとして埋もれて消えてしまいそうなオッサンの鼻歌が見事な感動を生み出しているように思えます。
また、ジョン・ケージによる有名な、「4分33秒」という曲では、3つの楽章全てが”休め”であり、演奏される場合(ピアノが多い)は、演奏者がステージの上で、楽器に向かい、何もしない時間が続く、その様子に不審を抱く聴衆のざわめきや、きぬずれ、咳払い、などなど様々のノイズや、漂う???を耳と目と肌で感じることになるのですが、実際、この曲が収録された録音では、どんな最新最高の録音でも、この曲を再演することはできません。

いろいろと思うに、再生機器の主体がデジタル、しかもヘッドホン、イヤホンが多数を占めるようになってきたことと、最近の新録音の低調ぶりは無縁でないと思います。
「残響2秒」というザ・シンフォニーホールの建造にともなうお話を記した本があります。ライブ演奏ではクラシックに限らず、様々な響きが聴衆を包みます、以前のデンオンのクラシック録音のように、無指向性のマイク2本をメインとし、補助的に指向性マイクで薄くなりがちな楽器を拾うような凝った録音と違い、高感度高指向性のマイクを何本もオンマイクで狙い、DTM作業で編集したことが如実に分かるような録音では、綺麗で粒立ちの良いサウンドは聞こえるかもしれませんが、残響豊かなメロディーを聴くことは出来ないように思います。