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『ラム&コカコーラ』が懐かしい 【連載】呑んで喰って、また呑んで(86)

2021-03-04 11:04:21 | 【連載】呑んで喰って、また呑んで

【連載】呑んで喰って、また呑んで(86

『ラム&コカコーラ』が懐かしい

●キューバ・ハバナ

 山本徳造 (本ブログ編集人) 

 


『ラム・アンド・コカコーラ』という歌があった。私が大学生だったころ、よくテレビやラジオから流れてきたものである。とにかくリズムが軽快だったので、
 ♪ラム・アンド・コーカコーラ
 と、自然と口づさんだものである。
 ところで、この歌のルーツをたどると、もともとマルティニークの民謡だったらしい。それを土台にベネズエラのライオネル・バラスコが作曲し、『過ぎ去りし年』という名で一躍カリプソの人気曲に。
 1943年になって、トリニダードのルパート・グラントが社会を風刺するような歌詞をつける。「ヤンキー(米兵)たちは彼女たちをうまくあしらう」「いい値段を付ける」「花嫁が米兵と駆け落ちし、バカな夫は気がヘンになった」といった歌詞からもわかるように、地元の女性たちが米兵相手に体を売ってカネを稼ぐ様子を皮肉たっぷりに描写したのである。
 この社会風刺ソングを気に入ったのが、たまたま米国慰問協会 (USO) の一員してトリニダードにやって来たアメリカ人のモーリー・アムステルダムだった。著作権云々も関係なしに、彼は歌詞を変えて発表した。こうしてアメリカ版の『ラム・アンド・コカコーラ』が誕生する。
 歌詞が違っても、現地の女性たちが米兵の慰め者になったり、売春婦をイメージされせる内容に変わりはなかった。一体、どんな歌詞だったのか。

Since the Yankee come to Trinidad
They got the young girls all goin' mad
Young girls say they treat 'em nice
Make Trinidad like paradise 
ヤンキーがトリニダードへやって来て
若い女の子たちはみんな彼らの虜
女の子たちは、彼らが優しくしてくれるという
おかげでトリニダードは楽園のようだ(wikipediaより)


 しかし、1945年にアンドリューズ・シスターズが歌って世界的にヒットする。『ビルボード』誌のチャートで10週連続でトップを走り、なんと700万枚を売り上げたというからすごい。
 歌ったアンドリューズ・シスターズだが、彼女たちは曲のリズムが軽快なので、いたく気に入った。しかし、歌詞のことなどまったく考えていなかったという。小さなことは気にしない。神経が太いのか。こうでなくちゃ、厳しい芸能界は生き残れないのかも。いずれにしても、ラム酒とコカコーラの売り上げに大きく貢献したことだけは確かである。
 ちなみに、アンドリューズ・シスターズのヒット曲は他にもある。ジャズのスタンダード・ナンバーとして有名な『素敵なあなた』だ。あのジョン・F・ケネディーもお気に入りだったという。

 ところで、ラム酒をコカコーラで割って呑むようになったのは、いつ頃なのか。
 アメリカとスペインが戦った米西戦争はアメリカの勝利に終わった。1898年ことである。キューバに進駐した米陸軍通信隊の大尉が、ハバナのバーで気に入ったカクテルと遭遇した。ラム酒とコカコーラを割ってライムを絞ったカクテルである。
 大尉は毎晩のように、そのカクテルを呑むのが習慣に。よほど美味そうに呑んでいたのか、マネする米兵が次々と現れる。当の将校も気分がよかったに違いない。
「みんな、一つ提案があるんだ」と彼は他の将校たちに言った。「このカクテルで乾杯するときは、スペイン語でやろうじゃないか。『por Cuba libre(キューバの自由のために)!』とね」
 大尉の提案に反対する者はいなかった。こうして「キューバ・リブレ」が誕生したという。そして、1902年にキューバが独立した。キューバの人々はお祭り騒ぎである。口々にこう叫んだ。
「ビバ、クーバ・リブレ!」(キューバの自由に万歳!)
 キューバは独立したというものの、実際にはアメリカの植民地みたいなものだった。酒がまずくなるので、その話はここでは止めておこう。私の学生時代に話を戻す。
 どこでも売っていたコカコーラだが、ラム酒となると簡単に手に入らない。まだまだ日本人には知名度がなかったので、ラム酒を置いている酒屋なんてめったになかった。代わりに呑んだのが、ウイスキーである。
 その頃、若者たちの間で流行っていたのが、ウイスキーをコーラで割る「コーク・ハイ」だった。別にラム酒でなくても、ウイスキーで我慢しよう。呑んで騒ぎたいだけだから、ウイスキーでもよかったのだ。口当たりがいいので、ついつい何倍も呑んでしまう。もう、ヘロヘロになったものである。
 その当時の安いウイスキーといえば、「サントリー・レッド」だったろうか。しかし、社会人になってから、その恩義を忘れて、見向きもしなくなった。ところが、レッドの値段を見てびっくり。な、なんと、手ごろな価格のスコッチ・ウイスキーよりも高いではないか。当時からは想像もできないことが起きているようだ。
 レッドでさえ、そうなのだから、他の国産ウイスキーの評価も鰻上りだ。ヨーロッパやアメリカ、それにオーストラリアのバーでは、日本の高級ウイスキーが品薄でなかなか手に入らない状況である。
 なんでも、2万円、3万円は安い方で、1本10数万円もするウイスキーもあるらしい。それでも買う人が後を絶たないという。日本産ウイスキーの実力を思い知る昨今である。もう勿体なくて、コーク・ハイにするなんて、とてもとても。ラム・アンド・コカコーラで我慢しよう。


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