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ayameじいちゃんの日記かな?

今日も今日とて、ayameじいちゃんはお暇な毎日…。
道端で拾った名古屋弁混じりのお話もいいんじゃないかな?

昭和の日

2013-04-29 13:34:40 | 日記
 今日は、昭和の日ですね。

 昭和30年に生まれたじいちゃんは、この昭和と言う響きには敏感です。

 昭和20年に太平洋戦争が終わり、それから10年後に生まれたじいちゃんたちの子供の頃は、日本もまだまだ戦後の復興の時期で、終戦で大きく世の中が変化したとはいうものの、今のように先生はお友達ではなく、ちゃんと威厳も持っていて、体罰もしっかりされてました。

 確かに、子供に手を上げるのは間違ってます。

 が・・・、子供も今の子たちのように陰湿ないじめなんかでなく、面と向かってみんなの前でいじめたり、いじめられる奴もいじめた奴につっかかっていったり、力ではかなわないと石を投げつけたりしてた時代です。

 子供同士のいじめで自殺するなんて聞いたことがありませんでした。

 もしいじめが発覚したら、それこそ先生や親にメチャンコ叱られて(時にはぶん殴られて)、「仲良くしろ!」と言われ反省するしかありませんでした。

 しかし、当時のいじめは、地域全体が集団で集団をいじめる・・・、村八分にするようなのが、まだ残っていました。

 「橋のない川」という小説にあるような「問題」があって、ある特定の職業を営む集落や朝鮮の人たちを蔑視するなどの差別社会です。

 そういう話を聞きながら、じいちゃんたちの世代は育ってきたので、社会的差別問題にはとっても敏感です。

 大学での闘争も「解放運動」なんかに、すごく影響されてました。

 平成になって「問題」もあまり話題にならなくなりましたが、まだまだ裏世界では、そうした問題を抱えている地域もあるようです(大阪市などの不正職員採用などの問題も根っこには、この問題が潜んでいるようです)。

 こうした大きな差別問題から、今では「個人をいじめる」というなんだか器が小さな厭らしい個人攻撃的な差別が問題になってきました。

 集団差別は、集団で対抗することもできますが、個人差別はどうにもその人が生きていけないような状況に追い込んでしまうこともあり、じいちゃんはそんな「いじめ」をするやつが大嫌いです。

 子供の頃から割とそういうことが嫌いでしたが、たまにはやってしまったことも覚えています。

 そこには、何かで喧嘩したという理由もありますが・・・、いじめはイカンとその頃から思っていたのも本当です。
コメント
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