【連載】呑んで喰って、また呑んで㊲
冷えた燕京ビールと葱爆羊肉
●中国・北京
「どうでもええけど、人が多いなあ」
「ほんまや、疲れるわ」
そんな関西弁の会話を友人のM君と交わしながら、昼下がりの王府井を後にした。もちろん、歩いてである。王府井といえば、観光コースにもなっている北京の繁華街だ。外国からの観光客、地方からやって来たお上りさん、暇人などで混みあっていた。ふーっ、人混みは疲れる。それに8月なので、蒸し暑い。昼食も混みあった店は遠慮したいものだ。10分ほど歩いたところに、その店があった。何の変哲もない食堂である。が、昼食時というのに客が少ない。
「ここにしよか」
とM君が眼を輝かせた。少々料理が不味くても、ゆっくり呑めそうだからである。M君にすれば、料理なんか二の次、三の次。美味くて安い酒があるだけで、無上の喜びを感じる男なのだ。20代後半と思しき男の店員がメニューを持ってきた。
「暑いから、まずはビールやな」M君が雑巾のようなタオルで顔の汗をぬぐいながら私に尋ねた。「ビール、何にする?」
「そうやな、今日も『燕京』にしよか」
北京語の達者なM君が、北京で一番人気の燕京ビールを注文してから、店員にこう念を押した。
「冷えたビールやで。ものすごく冷えたビールや」
それを聞いた男の店員は、分かったのか分からないのか、何の返事もなし。背はひょろ長く、青白い顔はあくまでも無表情だ。しばらくして、その青年が気怠そうにビールを運んでは来た。どうせまた生温いビールだろう。ところが、である。そのビール瓶を手で触ると、なんと冷たいではないか。
M君のグラスに注いでから、私のグラスにも。手にビール瓶の冷たさがひしひしと伝わる。こんな冷たいビールにありつけるのは、北京、いや中国では珍しい。前々日、瀋陽から新幹線に乗って北京に戻って来たのだが、新幹線の食堂車で呑んだ缶ビールなんか、腹が立つほど生温かった。けど、エチオピア最大の港町だったアッサブ(今はエリトリア領)のレストランで呑んだ「ホット・ビール」としか言いようのないビールに比べると相当ましだが……。
さて、料理は何を頼んだかと言うと、「葱爆羊肉」にした。マトンとネギの炒めものだ。暑さでバテて疲れた体には羊肉にかぎる。M君がマトンを頬張ってビールを流し込む。満足そうに目を細め、
「うー、美味い!」
とM君。
「やっぱり羊は美味いやろ」
私がそう言うと、
「羊の味はわからんけど、この燕京ビールは美味いわ」
さすが、美食家とは正反対のM君である。もし料理人が聞いたら、泣いたことだろう。いや、包丁を持って追い回されたかも。そうそう、瀋陽でこんなことがあった。小腹が空いたので、通りすがりの大衆食堂に駆け込み、一番簡単そうな汁そばを注文した。
店員のおばさんが汁そばを運んできたのだが、彼女の指が汁そばの中につかっている。こりを見て食欲が失せたが、食べないわけにはいかない。まずレンゲで汁を吸う。驚いた。味がない。お湯に限りなく近いと表現すればよいだろうか。怒るどころか、思わず笑ってしまった。
麺は麺で、これまた最低だった。コシも艶もまったくない。一口食べて、後は食べるのを断念した。それなのに、それなのにである。テーブルの向かいでM君が、
「あー、美味いな。ほんと美味いわ」
と汁そばに舌鼓を打っていた。M君がいかに味オンチかわかるだろう。
北京の食堂に話を戻す。日本では「ジャージャー麺」で知られる炸醤麺も追加注文する予定だったが、青菜炒めとビールを二人で半ダース呑んだので、お腹がはち切れそうになった。北京に来たなら、やはり「涮羊肉(羊肉のしゃぶしゃぶ)」を食さなければ、片手落ちというもの。それは夜のお楽しみ。北京ダック? そんなのバンコクの屋台で喰い飽きた。