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どくろ杯と消えた記者 【連載】呑んで喰って、また呑んで(87)

2021-03-11 09:05:06 | 【連載】呑んで喰って、また呑んで

【連載】呑んで喰って、また呑んで(87

どくろ杯と消えた記者

●東京・高円寺

山本徳造 (本ブログ編集人)  

 


 
 金子光晴は放浪の詩人だ。彼が著した本に『どくろ杯』がある。
 しかし、本の題名だけを見ると、何やらおどろおどろしい感じがする。それも当然だろう。髑髏杯というと、人間の頭骸骨の額から上の部分をすっぽりと切り取って杯(盃)にしたシロモノだからだ。私も気持ち悪く思った一人である。
 でも、この本は読み始めると時間を忘れてしまう。一体どんなあらすじなのか。妻が不倫したので、相手の男と引き離すため、ついでに生活苦から逃れるために上海にやって来た。その二人の行き当たりばったりの生活ぶりを描いた自伝的小説だ。二人は上海で2年間過ごし、パリに向かう。
 金子の放浪記は面白い。東南アジアを夫婦で回った『マレー蘭印紀行』なんか紀行文としては群を抜いている。詩人の観察力を馬鹿にしてはいけない。人間を見る目も人とは違う。だから文章に味がある。読んでいると、自分が主人公になったような気になってしまう。
 金子の小説を読むと、ある人物のことを思い出す。ライター仲間のSさんだ。
 私がSさんのことを知ったのはは、50年近く前のことだった。タイ、ラオス、ビルマ(今はミャンマーと呼ぶ)の3国がメコン川で接する山岳地帯では、麻薬の取引が盛んにおこなわれていた。殺しや誘拐なんて日常茶飯事である。
「黄金の三角地帯」として知られる危険地帯をルポして一冊の本にまとめたのが、Sさんだった。東南アジアに興味があった私である。その本をむさぼり読んものだ。私がSさんに初めて会ったとき、彼は週刊誌の記者をしていた。
 それから数年後、私は創刊したばかりの軍事専門誌で専属記者となり、その編集部でSさんと再会する。そう、彼も同誌で専属記者になっていたのだ。赤坂に編集部があったので、呑む店には不自由しない。私よりも4つ年上のSさんとは話が合ったのだろう、毎晩のように赤坂見附や四谷を呑み歩いたものである。
 Sさんの発想は自由人そのものだった。結婚をして子供もいたが、生活臭といったものをまったく感じない。気が向けば、ひょいと東南アジアに出かけていた。金子光晴のように。

 思い出したが、Sさんが支援しているグループが来日したことがあった。カレン解放戦線の幹部たち数人である。ビルマからの独立を目指す少数民族の軍事組織だ。

 行きつけの新宿の飲食店で彼らの歓迎会を開くというので、酒につられて私も参加した。20名ほど集まっただろうか。Sさんの友人たちが次から次へと支援の意思を熱く語る。みんなあの頃、熱かった。今となっては懐かしい。

 Sさんとは一緒にタイに行ったことがある。元日本兵が現地の女性の間にもうけた娘に会わすために連れて行ったのだ。このとき同行者がもう一人いた。編集プロダクションを経営するFさんだ。彼も酒には目がないので、3人が連れ立ってバンコクのタニヤ通りやパッポン通りのバーをハシゴしたのは言うまでもない。余談を聞いてもらおう。
 Fさんは帰国して数日後、高熱を発して入院する。マラリアだった。退院後、Fさんから話を聞くと、七転八倒の苦しみだったという。高熱で意識が朦朧となり、病室の窓から飛び降りようとして看護師から制止されたことも。
 体重も激減した。100キロ近くあったのに、退院したときは60キロに。別人かと思ったくらいだ。アルコールも一切口にしなくなり、豆腐中心の食事に返る変貌ぶりが痛々しかった。マラリアに感染した知人は少なくないが、Fさんのような重い症状を伴うマラリアは珍しい。よほど普段の不摂生、いや悪行が祟ったのかも。
 さて、Sさんの話に戻ろう。ある日のことだ。Sさんが高円寺の拙宅に、電話もせずにやって来た。よほど急いでいるのか、「ちょっといいかな」と玄関先で話を切り出した。私に借金を申し込むつもりなのか。いや、私が超貧乏人だということはSさんも知っている。
「預かって欲しいものがあるんだ」
 そう言って、Sさんはバックの中から丁寧に布で着くんだものを取り出した。すすけたお椀のような物が出てきた。
「何、これ?」
「え、知らないの。髑髏杯だよ」
「えーっ!」
 思わず絶句する私である。
「これで酒を飲むと美味いんだ」
「だって頭蓋骨でしょ。気持ち悪いなあ」
「怖がりだな。もう死んでるから大丈夫だよ。単なる物質だから普通の食器と変わらない」
「どこから持ってきたの?」
「いいから、いいから。とにかく1週間ぐらい預かってよね。じゃ、頼んだよ」
 そう言うが早いか、Sさんは逃げるように消え去った。
 まっ、いいか。度胸だめしにもなるしにもなる。そうだ。明日でも飲み会をしよう。みんなに見せるんだ。拙宅に集まってきた友人知人に見せると、みんな興味深そうに眺めていた。もっとも、実際にその髑髏杯で酒を呑んだのは誰一人いなかったが……。
 髑髏杯と言えば、織田信長の逸話にも出てくる。浅井久政とその息子の長政、そして朝倉義景の髑髏を杯にして酒を呑んだという話が。しかし、髑髏杯で酒を呑むなぞという発想は日本人にはないという意見が多い。だから、信長も金箔を塗って飾っただけという説が有力だ。
 お隣の大陸は違う。じつに生々しい。中国前漢皇帝・劉邦の時代に、北方騎馬民族である匈奴の全盛期を築いた単于(王)の冒頓が、漢と講和を結んだときに漢からの使者と一緒に髑髏杯で血を飲んだという。スキタイと同様、匈奴は敵の王を殺すと、その頭蓋骨で髑髏杯をつくる習慣があった。
 イギリスでは趣味で髑髏杯をつくる奇人もいた。19世紀の詩人バイロンである。自宅の庭で庭師が頭蓋骨を発見したので、それを杯にしてワインを飲んだという。金子光晴といい、バイロンといい、詩人とは髑髏に異常な愛着を抱く職業なのかも。そういえば、Sさんもどことなく詩人のような雰囲気を醸し出していた。
 結局、Sさんが髑髏杯を取りに来たのは、1週間どころか2カ月も経ってからのことである。どうして私に預けたのか、どこから持ってきたのか、私には説明しなかった。しかし、今となっては知りようがない。Sさんが突如、日本から姿を消したからだ。
 蒸発してから、もう30年以上も経つだろうか。「ベトナムで姿を見た」「ミャンマーの奥地にいる」とか、いろんな情報が私の耳に入ったが、いずれも確認できなかった。はたしてSさんは何処で、何をしているのか。今となってはミステリーである。


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