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ジャニーズの若者たち 【気まま連載】帰ってきたミーハー婆㉛

2021-12-31 05:32:06 | 【気まま連載】帰ってきたミーハー婆

【気まま連載】帰ってきたミーハー婆㉛

ジャニーズの若者たち

岩崎邦子 

 

 

「Rさん(娘のこと)は地域の小学校に行くの?」
 娘が間もなく小学校入学準備となったある日、幼稚園の園長から尋ねられた。当たり前のことなので、
「はい、そのつもりでおりますが」
 そう返事すると、
「T子ちゃんも、K子ちゃんも、それから……」と、園長がいつも登園を一緒にしていた何人かの名をあげ、市川市内の街中にあるY小学校に行くことを知っているのかと聞く。
「いいえ? 知りませんが」
 どうやら、皆さん教育熱心な方々で、先々の進路なども、考えた末のことらしい。園長は、私がのんびりしていることに、危惧されたのだろうか。
「私の知り合いにY小学校の学区内の人がいるの、そこに寄留して手続きをしなさい。大丈夫、良い人だから」
 とまで念押しされた。
 こうして3歳違いの兄、つまり息子には可哀そうなことになったが、地域の学校から転校し、揃ってY小学校に行くことになった。朝は夫を駅まで車で送る時に、子供たちも同乗させて登校し、帰りは友達とバスで帰るというスタイルが出来上がった。
 娘が小学校4年生になると、中学受験を目指して塾通いをする生徒が、クラスの半数以上となった。彼女は学校給食が苦手で「お弁当を持って行ける学校が良い」とか「電車にも乗って行きたい」と、少し人とは違った理由もあって、受験を希望するようになった。
 友人に学習塾のことに詳しい人がいたので、その人に紹介されて娘は通うことに。週に何回かは市内の塾に。日曜日になると四谷大塚(都内のあちこちにあって中学受験のためのテストをし、その成績結果が自宅に送られて来て、学校選びの参考にする)に行くことになった。
 毎日勉強に忙しく追われることになるのだが、おっとりの娘は、あまり気にしていない。必ずテレビの前に陣取り、見ながらの勉強を続けていた。
 連続ドラマは欠かさずで、特に熱心に見ていたのは、久米宏と黒柳徹子が司会をしていた『ザ・ベストテン』であった。私もすっかり同調して見入るようになった。
 先ごろには気の毒なニュースになってしまった松田聖子や、中森明菜、小泉今日子、次々発掘される豊富な女性アイドル歌手の歌も覚えるようになった。
 が、何といっても、大人気となったのは、ジャニーズ・アイドルの走りである。田原俊彦、野村義男、近藤真彦の「たのきんトリオ」は別格だろう。トリオというよりソロ活動が中心であった。歌は下手だと言われていたが、田原のトシちゃんはダンスが抜群にうまい。
 レコード大賞をとったりして爆発的に売れたマッチこと近藤真彦は、ジャニーズの救世主のような扱いを受けるようになった。次々とデビューしてくる後輩グループに目を向けることなく、マッチは自身が趣味のカーレースに入れ込んでゆく。先輩風と我が侭ぶりは素人にも目に余るものが見え隠れ。後には長年の不倫までが発覚、メリーさん(ジャニーズ事務所の権力者でもあった副社長)が亡くなった今年、クビ同然の扱いになった。
 また、横道にそれてしまったが、娘の中学受験はどうにか第一志望校に入ることが出来、弁当持参、電車通学、おまけに服装は自由、ということで、思いが叶ったことになる。
 学校の行事参観に行くことは、私も楽しみであった。その一つに礼拝講堂に入って、校長の話がある前に荘厳なハモンドオルガンの演奏が聴けること。二つ目が麹町の日テレの脇を通るので、往々にしてタレントと行き会うことがあることだ。
 決して声をかけられるわけでないが、もう私のミーハー度がマックスになる。ほぼ6年間を母娘でテレビ番組の好みも一致して見ていた。
 その後、夫のアメリカ転勤を期にして、娘は留学、息子一人が日本の学校となって、一家離散状態に。私のロサンジェルス暮らしでは、日本のラーメン屋さんでDVDが借りられたので、明石家さんまの『男女7人物語』やの木村拓哉(SMAP)の『ロングバケーション』など、数々のドラマを観ていた。
 最近では、アメリカに居ても日本のテレビ番組や情報は、いとも簡単に見ることができる。娘もきっと日本の芸能界のことも、詳しく知っているに違いない。
 さて、櫻井翔が慶応大学に進んだことをニュースで知った。なんでもジャニーズでは初めての高学歴者になることの話題でもあった。入学式の照れくさそうな、はにかんだ顔が、画面に映し出されていた。
 まだ、ジャニーズのことをそれほど知らなかったが、タッキーこと滝沢秀明は抜群の知名度と人気であった。友人と麻布の密豆屋さんにいた時、女性より奇麗な顔をしたタッキーがやって来た。どうやら差し入れにするものを、取りに来たようだった。
 写真を撮りたいと思って声をかけると、本人は「いいよ」の体制であったが、女性のマネージャーが、すっ飛んできて、ストップをかけられた。タッキーは目顔で「ごめんなさい」の表情をしていたが、黙って写真を撮れば良かったのかな?
 彼はジャニーさんの後継者として、今ではタレント業を卒業してジャニーズの副社長になっている。「少年隊」「TOKIO」「V6」「KinKi Kids」「SMAP」と、次々と人気グループがテレビを圧巻していく中、「嵐」の5人グループが出来たのは1999年9月のことだった。
