【連載】呑んで喰って、また呑んで(70)
メコン川の夕日に乾杯!
●ラオス・シーパンドン
▲ホテルの部屋から眺める夕日
「あなたはラッキーです。このホテルにはラオスの首相も泊まったんですよ」
チェックインした私を部屋に案内した中年のボーイが胸を張った。
「へー、そんなに有名なホテルなの?」
「はい、この島で一番のホテルですから」
ボーイはそう言うと、庭を挟んだ2階の部屋を指さした。
「ここから見えるでしょ。あの2階の部屋です」
私の部屋は1階だった。メコン川の支流に面した眺めのいい部屋である。
バンコクで友人から「一度は行ってみたら」と勧められてやって来たのが、ラオス南部チャンパーサック県のシーパンドン(ラオス語で「4000の島」を意味する)だった。カンボジア国境に近いシーパンドンは、その名のとおり、大小何千もの島がメコン川の中州に散らばっている。その中でも欧米からのバックパッカーたちに人気があるのがコーン島だ。
しかし、そこまでたどり着くのが大変だった。ラオス南部最大の街であるパクセからマイクロバスでナーカサーンという小村へ。その村からコーン島へ渡るボートが出ている。船頭も含めて3人で出港したのだが、幅が細いので身動きが取れない。ちょっとでも腰を動かせば転覆しそうだ。
メコン川の川幅は広い。大体10キロから15キロはある。やっとの思いで島の船着き場に着く。船着場で2時間ほどボートを待っていたので、パクセを出発してから半日がかりである。
コーン島の船着場に着いたはいいが、ホテルなんか予約していない。さて、どうしたものか。思案していた私を気の毒に思ったのか、船着場で所在投げにブラブラしている若者から教えられたのが、このヴィラ・ムアン・コーン・ホテルだった。
客室数は島で最大らしい。けっして新しくはないが、屋根がラオス風の2階建てで、落ち着いた感じのホテルだった。旅装を解いた私は、汗を洗い流すためにさっとシャワーを浴びる。昼寝をする時間が勿体ないので、ホテルで自転車を借りて村を散策することにした。
メインストリートらしき通りに出たが、外国人旅行者向けのゲストハウスや大衆食堂がある程度。じつにのどかな村だ。ときどき水牛が散歩しているという牧歌的な光景に癒される。パクセで朝食を済ませていたが、昼食はまだだったので、大衆食堂で汁そばを注文した。不味い。タイの田舎なら、どこで食べてもハズレはないのだが、社会主義国のラオスでは美食を期待できないのかも。
適当に散策を切り上げてホテルに戻ったのだが、従業員以外の宿泊客に出会うことはなかった。もう一度シャワーを浴び、ベッドに横たわる。窓からメコン川が一望できた。思わず見とれてしまう。美しい。幻想的でもある。これまでいろんなホテルに泊まったことがあるが、部屋からの眺めがこれほど素晴らしいホテルはない。なんて贅沢な部屋なのか。私は時間が経つのを忘れてメコン川を眺めていた。
気づくと、午後5時近くになっていた。小腹がすいてきたし、喉も乾く。夕食には少し早いが、適当に料理を頼んでビールでも呑もう。そう思って1階のレストランに行く。やはり時間が早すぎるのか、客は一人もいない。
まずビールを頼んで、メニューを見た。この地方はシーフードが美味しいと聞いていたので、蒸した川魚を注文する。まあまあの味だ。今度は肉料理を。ビールも追加だ。それにしても、もう1時間は経ったというのに、客は誰も来ない。初老の従業員が注文を聞きに来たので、
「このホテルには誰も泊まっていないのか?」
と尋ねると、
「誰も泊まっていません。あなただけです」
と嬉しそうに答えた。
それから何品か注文し、ビールを3本呑んで、早々に部屋に引き揚げた。相当疲れていたのだろう、ベッドに沈んだ私は、数分も経たないうちに深い眠りに落ちた。
翌朝、目覚めた私を待っていたのが、メコン川に鮮やかに反射する朝日だった。この世のものでないような美しさに、私はたじろいだ。感動というレベルではない。まさしく神がかりの光景だった。
朝食はホテルでとらないで、外に出た。川辺を散歩していると、一軒の店が。コーヒーとフランスパンならあるという。かつてフランスの植民地だったせいか、フランスパンはそこそこの味である。
コーヒーを飲み終わった。せっかくの川辺である。悠久のメコン川を眺めながら、朝からビールといこう! うーん、何とも言えない旨さ。メコン川に乾杯! ほろ酔い気分で散歩を再開した。昼食は客のいない鄙びた大衆食堂で。ここでもビールを呑む。
いつの間にか夕刻になったので、いそいで部屋に戻る。メコン川に沈まんとする夕日を愛でるためだ。部屋の中に真っ赤な光が射し込む。この夕日こそ最高の肴だった。ビールが美味い。夕日が完全に沈んだので、ホテルの食堂に向かう。この夜も客は私一人だけである。
食堂の従業員も退屈していたのだろう、ウイスキーのボトルを提げて、私のテーブルにやって来た。
「これ、呑んでください」
「ん、注文してないけど…」
「無料ですよ。私も一緒に呑んでいいですか?」
「もちろん!」
それから二人してウイスキーのボトルを空にした。あとで調べたら、このホテルは家族経営だと知った。もしかすると、あの「初老の従業員」は、ホテルのオーナーだったのかも。あれからもう10年は経ったろうか。今となっては懐かしい思い出である。朝日と夕日に、そしてメコン川に乾杯!