【連載】呑んで喰って、また呑んで(73)
三島由紀夫とポークソテーの関係
●台湾/高雄
台湾の高雄は私の大好きな都市の一つだ。つんと澄ました台北人と違って、高雄人は気さくである。それに「台湾の大阪」と呼ばれることでもわかるように、料理が美味い。
宿泊したホテル1階のバー・カウンターでスイカの種を肴に台湾ビールとスコッチのソーダ割を呑んでいたのだが、バー・カウンターの中から美味そうな肉の匂いが漂ってくる。フライパン片手に調理している従業員に尋ねると、「ポーク!」という返事が。
無性に腹が減ってきた。そろそろ夕食時間だ。私は隣に座る日本人のSさんに提案した。
「あれ美味そうですね。注文しましょうか」
「いいですね」
Sさんとは5時間ほど前に知り合ったばかりだ。
いつの話かというと、今から半世紀前のことである。同じ大学の友人U君と二人で台湾一周の旅に出たのだ。大学2年生の私にとって、初めての海外である。
台北を列車でスタートして台中、台南と南下し、高雄にたどり着いた。翌日、台湾が二度目のU君は別の用事であったので、私一人が高雄の観光スポットである澄清湖に路線バスで出かけることに。
しばらくして髭もじゃのバックパッカーが乗り込んできた。バスの中はほぼ満席だったが、たまたま私の隣が空席だったので、その髭男が座った。台湾人ではない。物腰から一見して日本人だとわかる。日本語で話しかけると、案の定、日本人だった。
私より一つ年長のSさんは早稲田の学生で、冬休みを利用して台湾一人旅の途中だという。
「昨日、高雄に着いたんだけど、たまたま知り合った台湾の大学生に頼まれて、彼のクラスで話をすることになったんですよ」
「へえ、一体何をしゃべったんですか?」
「三島由紀夫事件です」
「えーっ!」
「ついこの前、自決したでしょう。台湾の学生も興味津々らしくて、私にどういうことなのか、みんなの前で話をしてほしいと頼まれたんですよ。いやあ、人前、それも台湾の大学生に話をする経験なんて滅多にないでしょ。いい経験でしたよ」
その数カ月前、日本のみならず世界中を震撼させた三島由紀夫事件が起きた。昭和45(1970)年11月25日、作家の三島由紀夫と「楯の会」隊員が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自衛隊の総監を人質にとって憲法改正のため自衛隊に決起を呼び掛けた後に三島と早大生の森田必勝が割腹して自決したのである。
何という奇遇なのか。三島事件の後、全国の大学で三島由紀夫研究会が発足したが、私もその会員だったからだ。これも何かの縁だろう。澄清湖見学もほどほどにして、すぐにホテルに戻った。Sさんと一緒に呑むためである。彼は別の安宿に泊まっていたが、私の宿である王子大飯店のバーで一献傾けることになった。
Sさんはアジア、とくに中華圏に興味があり、北京語もかなりできるらしく、バーの従業員とも北京語で不自由なく会話している。Sさんとは三島由紀夫論で盛り上がったのは言うまでもない。話は尽きないが、ポークソテーが出てきた。熱した鉄製の皿に盛られているのでジュウジュウという音がいやでも食欲をそそるではないか。
もう我慢できない。フォークを程よい焼き色の豚肉に突き刺し、ナイフで一口大に切る。そして、口に放り込む。いとおしそうに噛むと、香ばしい肉汁が口いっぱいに広がった。どうしたら、こんな美味い豚肉料理ができるのか。日本で何度も食べてきたが、王子大飯店のポークソテーほどの絶品にいまだ出合ったことがない。まさに極上の一品だった。
その後、Sさんとは毎年年賀状をやり取りしていたが、2年前に鬼門に。今年も11月25日がやって来た。三島由紀夫事件からちょうど50年目である。例年開催の追悼集会「憂国忌」もコロナ禍の影響で入場制限され、ユーチューブで生中継された。出席者の顔を見ると、もう50年経ったことを嫌でも痛感させられたものである。