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歌えば楽し 【気まま連載】帰ってきたミーハー婆㉑

2021-10-21 05:49:34 | 【気まま連載】帰ってきたミーハー婆

【気まま連載】帰ってきたミーハー婆㉑

歌えば楽し

 

岩崎邦子 

 

 

 ♪夕焼小焼の 赤とんぼ

 唱歌『赤とんぼ』の歌い出しである。
 所属しているコーラスの会(月2回)が、10月から再開された。緊急事態宣言が9月末で解除されたからだ。そんなわけで、7月まで練習をしていた楽譜を持参して行った。
 休んでいる間に、すっかり秋になってしまったこともあって、発声練習にもなる曲として、秋らしい唱歌・抒情歌の楽譜がいくつか用意されていた。『赤とんぼ』をはじめ、『里の秋』『もみじ』『小さい秋みつけた』など、子供のころには、好んで盛んに歌ったことのある馴染みの曲ばかり。
『赤とんぼ』(三木露風・作詞/山田耕筰・作曲)を歌う前、先生から作意の説明が。そのせいもあってか、しみじみとした趣も感じながら歌うことに。
 三木露風は幼少時代、両親が離婚のため祖父に養育され、子守奉公の姐や(ねえや)が面倒をみていたという。だからなのか、歌詞からは、姐やの背中の暖かさや、ほのかな恋慕も、感じられる。

