院長の気まぐれ日誌

仕事のこと、私生活のこと、気になることなど不定期に書いて行きたいと思っています(´◡`)

戸定が丘歴史公園・戸定邸

2025-03-11 | 日記
20年ぶりに、戸定が丘歴史公園内のマイセンコレクション展(期間限定)と戸定邸を一緒に散策してきました。

戸定邸は、「明治時代の徳川家の住まいがほぼ完全に残る唯一の建物です」(松戸市戸定歴史館パンフレットから一部抜粋)

お屋敷が広すぎるため、説明がイマイチでしたので2週に渡り訪れました。2回目は★マークを付けました。



園内マップ。



戸定が丘歴史公園入口。



門を入り左方向へ。



表玄関。



表玄関横から。



左側:徳川昭武
右側:徳川慶喜(江戸幕府15代将軍)



★後日、散策に行った時は庭に降りられました。



邸内図。



案内マップを見ないと、迷ってしまいます。



徳川慶喜から徳川昭武に宛てた電報。



内蔵棟。
内蔵棟は、140年前にモルタル(セメント)でつくられたようです。



黒い葵紋付長持。
左側に、2階に上がる階段があります。



★葵紋付長持の解説。







中庭。
むかしのガラスは、厚みが不均等でなつかしく感じます。



表座敷棟。



★表座敷から外を見ると、木の間隔が左に数本分空いているところがあります。
その方向を見ると富士山がみえるようですが、今はビルで見えなくなっています。






★ガイドさんの説明。
徳川昭武は1867年、将軍名代として、パリ万博使節団の一員としておとずれた際、そのなかに渋沢栄一もいたそうです。
昭武はその後、通算7年間パリに留学していたようです。


離座敷棟。
昭武の生母・秋庭(しゅうてい)の座敷の欄間に、竹とスズメが彫られています。



★秋庭さんの実家は、京都の公家らしく、家紋に「竹にスズメ」の説明がありました。
万里小路家(までのこうじけ)の家紋。



使者の間棟。
コウモリの欄間。
当時、中国ではコウモリは福をよぶ縁起の動物だったようです。



使者の間棟の解説。



中庭。



湯殿。
浴槽は、昭和初期につくられ、当時の武士はお湯かけだけだったようです。



丸窓の座敷は2ヶ所あります。



離敷棟、案内。








戸定歴史館サイト

次回は、戸定邸の庭園をアップします。

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