【気まま連載】帰ってきたミーハー婆(51)
他人の空似
岩崎邦子
外出する時にはマスクを掛けることが、当たり前のように日々を暮らしているが、誰かに出会っても咄嗟には、顔の見分けがつきにくい。そんな訳でつい失礼してしまうことがある。
駐輪場で出会った人に「マスクでお顔がよく分からなくて、ごめんなさいね」と言うと、
「いえ、私は分かりますよ。岩崎さんですよね」
「あらぁ! 分かりました?」
そう言えば、このマンションに越してきた当時は、廊下やエレベーターでも見かける機会が多く、会釈を交わし合っていた人で、多分私より20歳以上も若く、感じの良い人であった。
「岩崎さんを初めて見た時、私の母とちょっと似ているなぁと思って、ハッとしたんです」
「え? そうなの……」
もう30年も前のことを、今になって告げられたことに驚いた。
「あなたのお母さんに?」
「ええ、もう亡くなったんですけどね」
うーん、何と言ってよいのか。彼女は続けた。
「手仕事の展示品を出されていましたよね。その時に名前を知ったんです」
そう言えば、マンション内の行事の一つとして、住人の手作り品(絵画や書、手芸品など)を、コミュニティ棟で展示するという事が以前にあった。当時の自治会役員の人に何回か催促されて、パッチワークで作ったひざ掛けや、バッグやブローチ、ベストなど、何点か出品したことを思い出した。
以前には彼女の名前も知っていたはず。そう思っていると、
「私、D棟○○号のTです」
「あぁ、そうTさん、そうでしたね!」
我が家の孫たちが、Tさんがされていた公文教室で以前にはお世話になったことも初耳だった。
「そうでしたか、それは、それは……まぁ、失礼してしまっていましたね」
彼女には急ぎの用がありそうな雰囲気もあったので、「またね」と言って彼女を見送った。
ところで、こうした「他人の空似事件?」を、以前には私は何度か経験していた。
市川市に住んでいた頃、牛乳屋の小父さんが集金(当時、牛乳は各家に配達されていた)に来た時のことだ。
「奥さん」と、小父さんが、親し気に話しかけてきた。「この間、小岩の飲み屋に居たでしょう?」
「いいえ、人違いでしょ」と、私があっさり答えた。ところが、次の集金の時にも同じことを言うではないか。
「小岩? あの駅には、降り立ったこともないですよ」
すると、小父さんは「それはないでしょ?」といった顔つきで不思議がる。それどころか、こんなことも。
「じゃ、妹さんか、姉さんだった?」
「姉も妹もいませんから!」
ふん!とばかり、きっぱりと否定。
夫にこのことを話すと、
「お前はどこにも居るような、安い顔なんだな」
「安い顔って何さ。高い顔ってあるの?」
またある時は、ちょっとした知り合いに、こう言われた。
「三鷹で何してたの?」
「え? 三鷹?誰かの間違いでしょ」
「いや、絶対にあなただったよ!」
市川に住んでいるときは、都心に出かけるには総武線を利用することが多かったが、降り立ったこともない小岩や、はるか遠い三鷹には、当時は全く縁がなかったので、不思議でならない。
ところで、なぜ、肉親でもなく血のつながりもない人で、顔つきが似ていると「空似」と言うのだろう。ネットを見ていたら「空」は「見せかけだけの」「外見だけの」の意味であることから、とある。
「海似」「陸似」じゃないのは、「空似」の空は、陸海空の空ではなく、「虚しい」「うつろな」という意味の空なんだとか。
「赤の他人」と言うが、なぜ「赤」というのだろうか。
「赤」は「明白」の意で、「全く縁もゆかりもない他人」で、「完全に無関係の人」となる。「赤」が名詞の上につくと、「全くの」「すっかり」「明らかな」という意になるのだそうだ。
また、仏前に供える浄水のことを「閼伽(あか)」と呼ぶが、「阿伽(あか)」を語源とし、「水のように冷たい」「他人にも冷たい」「全く縁のない他人」といった意味に転じていったとも。
この世には自分にそっくりな人が、世界に3人、いや、もっといるという。いわゆる「他人の空似」ということだが、顔の特徴を決める遺伝子の数が限られているからだとか。血統的に近く、民族が同じなら似る確率は高くなるらしい。
ところで、私が知人に似ている人を街中で見かけたら、気安く声をかけられるだろうか。居合わせた時間、場所、環境、その人に連れがいるかどうか、簡単には答えが出ない。
私に似ていたという小岩の人にも、三鷹の人にも、時間や場所、その場の雰囲気など、声をかけ安ければ、居合わせた彼ら(牛乳屋も、知人も)は本人確認をしたかもしれない。その時点では声掛けが出来なかったから、後日私に確かめたくなったのだろう。
街中を歩けば、知人にそっくりな人や、芸能人の姿を見かけることもあったが、やはり声掛けをする勇気はなかった。
そう言えば、ある場所で「似てますねぇ」と、私に声を掛けられたことがあったことを思い出した。
夫の転勤でロサンゼルスにいた頃のことである。知り合いが、観光のためにやって来て、私達の所に訊ねてくることがあった。その大半の人たちの希望は、ロス市内の見学とロス近郊のディズニーランドが多い。
少し遠出になるが、サンディエゴやラスベガスなので、車で同行して案内することが出来た。サンフランシスコやヨセミテ国立公園となると、国内飛行機を利用する。
グランドキャニオンは、アリゾナ州(ロスの東方)にあり、コロラド高原が長年のコロラド川による浸食作用で、削り出された地形の、世界最大級の峡谷である。
登山・ハイキングコースとして有名でもあるが、女性が希望することはあまりない。私もそういった所があることは知ってはいたけれど。その「ない」はずの所に行きたいと計画してきたのは、私の叔母とその嫁の二人だった。
彼女らは日本で詳しく調べてきたらしい。10人乗りのプロペラ機に乗って、赤茶けた土が段々になった峡谷を空から見下ろしながら、見物するというものであった。
私にも一緒に行って欲しいとのこと。その飛行機に乗り込んだがパイロットを含めても8人。かなり揺れることや、ひょっとして墜落も覚悟を決めなければ、の心境となった。
「怖い、怖い」と言い出した叔母のなだめ役をしながら、平静を装って壮大な峡谷見物をした。峡谷を見下ろせる展望台で休憩をしたのだが、一人の日本人女性が私に近づいてきて言った。
「あなた、浜美枝さんに似てますね」
人懐っこい顔したアメリカ在住の日本人観光客のようだ。
「えっ、どこが!?」
もちろん、そう返事をした。
浜美枝さんは1943年生まれ。私の大好きな女優である。ライフコーディネーターもされていて、魅力のある女性だ。そんな憧れの美枝さんに「似てる」と言われると、悪い気にはならない。もちろん、彼女に似ていないことを、私は十分に分かっている。でも……。
【岩崎邦子さんのプロフィール】
昭和15(1940)年6月29日、岐阜県大垣市生まれ。県立大垣南高校卒業後、名古屋市でОL生活。2年後、叔父の会社に就職するため上京する。23歳のときに今のご主人と結婚し、1男1女をもうけた。有吉佐和子、田辺聖子、佐藤愛子など女流作家のファン。現在、白井市南山で夫と2人暮らし。白井健康元気村では、パークゴルフの企画・運営を担当。令和元(2018)年春から本ブログにエッセイ「岩崎邦子の『日々悠々』」を毎週水曜日に連載。大好評のうち100回目で終了した。