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日台を俳句で結んだ藤原若菜⑥ 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(90)

2025-03-08 05:31:28 | 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(90)

日台を俳句で結んだ藤原若菜⑥

 

 1月18日から始めた若菜が遍歴した俳句世界についての連載も今日で最後です。恐らく辟易しつつも、辛抱強く私の個人的なセンチメンタルジャーニーにお付き合いいただいた読者諸兄姉に心より感謝申し上げます。

 若菜の没後、彼女と親交の深かった春燈会員の岩永はるみさんと平沢恵子さんによる追悼文と合せ多くの俳友の方々から寄せられた追悼句をご紹介して、「日台を俳句で結んだ藤原若菜」の締め括りといたします。

 俳句鑑賞の素養など全くない私ですが、追悼句の一句一句に込められた友人の皆様方の若菜に対する思いを掬い取ろうと辞書と歳時記片手に一所懸命に拝読しました。彼女が私の知らぬ春燈という俳句世界の中でどのように受け入れられてきたのか、そして没後も尚どのように皆様の胸に生きながらえているのかを垣間見ることのできる貴重なよすがとなりました。

 最初は、若菜の春燈の先輩であり、良き友人でもあった岩永はるみさんの追悼文「さやうなら、若菜さん」です。岩永さんには、ロンドン駐在時代、一時帰国の折春燈の編集室にお邪魔し、一度しかお会いしていませんが、若菜が去ってから、度々私のブログの感想文を送ってくださり、元気づけていただきました。

 俳句には、夫婦が互いに恋い慕う心情を詠んだ「夫恋(つまこい)」というジャンルがあり、若菜の俳句には「夫恋」ものが多かったことを岩永さん始め多くの方々からご教示いただきました。

 照れくさくなるような句もあれば、涙ぐんでしまいそうな句もありましたが、生前、「夫恋」として詠み込まれていた彼女の心情に気付くような繊細な感性は私には欠けていました。今になってやっと、各句が何時、どんな心情で詠まれたのか、しみじみと思い浮かべることができるようになりました。

 

<追悼・藤原若菜>
さようなら、若菜さん
岩永はるみ

『春燈』2022年12月号より転載

 

 若菜さんが九月二十八日に亡くなられました。ご家族の意向でご葬儀に伺えなかったので、まだ実感が湧かず、いまもメールを打つとすぐ返信の来そうな気がします。
 若菜さんに初めてお会いしたのはたしか岩村の勉強会の時で、なんと優しいもの静かな方かと思いました。腰近くまである豊かな髪と少女のような面差しが印象的でした。のちに編集の仕事をご一緒して、たとえば言葉や文法の解釈などでもご自分の意見をはっきり言われ、信念の方だと知ることとなります。編集部にとって頼もしい方で復帰されるものと思っていました。
 親しくさせて頂いたのは平成二十八年の十一月、私が再び編集に参加してからの数年でしたが、常に礼儀正しく日頃の言葉遣いを崩したりは決してなさいませんでした。
 春燈俳句会には平成十八年入会。二十五年には燈下集に。
 誌面では平成二十二年七月号から三ヶ月にわたって「台湾俳句事情」を執筆。春燈賞受賞の時の特別作品三十句も「蓬萊夢譚」でした。若菜さんを偲ぶのは、俳句を読み直すに如くは無いと思います。初期の作品を引きます。

  訥々と花の名言へり花野守
  春きざす鐘楼門の白き壁
  鳥獣の恋を抱きて山笑ふ
  あらたまの吉日好きこときひとと

 燈下集に入られてからは、「春燈の二、三句欄から」や「当月集を読む」など俳句の講評を手掛けられ、どの欄も的確な温かい講評でした。
 編集の仕事をしていて、夕方になると「先に失礼します」と席をたたれ、ご主人の元へ急がれていました。

  夫婦して捜す失せもの寒の明
  ほろ酔の夫とつなぐ手十三夜
  初しぐれ駅へ迎へに行きませう

 思いがけず罹患されたのが令和二年の夏。

  言ひかへす妻となりけりとろろ汁
  夫と訪ふ古民家カフェ萩日和
  主夫こなす君よ勤労感謝の日

 句は穏やかでしたが、病は手強かったのでしょう。

  狐花帯状疱疹ひろごれり【狐花:キツネバナ、彼岸花・曼珠沙華の別称。秋の季語】
  退院の今朝の贅とて曼珠沙華
  点滴の毀す血管沈丁花
  予後といふ日々の明け暮れ草の花

 春燈にも編集にも、惜しい方に逝かれてしまいました

 

 次は、春燈では若菜の後輩ながら、心許し合える良き友人として親しくお付き合いいただいた平沢恵子さんの追悼文「見据える力」です。同じく『春燈』2022年12月号より転載しました。

 

<追悼・藤原若菜>
見据える力
平沢恵子

 

