【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」⑭
私が駅前の体操教室に入ったのは、6年前のことである。隣に住んでいる孫娘からの紹介であった。彼女も母親(息子の嫁)もこの教室の生徒だったが、その後、孫は仕事の関係で時間が取れなくなり、教室を去ってしまう。当時から私はパークゴルフを楽しんでいたが、体全体の運動もした方が良いと思っていた。市の保健福祉センター「ウェルぷらっと」で運動出来るところもあり、無料というのは魅力的であっても、つい、雨が降るから、風が強いから、暑い、寒い、と勝手な理屈をつけて続かなかった。
近いことが何よりで、歩いても行けるところだからと、勧めに従ってこの教室を見学してみた。女性だけを対象にしている全国展開の教室だという。「今運動に時間を費やさないものは、後に病気で時間を費やすことになる」という文字が目に入った。
まず気が付いたことは、生徒のことを名字では呼んでいないことだ。〇子さんとか、〇江さんである。アメリカでは正式な場でないかぎり、ミセス〇〇とはあまり言わないことを思い出し、外資系のスポーツクラブらしいと思った。後で調べると、案の定、アメリカが本拠地のフィットネスクラブのフランチャイズチェーンであることが分かった。
日本では子供が小さい頃は「〇〇ちゃんのママ」が、当たり前のように言われる。専業主婦の場合は誰かの奥さんであり、子供たちの母親としての存在でしかない。でも、この教室は違う。大げさに言えば、それぞれの「個」を尊重しているようである。
教室のシステムや趣旨をコーチから説明された。マシンが12台。それぞれのマシンの間にウォーキングする台がサークル状に配置されている。音楽に乗せて、マシンとウォーキングを交互にしていくことを、コーチの指導の下に体験をするという。要するに、体のあちこちの筋肉を自分のペースで鍛えるように出来ている。所要時間は、最後のストレッチ体操を含めても30分ほど。営業時間内なら、好きな曜日・時間で良いことが分かった。月々の費用はかかるが、なんとか続けられそうに思った。
さて、近頃しきりに言われているのが筋力を鍛えること。「筋トレ」が奨励されているのだ。とくに高齢になってからは、ケガや様々の病気をしても筋力があることによって、かなり軽減するとされている。いかに運動や筋トレが大事であるかは、私も痛いほど分かっているのだが……。
筋力のなさではピカ一の私は、小学校の時は雲梯も鉄棒も跳び箱も、まるで出来なかった。縄跳びも下手だし、ドッチボールをすれば、いの一番にボールを当てられる。運動会も大嫌い。背の順に並べば一番前なので、「前へ倣え!」をしなくても良かった。先生は、そんな私を引き立たせようとしたのか、高学年になると、放送係に推薦され、マイクで号令を掛けたり、進行役を任されたりもした。運動が出来なくても、リーダー的な役目をすることを教わった気がする。
中学生になって体育の時間に懸垂測定があった時のことだ。先生に抱えられて高い鉄棒にぶら下がったのだが、
「平野、手を放すぞ!」
と言われ、途端にドスンと砂場に落ちてしまう始末。
筋力ゼロで運動音痴という情けない私を知っている同級生たちは、今では私が車の運転をしていることを不思議がり、パークゴルフを楽しんでいることなど、信じられないとさえ言っている。
子供時代は何事も姉たちの庇護のもと、依頼心ばかりが強かった。そんな私も大人になって、そして自分の子供が出来れば、先頭に立って家庭を切り盛りし、家族の健康と自分自身が元気でいなければならない。今も運動神経は良くないが、日常の生活をしている中で「元気だねぇ」と言われることが多い。
私は仲良くしてきた人からのお誘いには、なるべく応えるようにしている。それはグループメールで来ることが多いのだが、中には「参加できない」という理由を、自分のあちこちの体の痛みや故障を、微に入り細に入り、書き連ねた内容も見受けられた。同情したいところだが、すごくがっかりする。そうなった原因が「夫原病」だとも書かれているからだ。
確かに話題になったこの病気は、定年退職した夫との家庭内の葛藤が原因で起こる病らしい。「この人の夫は、自分の妻は優しく従順で、家のため夫のため尽くして当たり前に思っていたのだろうか」「現職中も今までは何ら問題もなく、疑問に思うこともなく過ごしてきたのかな」「彼女はどんな努力をしてきたのだろうか」
非情な私は、ついつい辛口な判断をしてしまう。長く夫婦をしてくれば、良い時もあるが、お互いに不満や言い分は山ほどある。それらを回避するために趣味や友人との交流を経て、何とか夫と日々の生活が居心地良くできるように、年月を重ねるものだ。誰かにメッセージを送る場合は、強がりを言うこともないが、あまりの弱音やマイナス思考は伝えたくない。
年を重ねるということは、体のあちこちや膝や腰に痛みが起き、体力もどんどん落ちていくもの。そのカーブの下降線を少しでも、なだらかなものにするためには、やはり体を動かすことだろう。まったく油断できないのだが、家の中でも転ぶことがある。まさかと思うが腕を折ったとか、大腿骨を折ったとか、びっくりするような事態を聞くことがある。私も外出時に派手に転んだ経験があるが、なんとか骨折という事態は免れた。体操教室で「筋トレをしているお陰よ」と、コーチから言われた。そのお陰か、運が良かったからなのか。
「筋肉は何歳になっても、つけることが出来る」と言われているように、筋力が弱いことで体の様々な不具合が起きる。肩こり、腰痛・膝の痛み、体力の低下などだ。血圧・コレステロール・血糖値も気になる。体形の変化・ポッコリお腹、これらの問題もすべて筋肉が減ってきて起きる現象なのだという。筋肉をつけるためには、たんぱく質の摂取が必須。このことは、体操教室では筋トレの上手・下手よりも、しつこく言われる。
動物性タンパク・植物性タンパクのそれぞれの食品に点数をつけて、毎日12点取るのが理想だという。例えば卵一個で1点、肉は手のひらいっぱい(100g)3点、納豆1パックで1点、牛乳200ccで1点、といった具合だ。食べ物だけで12点摂取するのは難しい。それを補うのはプロテインであるが、教室専用のプロテインを熱心にすすめられるので、商魂を感じてしまう。
毎日のように体操教室に通い、たんぱく質12点を守る人たちもいる中で、私は落第生かも。楽しいお誘いがあれば、ひょこひょこと出かけ、趣味の会にも参加している。すると、体操教室へは週3回がやっと。たんぱく質12点のことは「頑張ります」と言うしかない。さしあたって、体形に不満はあるものの、血圧などの数値に問題もなく、体の異常も感じていないからだ。平凡な願いだが、に少しでも長く生き、元気に笑いの多い暮らしをしてゆきたいものである。
「今運動に時間を費やさないものは、後に病気で時間を費やすことになる」
この言葉が脳裏をよぎる。私のモットーは、脚が痛くても、膝が痛くても、腰が痛くても、「無理はしないが、少し頑張って動く」である。だから、「大丈夫! 大丈夫! 今日も元気で過ごせたよ!」と声を大にして言いたい。