変温動物のほんとうはあったかはーと

冷たくないよ、ちょっと心が暖かくなる話を書きます。

市民運動から総理大臣しめくくり

2010-06-14 08:20:06 | Weblog
地道な小さな自治体から登りつめていくには、限界があったのだろう。
その人物の資質もある。
小さな自治体から生まれた議員は、その器でしかない。
中央に通じる人物にはなりえない。

また、その時の時代が必要としていた市民運動というのも、もうすでに、いまに時代では、必要とされていないという風にも思える。
それは、こう思う。

人口40万の自治体に、初めて市民運動から議員を送り出した時、その人選は、一人の強い人の意見で、行われた。人間性をほとんど知ることもなく、支援する体制は整っていった。本人も市民運動がなんたるかもよくわからず、表に出て、顔を売り込んでいった。私を含め周囲の人たちは、違和感を感じながらも、走り出した車に乗らざるを得ない。
市民運動のなかから、次々に議員を生んでいくその流れを止めたくなかったのだろう。

そして、ぎりぎりの当選ラインながらも、勝利を得た。
そこからが本当の市民運動になる。

でも、その人も自分の周囲には、イエスマンをおいて活動をしていた。
同じ目線であったはずのその議員となった人は、少しづつ市民運動目線からずれていった。それは、当然といえばそう当然かもしれない。4年後の2期目の時には、全く違う人達が、支援していた。その時には、別の市民運動の団体の中から、雨後のたけのこのごとく、立候補をして、議員が誕生した。それら、当選して議員となった人達は、その根本は、市民運動のはずであるけれど、連携を組むことはなかった。お互いの活動の理念がちがうのであろう。

そして、3期目の挑戦の時には、落選していた。


もう、市民運動という言葉を耳にしなくなっていた。
時代が市民運動というものに目をむけなくなってしまった。

菅総理がここまできたのは、はじめから、中央での進出に目を向け、ずれない支援者をおいていたところにある。そして、男であることも、重要なひとつ要因でもあるようにも思う。