 藤原若菜さんが九月二十八日に亡くなられました。九月二十日(紅俳句会)当日の午前、若菜さんより「体調不良の為欠席しますが句会場には参ります」 を受信。 引継ぎの事等安立先生や会の皆さんと言葉を交わされるものの、表情は険しく、不安を覚えるなかエレベーター前にお見送りしました。 その後ご主人の車で病院に行かれそのまま入院。
 一度ご自宅に戻られ、再び入院されたのが二十八日早朝と伺いました。病気治療を続けながら句会に臨まれていましたが、突然の訃報にたいへん驚きました。
 若菜さんは平成十七年船橋東武俳句講座 (現紅俳句会)に入会の後十八年に春燈入会。 二十一年からは編集スタッフとしてお力を発揮されました。
 俳句との出会いは平成三年から約四年間、 ご主人の転勤に伴う台湾在住時に、台湾俳句会の黄霊芝先生にその魅力を教えていただいたとお聞きします。 平成二十年入会の初心者の私は、実力はもとより、 若菜さんの懐の広さに魅かれていきました。 背に揺れる真っ直ぐな長い髪、長身の立てるヒールの音が耳に残ります。

  日盛や広場見下ろすカフェの窓

 紅茶を含み静かに頷かれる横顔、さり気無い励まし、幾度となくいい時間をいただきました。
 春燈誌平成二十二年七月号から九月号にかけてのエッセイ「台湾俳句事情」、二十三年十月号に寄せられた「台北好日」には圧倒されました。 更に「感性の発露」 「共感と説得力」「作者のたがやす言葉」「個性の羽搏き」。これらは、執筆された作品鑑賞に付けられたタイトルですが、時に眺めては項垂れております。

  梨剥くや愛疑はぬ夫のため
  ふたり目も嫁いでゆきぬ鰯雲

 告別式には若き日のナイスカップルのお写真が添えられてありました。コロナ下に東武俳句講座は閉講しましたが後の紅俳句会には令和四年八月まで出席されました。

  麦秋や川風を行く師の背

 安立公彦先生の厚いご信頼と、会の皆さんの敬愛の念。若菜さん ありがとうございました。 まだ七十歳でした。

  ここへきて夫に頼るや花野径

 

 最後に、前号でご紹介した大平さゆりさんにまとめていただいた若菜への追悼句をご紹介して、稿を閉じます。

 

■若菜さん追悼句


『春燈』2024年12月号

月明のさゆれ面影近うする(悼)
  平沢恵子
星月夜友の優しき声聞こゆ
(若菜様三回忌)
  荒井ハルエ
雁渡し君ゐぬ窓を見上げては(悼)
  大平さゆり

『春燈』2023年2月号

色褪する肩掛け母に包まるる
(悼・若菜様)
  荒井ハルエ
冬羽織眩しきままに去りゆけり(悼)
  平沢恵子
形見分けのコート羽織りて星遥か(悼)
  大平さゆり

『春燈』2023年1月号

友逝くや花野は風の吹くばかり(悼)
  岩永はるみ
君がため黄泉路を照らす秋蛍
(悼・若菜さん)
  林紀夫
夫恋を詠みつつゆける月の舟
(悼・若菜さん)
  栗原完爾
面影の丈為す黒髪桐一葉
(悼・藤原若菜さん)
  こう運藩
火恋し友の訃報を聞きし夜は
愛の羽根失するも愛は疑はず(悼)
  小倉陶女
亡き人の着信履歴雁渡る(悼)
  矢口笑子
友逝きてことさら白し秋の雨
十三夜友との別れ忽と来し
(悼・若菜様ニ句)
  西岡啓子
ひとり来て亡き人偲ぶ花野かな
夫恋ひのあまたの遺句や身に入みぬ
逝く秋や句友の席のそのままに
(悼・若菜様三句)
  荒井ハルエ
後の月君ふりかへりふりかへり
(悼)
  宮崎洋
真直なる背ナこつこつと花野道
(悼・藤原若菜様)
  平沢恵子
秋薔薇師とも姉とも慕ひけり(悼)
  大平さゆり
木犀の残り香永久の別れかな
散りいそぐ美しき一葉のありにけり
(悼)
  臼井さゆり
秋空へ旅立ちにけり竜迎へ
(悼・藤原若菜さん)
  中洋子
鴛鴦や流れに美しくむつまじく
(悼・藤原若菜さん)
  荻原登代子

『春燈』2022年12月号

玲瓏の秋月仰ぐ友在らず
秋澄むやあるじ無き席なほ更に
(悼・藤原若菜さん)
  名誉主宰安立公彦
鰯雲まだ語りたき事あまた
(悼・藤原若菜さん)
  岩永はるみ
ご夫君の鈴を標に花野道
(悼・藤原若菜様)
  大平さゆり
患ひて爪美しき白露かな
(悼・藤原若菜さん)
  中洋子

 

 若菜のために追悼句を投句していただいた皆様、ありがとうございました。心より御礼申し上げます。(おわり)

                 

 

  

【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
 昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。


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