 ハワイの海をクルーザー上でのデビュー会見は、あまりにも有名である。だが、この時の大野・櫻井・二宮は乗り気でなく、気持ちは後ろ向きであったとか。
 ジャニーズには、先輩グループの他にも「嵐」の後に次々とデビューするグループがあり、まさにジャニーズはアイドル帝国ともいえる有様だが、グループを離れて独自路線を行く若者たちも続出した。
「嵐」は、初めてのコンサートで多くのファンを目の前にして、「頑張る!」の気持ちが湧いたという。5人は、特にセンター位置に固執することなく、それぞれの得意分野とか、個性を発揮した。でも、喧嘩をすることもなかったのは、お互いを尊重しつつ、少しばかり遠慮をし合うという、面々であったからではないか。
 大野は歌唱力とキレキレのダンス、櫻井の番組進行のうまさ、相葉の屈託のない明るさ、二宮の絶妙で愛のある毒舌、松本のコンサートに対する熱量とストイックさ。彼らのバラエティ番組での仲の良さで好感度も抜群だ。
 そんな雰囲気が如実に表れるのを見ているうちに、すっかり「嵐」ファンになった。と言っても、ファンクラブにも入っていないし、コンサートに行ったこともない。
「ジャニーズは努力が9割」と言われるが、櫻井翔のアイドル業と学生を両立させていた時の話が素晴らしい。両親との「慶応大学経済学部は卒業する」という約束もあって、櫻井がドラマやコンサートと大学の試験が重なった時は、1週間で8時間位しか寝ることが出来ない時があったという。
 そんな努力の甲斐があって、留年することもなく過ごした学生生活。その凄まじさを聞き及んでからは、彼への関心事は深まるばかりである。以後、櫻井はどんなにヘビーな仕事があっても、頑張れるのだとか。
 今年はオリンピック・パラリンピックが日本で開催されて、NHKのスペシャルナビゲーターを務めたことは周知のとおり。日テレでは長くオリンピックのキャスターを務めてきているが、来年の北京冬季オリンピックにも起用されている。大会や選手のことを徹底的に調べ上げ、独自の目線でも選手と対応することが、高評価されているのだろう。
 長時間の音楽番組の司会も、長年任されてきているが、今年は「嵐」が休止状態であるため、歌での参加は出来なかったが、「カイト」(NHKのオリンピックの歌)を、冒頭でピアノ独奏を披露していた。
 櫻井が『NEWS ZERO』のキャスターになったのは、まだヤンチャな姿をしていた2006年のことだ。彼は強く主張するタイプではない。客観的である。キャスターとは、AからBへ運ぶ役割とし、取材相手の思いをより多くの人に、拡声器となって伝えてゆく仕事だ。
「無難でありきたりなこと」を言わないようにしている。取材相手の著作や資料・DVDなどをじっくり見て、基本情報は漏らさない。
 また櫻井は今年、震災と戦争を2万5000字の文字にして、日本版『ニューズウイーク』に寄稿した。個人的に民族紛争や宗教戦争の本を読み漁り、長年追い続けてきた証言や資料を読み込んできたのである。
 アイドル業で忙しくても、櫻井の言葉(選び抜いた言葉のチョイス)をアンチに牛耳られることがあっても、そのことで彼の信念が覆ることはない。戦争を体験してきた当事者に真摯に対峙して、一番伝えたい言葉を引き出す作業だからだ。それに戦争の愚かさや悲惨さを伝える使命感も。
 さて、ジャニーズ事務所だが、人材を見極めることが抜群のジャニーさん、経営に辣腕を発揮してきたメリーさんの二人が没してしまった。メリーさんの娘のジュリーさんと、タッキーが主だって経営を担っている。
 ジュニアからデビューしていく中で、櫻井に見習って高学歴を目指す子たちも、ずいぶん見受けられる。その筆頭が、「Snow Man」としてデビューした阿部亮平だ。上智大学大学院理工学研究科を終了し、気象予報士の資格も獲得している。頭脳明晰で、礼儀正しく、丁寧な言葉遣いが目を引き、今はテレビのクイズ番組でもひっぱりだこ。
 ジャニーズには、デビュー組もジュニア組も、高学歴者は目白押し。ざっと、名前を挙げると 菊池風磨、加藤シゲアキ、小山慶一郎、中丸雄一、風間俊介、伊野尾慧、中島健人、マリウス葉、山下智久、中間淳太、川島如恵留、那須雄登、浮所飛貴、本高克樹、福本大晴。

 また、今年のNHKの朝ドラで好感度が上がり、頭角を現したメンバーもいる。『おかえりモネ』では、「King & Prince」の永瀬廉。『カムカムエヴリバディ』では「Six TONES」の松村北斗。
 若くて前途のあるジャニーズの一員として頑張っている君たち全員にエールを送りたい。もしかして、長々しい、贔屓の引き倒しだった? ミーハー婆としての本領がヒートアップしたのかも。どうかお許しを。

 

 

【岩崎邦子さんのプロフィール】 

昭和15(1940)年6月29日、岐阜県大垣市生まれ。県立大垣南高校卒業後、名古屋市でОL生活。2年後、叔父の会社に就職するため上京する。23歳のときに今のご主人と結婚し、1男1女をもうけた。有吉佐和子、田辺聖子、佐藤愛子など女流作家のファン。現在、白井市南山で夫と2人暮らし。白井健康元気村では、パークゴルフの企画・運営を担当。令和元(2018)年春から本ブログにエッセイ「岩崎邦子の『日々悠々』」を毎週水曜日に連載。大好評のうち100回目で終了した。


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