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迷路の奥で見つけた モロッコの旅② 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉘

2023-11-04 18:42:15 | 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉘

迷路の奥に見つけた  モロッコの旅②

フェズ(モロッコ)

 

 

 テトゥアンからオンボロのボンネットバスに揺られてフェズに向かった。260kmほど南下しただけで気温が10℃も上がって40℃を超えている。バスの窓のいくつかは割れたままだ。乾いた熱風が容赦なく吹き込んで来て、肌を刺す。肌から水分が奪い取られ、皮膚が引きつるような感じがする。Tシャツに短パン姿の私は、たまらずタオルで頬被りをして、うつむいていた。

 乗客の多くは、「ねずみ男」のような全身を被う三角フードのついた民族衣装ジュラバを着ている。男達は、フードを目深に被り、女達は、ヒジャブと呼ばれるスカーフで顔を被っている。一見暑苦しく見えるジュラバだが、全身を隠すことによって、日避け、風避け、砂避けの役目を果たす極めて合理的な衣服であることがよく分かった。

 

 

▲フェズの遠景

 

 フェズは1000年の歴史を誇る古都だ。世界最大の迷宮都市として知られ、1981年には世界文化遺産にも登録されている。フェズ・エル・バリと呼ばれる旧市街は、外敵の侵入を防ぐために2.2㎞×1.2㎞の城壁に囲まれている。

 城壁の中は、侵入してきた敵が自由に行動できぬよう人がやっとすれ違うことができるほどの狭い9000もの路地が入り組んでいる。メインゲートのブー・ジュルードをくぐると、大勢の子供たちに取り囲まれた。大声で何かを叫んでいる。フランス語だ。スペイン語、フランス語、ポルトガル語、イタリア語はラテン語から派生・発展したロマンス語に分類され、これらの言語を話す人々の間では、簡単なことであれば、お互いになんとなく意味が分かってしまうのだ。

 私は、スペイン語で応じる。お互いに、同じ事を繰り返したり、言い回しや単語を変えたりしながらのコミュニケーションなので時間は掛かるが、なんとか意思疎通はできる。

「ムッシュ、フェズの街を一人で歩くのは無理だよ。必ず迷子になるから。ボクが案内してあげる」

 そんなことを皆が勝手にまくし立てる。

「イヤ、いいいよ。一人で大丈夫だから」

 私は、根拠のない自信と、相手が子供とは言えぼったくられてもめるのはイヤだ、という気持ちから邪険に追い払おうとした。しかし、モロッコの子供たちは、簡単に引き下がるほど柔ではない。各々が、フェズの歴史や見所などをわめき立て、自分が如何に優秀なガイドであるかアピールする。根負けして、中でも一番悪そうではない(?)顔つきの男の子に声をかけた。

「分かった、分かった。では、キミにガイドを頼む。何時間ぐらい案内してくれるの?いくら払えばいい?」

 男の子の名前も、いくら払ったかも覚えてはいないが、彼が優秀なガイドだったことは強く印象に残っている。便宜上、彼のことは、モロッコでとても良く聞く名前、Si Mohamed(シ・モハメド)と呼ぼう。シ・モハメドと商談が成立すると、他の子供たちは、一斉にいなくなった。彼らなりのビジネスルールのようなものがあるのだろう。

 テトゥアンが異世界の入り口だったとすれば、フェズは異世界そのものだった。テトゥアンではアンダルシア様式の建物が目だったが、フェズはアラベスク模様で飾られた美しいイスラム様式の建物が多く、迷路の規模はテトゥアンとは比較にならぬほど大きい。

 街行く人の殆どはジュラバを纏い、どこからともなくギターの原型と言われる弦楽器ウード(oud)の音が流れてくる。空気は、銅や真鍮細工職人が打つ金槌の規則正しい音、機織り機の音、ロバの蹄の音、物売りの声…穏やかな喧噪とでも言うべき音に満ちている。あることに気づいた。電気的に増幅された音、自動車の音がないのだ。つまり、昔と同じ音環境の中にいるのだ、と。

 

▲▼私には単なる迷路だが、彼らにはいつもの「生活路地」

 

▲スーク(市場)の一隅

 

 メディナの奥に小さなモスクを見つけた。私が入ろうとするとシ・モハメドと周りの男達が「ラー、ラー、ラー!」と血相を変えて叫ぶ。「ラー!」の意味は分からないが、「入っちゃダメ」と言っているのは理解できる。シ・モハメドに訊いたらやはり「ラー!」はアラビア語で「ノー!」の意味だった。 その時、モロッコでは多くのモスクが異教徒の立ち入りを禁止していることを知った。

 

▲異教徒立入り禁止のモスク

 

 シ・モハメドは、タンネリと呼ばれる皮の鞣し場にも案内してくれた。フェズのタンネリでは、500年前から鳩の糞、石灰、アンモニアを使う独特の技法で牛、山羊、羊、駱駝の皮をなめし続けている。漆喰で作られた鞣用と染色用の桶が並ぶタンネリの景色は、圧巻だ。タンネリに近づくと、吐きそうになるような強烈な悪臭が鼻の奥にまでまとわりつく。  

 ここで働く職人達の多くは、この仕事を代々家業とし引き継いでいる。タンネリの桶を借りて、皮を持ち込んで仕事をしているのだ。炎天下で悪臭にまみれての重労働が世襲で続いているのは不思議な気がするが、それには理由がある。悪臭には慣れるし、好きな時間に仕事ができるので気儘な生活が魅力だという。何より、仕事が辛い分、結構な高収入らしい。(つづく)

 

▲タンネリの色鮮やかな光景 激臭が漂う

 

▲鞣した革を運ぶロバ

 

 

                                    

  

【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
 昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。


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