 ♪負われて見たのは いつの日か 
 ♪十五で姐やは 嫁に行き

 長じてくるに従って、母親への惜別の情の奥深さ、そして静かに思いを馳せる姿が。

 ♪お里の便りも 絶え果てた 
 ♪とまっているよ 竿の先
 
 子どもの頃には無邪気に歌っていたが、どの歌にも作者の心意気が吹きこまれていることを知った。
 ところで、コーラスの会の練習再開にあたっては、もちろん、コーラス用のマスクをし、留意すべきこと(事前の体温測定・消毒・窓の換気・椅子の間隔を空ける・スリッパの履き替え)を守る。でも、会員の出席は強要されない。
 会からの連絡内容には、練習する楽譜名と共に、今まで休んではいたが、正式に退会する人が2名あると記されていた。なんでも、「主人の体調が悪い」「何かと忙しいから」とか。
 さて、緊急事態宣言解除といえども、コロナ禍がすっかり終えたと言えない。練習日に参加することを控える人もいたので、コロナ騒ぎがなかった以前に比べて、参加者の人数がうんと減った。淋しい限りである。恒例だった白井市民音楽祭への不参加も影響しているのだろうか。
 ところで、コーラスの会が休会していた日々はどうしていたのか。時々は楽譜を見て、ICレコーダーで聞きながら、一人で歌ったりもしてはきた。でも、やはり先生のピアノ伴奏や歌への諸注意を受けながら、笑ったり、おしゃべりしたりして、仲間と声を合わせて歌うことは何とも楽しいものである。
 夫は緊急事態宣言下でも、ゴルフだけはそれなりの注意事項を守りながら、プレーを楽しんでいた。そのゴルフ仲間の人たちから、私たち夫婦にカラオケのお誘いが。
 カラオケに誘ってくれたのは、ご夫婦でグリーンに出ておられる二組。年齢も10歳かそれ以上若い方たちだ。私はとっくにゴルフのプレーはしていないのに、私にもカラオケには出て来るように、と再三、再四のお誘いである。
 このブログのエッセイにも書いたことがあるが、昔の夫はというと、歌うことに縁がない人だった。ゴルフで遠征した先で宴会があっても、「お酒、飲めません」「歌うことはありません」で、本人にその気がなくても「機嫌が悪い人」になってしまったようだ。
 そんな夫に、私は「少しは歌えたほうが良いから」と、勧めた。遠征バスの中でも仲間と歌えるようにと、やさしい歌の歌詞をまとめた「歌本」を私が作ったことも。
 以後、歌好きの人からの刺激も受け、スマホで聞き覚えたりしている。決して上手くはない。だが、声を出すことの良さ、効能も理解してきて歌うことを楽しんでいるようだ。
 さて、カラオケに行くのは、孫が来た時に行って以来だから、もう久しい。コーラスで歌うのと、カラオケで歌うのとでは、自ずと違ったものがある。歌うことは好きであるが、あの画面上の歌詞に合わせることは、慣れがなければ上手くいかない。
 ま、屁理屈はさておき、ご好意で言ってくださっているのだからと、出かけて行った。その場所は、今はすっかりご無沙汰をしている友人の家の近くにある店だが、その昔とは違った名前になったカラオケ店であった。
 誘ってくださった方の家からはかなり離れた場所でもある。聞けば、当時は流行っていた店も、コロナの影響で軒並み潰れてしまったとか。
 カラオケ店に入店する。今では消毒液などは当たり前のことで、体温を測ってから予約されていた部屋に。とても広くて大きな窓もあったので、明るい。想像していた薄暗い部屋の印象は全くない。
 コの字型にテーブルが配置されていて、その間隔もかなりある。消毒されたマイクカバーを、それぞれが歌う際に装着するシステムだ。飲み物(アルコールを含む)や、食べ物は持ち込みが可能で、水や氷は受付の近くに置かれてあった。
 慣れた手つきで、奥様方が食べ物・飲み物のセッティングをされていく。私は何をして良いのかわからず、茫然と辺りを見回してばかり。
 大きめのカラオケ機(DAM)が奥の中央にデ~ンと。私が座った向かいの壁にもカラオケ画面が備わっている。デンモク(選曲するタッチパネル)も3個用意されていた。
「まだ習いたてだ」と言いながらも、Iさんが口火を切る。森山直太朗の『さくら』だ。その昔は、夫のようにあまり歌うことはなかったそうだが、なんでも私の作った歌本が引き金になったのだとか。
 最近はすっかり「一人カラオケ」にはまって、次々と挑戦しているのだとか。なにしろ良い声の人なので、歌が映える。
 すらりとしてダンディなОさん、歌もおしゃれに流行りの歌をチョイスされていた。飛び入りで参加されたのが、カラオケ大好きというFさん。さすがにどの歌もお上手だ。
 必ず最初に、すぎもとまさとの『吾亦紅』を歌うというNさん。この日、男性たちが歌われた曲は、杉本眞人作曲の歌が多かった。年配男性を虜にしているのだろうか。
 夫も、それなりに用意してきた歌を、上手くはないが、機嫌良く歌っている。順番に曲を入れて行くように促されて、私も歌うことになった。なるべく元気に歌える曲を選ぶ。ま、最初のしり込みもどこえやらである。歌ったみれば、それなりに楽しい。
「一向に歌い始めてくれないなぁ」と思っていた二人の奥様方は、デュエットで女性演歌を仲良く歌われた。夫によれば、この二人はゴルフでもいつも一緒になさっているという。だんだん興に乗ってからは、セリフ入りの曲を、声色もよろしく発揮されて大喝采。場慣れされていることに関心もひとしきりだった。
 歌の合間には、ゴルフ仲間の近況の話が。病気が見つかった人、体力が続かなくなり、プレーは引退なさった人、老々介護になっている人。明日は我が身か、とのの思いもしきりである。
 今のところ、私たち夫婦は、ほとんどのグループの中で最高齢者となってしまった。お誘いくださることに感謝したい。「歌えば楽し」の日が少しでも長く続きますように!

 

 

【岩崎邦子さんのプロフィール】 

昭和15(1940)年6月29日、岐阜県大垣市生まれ。県立大垣南高校卒業後、名古屋市でОL生活。2年後、叔父の会社に就職するため上京する。23歳のときに今のご主人と結婚し、1男1女をもうけた。有吉佐和子、田辺聖子、佐藤愛子など女流作家のファン。現在、白井市南山で夫と2人暮らし。白井健康元気村では、パークゴルフの企画・運営を担当。令和元(2018)年春から本ブログにエッセイ「岩崎邦子の『日々悠々』」を毎週水曜日に連載。大好評のうち100回目で終了した。


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