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渋谷駅 【連載】腹ふくるるわざ㊵

2023-01-12 06:56:11 | 【連載】腹ふくるるわざ

【連載】腹ふくるるわざ㊵

渋谷駅

桑原玉樹(まちづくり家) 

 

 

 

線路移動

 JR渋谷駅の改良工事の模様がTVニュースで報道された。改良工事は平成27(2015)年から5段階で進められ、今回の工事は第4段階目の工事である。山手線外回りと内回りのホームはこれまで別々にあったが、外回り線の線路を移動して外回りホームを撤去し、島式ホームに一本化することが目的。1月7日と8日の2日間、山手線の一部区間を全面運休して工事は実施された。

 線路移動は重機だけでなく人力も使ってやったという。数十人の作業員がバールなどを使い「よいしょ! よいしょ!」と掛け声を合わせて線路と枕木を動かしていた。すごい。感動した。重機が入れられないためなのか理由は知らないが、移動の精度も問われるだろう。古い鉄道建設技術の伝承を見るようで、ちょっとワクワクした。

▲JR渋谷駅改良工事

 

私の渋谷~文化の入り口

 私にとって渋谷駅は思い出の多い駅だ。昭和36(1961)年、中3に上がる時に目黒区上目黒に引っ越してきた。それまでは九州と青森の田舎で育ってきたから、大都会の様子に驚く日々である。
 最寄りのターミナル駅が渋谷だった。引っ越してすぐの頃、バスか玉電(東急玉川線、1969年に廃止)で渋谷まで出て、そこから都電(1968年に廃止)に乗って晴海まで博覧会を見に行った。
 田舎暮らしではこんなイベントは経験できない。世界の文明に触れた感じがしたものである。渋谷駅から東京都内の各地に行く、まさに都市文明への入り口が渋谷だった。
 また渋谷駅前の東急文化会館(1956~2003年、跡地は渋谷ヒカリエ)は文化の拠点だった。
 8階には五島プラネタリウム、6階に東急名画座、4階に渋谷東急、地下1階に東急ジャーナル、そして1階にはロードショー映画館「渋谷パンテオン」があった。私が東京に引っ越したのはちょうど映画「ウエストサイド物語」が日本で公開された年だ。これまで知らなかった文化に触れた思いがした。
 高校時代はトロリーバス(1968年に廃止)で通学していた。自宅近くの停留所(上目黒6丁目)から渋谷の大盛堂書店前を経由して新宿区にある戸山車庫まで約1時間の通学だった(お隣の敷地は女子学習院高等部で、同校の生徒もたくさん乗っていたが、お声掛けはご法度だった)。
 大学時代、教養学部のある駒場までは30分弱を歩いて通学していたが、大学の最寄り駅は京王井之頭線。そのため、何かと渋谷に出ることが多かった。ホッケー部の1年上の先輩は結構ハチャメチャで、節目節目には渋谷ハチ公前の噴水池に飛び込んでいた。また飲み会の2次会には甘いものが好きな部員にあわせて「渋谷西村フルーツパーラー」でフルーツパフェを食べた。

▲昔の渋谷駅前

 

ごちゃごちゃ動線

 そんな渋谷だったが、交通動線はごちゃごちゃだった。東口は都電とバス(都バスと東急バス)の動線が入り乱れており、地下鉄銀座線、東急東横線、東急玉川線、京王井之頭線が東横デパートめがけて突っ込んでいた。
 しかも国電山手線は東横デパートをぶち抜いて通る。動線がぐちゃぐちゃで連絡通路は迷路のようだった。「何とかできないか?」という思いが募った。
 
 渋谷駅周辺は独特の地形だ。渋谷川が谷底を流れ(今は暗渠だから見えない)、道玄坂や宮益坂などの坂道が谷に向かい、周辺の建物は斜面に建っている。そして渋谷駅はその谷底にある。そこで浮かんだアイデアはこうだ。

・この地形を利用して宮益坂から道玄坂まで蓋をするように数層の歩行者デッキをかける。
・そのために再開発事業を起こし、道玄坂にある「恋文横丁(進駐軍兵士へのラブレターの翻訳・代筆をする店があった)」をはじめとする戦後の老朽狭小店舗を整理し、大規模商業店を建て、歩行者デッキでつなぐ。
・合わせて鉄道・都電・バス・トロリーバスの交通動線を整理する。

 大学入学時点ではまだ進学する学科までは決められておらず、2年の秋に決めることになっていた。ちょうど工学部に「都市工学科」が新設されたことを知った。
 当然のように、このアイデアを実現するには「この学科に進学するしかない」と思うようになった。(当時、富士山遷都論が浮上したり、つくば研究学園都市の開発が始まったことも志望学科選択の動機になったこともあるが。)

再開発の実現

 そんな渋谷駅とその周辺の再開発への個人的な思いだったが、数十年経ってそれが少しずつ実現している。鉄道の新設(半蔵門線、副都心線)・廃止(玉電)、路線・駅位置の変更(東横線、埼京線)と合わせて、渋谷駅周辺では段階的に再開発計画が進行している。今回の山手線外回り線路の移動もその一環だ。
 私はこれらのプロジェクトに何ら関わることは出来なかったが、60年前の個人的な漠然とした思いを、姿かたちは異なるが誰かが着実に進めてくれている。うれしい限りだ。

▲渋谷周辺開発全体計画

▲渋谷駅周辺開発計画パース

 

 

【桑原玉樹(くわはら たまき)さんのプロフィール】

昭和21(1946)年、熊本県生まれ。父親の転勤に伴って小学校7校、中学校3校を転々。東京大学工学部都市工学科卒業。日本住宅公団(現(独)UR都市機構)入社、都市開発やニュータウン開発に携わり、途中2年間JICA専門家としてマレーシアのクランバレー計画事務局に派遣される。関西学研都市事業本部長を最後に公団を退職後、㈱千葉ニュータウンセンターに。常務取締役・専務取締役・熱事業本部長などを歴任し、平成24(2012)年に退職。現在、印西市まちづくりファンド運営委員、社会福祉法人皐仁会評議員。


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