小さい頃から、ふとした疑問が親の知識では答えが出ずに、そのままひっかかってしまった事がある。
あぁ、そんな時、そばにいるのが物識りな大人だったら、きっと私は今の私ではないだろう。
『子どもの言うことだから~』で一笑に付すのは、子どもの可能性を潰していると、私は思う。
子どもは表現できる範囲が狭いだけで、まさに『小さい大人』なのだ。
親が子どもの意図を汲んで疑問を導けば、子どもの興味はぐんぐん広がり、もっと見識の高い人間になれると思う。
私の記憶では、例えば、1年生の算数だったか、『ここに赤いりんごが2つ、青いりんごが3つ、合わせていくつ?』という問題があった。
よくある文章題。
ここで私は、全部赤いりんごの時とは、答えが違うんじゃないかと思ってしまった
それで数日は迷いが出てしまったいきさつを思い出す。
大人はいろんな練習題として考えるが、まだその問題の初歩では子どもを却って戸惑わせている。
その戸惑いも体験としては必要だろう。
でも、戸惑い過ぎて算数嫌いになってしまう。
問題を解くだけでなく、子どもの閃きは無限だなぁと、自分の体験で思う‥。
あぁ、そんな時、そばにいるのが物識りな大人だったら、きっと私は今の私ではないだろう。
『子どもの言うことだから~』で一笑に付すのは、子どもの可能性を潰していると、私は思う。
子どもは表現できる範囲が狭いだけで、まさに『小さい大人』なのだ。
親が子どもの意図を汲んで疑問を導けば、子どもの興味はぐんぐん広がり、もっと見識の高い人間になれると思う。
私の記憶では、例えば、1年生の算数だったか、『ここに赤いりんごが2つ、青いりんごが3つ、合わせていくつ?』という問題があった。
よくある文章題。
ここで私は、全部赤いりんごの時とは、答えが違うんじゃないかと思ってしまった
それで数日は迷いが出てしまったいきさつを思い出す。
大人はいろんな練習題として考えるが、まだその問題の初歩では子どもを却って戸惑わせている。
その戸惑いも体験としては必要だろう。
でも、戸惑い過ぎて算数嫌いになってしまう。
問題を解くだけでなく、子どもの閃きは無限だなぁと、自分の体験で思う‥。