2日目。8:07発の名鉄犬山線「ミュースカイ」(特急)で犬山駅に。所要時間は約25分です。
「ミュースカイ」は、平成17年にグッドデザイン賞を、平成18年には鉄道友の会からローレル賞を受賞したそうです。「centrair」のロゴが随所に使用されています。
名鉄「犬山駅」。犬山城まで城下町を通り、駅から徒歩約20分かかりますが、城下町も十分に楽しめます。
犬山城に向かう道路にあったバス停
犬山市公式キャラクター「わん丸君」です。
本町通りの「どんでん館」に。国指定重要無形民俗文化財の「犬山祭」で曳かれる山車(やま)13輌のうち4輌が展示されています。
山車「西王母(せいおうぼ)」(中本町)
山車「ほう英」(名栗町)犬山祭は1635年から伝わる「針綱神社」の祭礼で毎年4月の第1土・日に開催されます。
本町通りの「旧磯部家住宅」。西側正面全景。主屋、裏座敷、土蔵、奥土蔵、展示蔵の5棟から成り、いずれも国の登録有形文化財です。
屋号は柏屋(呉服商→製茶・販売業) 敷地は間口6.8m、奥行はなんと約58m、面積691㎡。(入場無料)
犬山市内の町家で唯一現存する「起り屋根(むくりやね)」。奈良・京都に多いそうですが、関東では見かけません。
平成16年に市が敷地を取得。建物は寄贈を受けています。
本町通りに西面して建ち、北側にミセ(板の間)、番台(畳敷き)、仏間、座敷を一列に並べています。
南側に通り庭、その南端に縁台、階段、台所を配しています。
主屋内部は、棹縁天井、一間の床の間、違い棚、書院、長押付の部屋、床の間のある座敷。座敷飾りは江戸時代には一般の商人には許されず、現在の造りは御禁制の外れた濃尾震災(1891)被災後に改造されたものとのこと。
仏間と座敷の間の「波型に彫り抜いた欄間」。めずらしいですね。
一枚板の廊下。
「通り庭」「三連竈(くど)」 敷地は間口が狭く、奥行きが長い「ウナギの寝床」のような造り。
廊下北側には渡り廊があり、客便所と裏座敷に通じています。廊下の壁は弁柄色の赤壁です。
「裏座敷」 平屋建、入母屋造、桟瓦葺で、床、棚付8畳の主室と西に5畳半の次の間を配し、南、東矩折れに縁を廻す。
裏座敷6畳。着物・帯を額装し、衝立にしていました。
「土蔵」腰部は、目地の漆喰がかまぼこ状に盛り上がる「海鼠壁(なまこ)壁」で黒い部分は瓦。
平面図を見て頂くと、間口と奥行の関係が判ると思います。
登録有形文化財5件の建築年代、構造形式、建築面積。
巨石の案内サイン(犬山城入口)
この城は、敵が攻めづらいように丘や台地の上にたつ平山城(ひらやましろ)となっていて、この坂道は上りにくい道です。
高さ19m。四階(望楼)や廻縁(まわりえん)に見学者がいます。廻縁の下は「唐破風」、上は「入母屋破風」
急勾配で狭い階段。しんどい!
樹齢約650年の「大杉様」、当時樹高24m。1965年頃、枯れてしまいましたが城を守る御神木としてあがめられてきました。蔓性の「ノウゼンカズラ」が巻付き、花(オレンジ)が咲いています。
「針綱神社」
犬山城遠景。天守からは濃尾平野や木曽川の絶景が一望できます。
愛知県犬山市と岐阜県各務原市小伊木町を結ぶ木曽川に架かる「ライン大橋」。正式名称は「犬山頭首工(とうしゅこう)ライン大橋」。左が車道、右が歩道。
濃尾用水の取水用可動堰(6門)でもあります。
昼食は「本町茶寮」で。城下町のメインストリート「本町通り」の真ん中に位置する築100年の古民家を改装した和カフェ。
店の入り口のカウンター席。私達は、手前のテーブル席に。平日(火)なので空いていました。
奥の座敷。右奥を見ると古いテレビに水槽がはめ込んであります。デジタル映像ではなく本物の魚が泳いでいました。
二階もあるようです。天井がめちゃくちゃ高いですね。
奥の庭も見させて頂きました。とても手入れが行き届いた素晴らしい庭でした。
庭は更に奥まで続いています。
犬山市は「豆腐田楽」が名物なので「茶そば田楽定食」にしました。田楽味噌は糖質が多いので削って食べました。
私達は冷たい「茶そば」を頂きましたが、うどんにもできます。
食後、犬山駅から急行で名古屋駅に戻り、名鉄百貨店でお中元とお土産を購入。14:24発の「のぞみ」で帰り、品川で上野東京ラインに乗り換えて、17:30に帰宅しました。
次回は、博物館「明治村」にも行き、更に足を延ばして「白川郷」「五箇村」まで行きたいと思います。