<新潟三越閉店>中心地の古町で百貨店ゼロ 売却先も未定
百貨店大手・三越伊勢丹ホールディングス(HD)は26日、子会社の新潟三越伊勢丹が新潟市中央区古町地区で運営する「新潟三越」の営業を、2020年3月22日に終了すると発表した。
人口減などに伴う売り上げ減に歯止めがかからず、同区万代地区のもう一つの中核店「新潟伊勢丹」に経営資源を集中する。
新潟市の中心市街地である古町では10年に大和新潟店が閉店。新潟三越の閉店で「街の顔」の百貨店がゼロになる。
古町では大和跡地で再開発が始まるなど、にぎわい再生に向けた取り組みが緒に就いたばかり。
まちづくり計画の練り直しなど、県都に甚大な影響を及ぼしそうだ。
「古町は魅力ある街だが大型百貨店を経営するにはきつかった。
苦渋の決断だ」--。新潟市中央区古町地区の一角で26日記者会見した新潟三越伊勢丹の星野圭二郎社長は、苦悩の表情を浮かべそう語った。
新潟三越は1907年に小林呉服店として創業。
ピーク期の96年度には250億円の売上高を誇り、繁華街古町のにぎわいをけん引した。
しかし郊外大型店との競争激化やインターネット通販の台頭、人口減のあおりを受けて、経営は徐々に悪化。
2008年には三越伊勢丹HDの発足でライバルで業績が堅調な万代地区の新潟伊勢丹の兄弟店となったことも、存在感低下に拍車をかけた。
一般的に百貨店は50万人商圏で1店の経営が成り立つとされ、人口80万人の新潟市は「百貨店過多」(大手行幹部)。
新潟三越の先行きに危機感を抱いた三越伊勢丹HDは昨年度から本格的に「構造改革」に着手し、経費削減のための定休日の導入など「できることは最大限やり、あらゆる選択肢の検討を行った」。
現場も三越を存続させようと丁寧な接客に努めるなどした結果、贈答品などを扱う1階や食料品売り場の地下1階で一定のにぎわいを維持してきた。
しかし稼ぎ頭の衣料品などは閑古鳥のままで、ここ数年は数億円の赤字が続いていたという。
改装投資の余裕もなく星野社長は「県内唯一の百貨店として地域にご愛顧いただける企業にするには今(閉店)だと思った」と決断の理由を語った。
一方、星野社長は新潟三越の閉店を「企業としての新しいスタート」と位置づける。
今後はより広域でセールス活動を行うため、近いうちに新潟市中央区の西側にサテライト店舗をつくる予定という。
万代の新潟伊勢丹でも新事業に取り組む方針で、星野社長は「三越の閉店は残念だったが間違った選択じゃないと言えるようにしたい」と意気込みを語った。
新潟三越跡地は売却予定だが、売却先は決まっていない。
新潟・古町ではにぎわい再生の取り組みが緒に就いたばかりだっただけに、新潟三越営業終了の知らせは行政や地域に衝撃を走らせた。
人口減の中、三越なき後の古町をどうしていくかは、来月行われる新潟市長選の争点にも浮上しそうだ。
「閉店は信じられない。
周辺は週末の夜でもあまりにぎわっている様子もなく、古町のこれからが心配です」。
26日、新潟三越近くに住む主婦の田中栄子さん(58)は心細そうにそう述べた。
北前船の寄港地として栄え、昭和初期には新橋(東京)、祇園(京都)と並ぶ日本3大花街と呼ばれた古町。
1964年の新潟地震で一帯が焼け野原となった時も即座に復興し、県内随一の繁華街であり続けた。
そのにぎわいをけん引したのが、新潟三越、大和新潟店といった百貨店。
休日は周辺商店街を含む一帯が人であふれた。
しかし70年代、万代周辺に大型の商業施設が相次ぎオープンしたことで、古町の地位は揺らぎ始めた。
老舗が幅をきかせる古町に対し万代には流行の新店が続々と開業。
84年にはファッションに強い伊勢丹が進出し、多くの若者らが万代に流れた。
郊外にも大型商業施設が続々と開業。
それらのあおりで古町からにぎわいが失われ、2010年に大和新潟店、16年にはラフォーレ原宿・新潟が営業を終了。
地下商店街の「西堀ローサ」でも退店が相次ぎ、残る大型商業施設は新潟三越のみとなっていた。
古町の先行きを危惧した新潟市は17年、中央区役所をかつてラフォーレが入居していた高層ビル「NEXT21」に移転。今年2月には大和跡地で再開発ビルが着工した。
古町通の各商店街も週末イベントを積極的に展開するなどした結果、一帯の地価が上昇に転じるなど、復活への兆しが見え始めていた。
その矢先での新潟三越の閉店発表。新潟商工会議所の福田勝之会頭は「古町地区において、核の一つである新潟三越の撤退は大きな痛手」とコメントした。
篠田昭市長も「覚悟していたことが起きた」とうなだれた。
◇新潟・古町地区と新潟三越の歴史
1907年 新潟市中央区本町で小林呉服店(現新潟三越)創業
昭和初期ごろ 古町が新橋(東京)、祇園(京都)と並ぶ3大花街として栄える
1936年 小林呉服店が小林百貨店に改称、現在地に移転
1937年 万代百貨店(後の大和新潟店)開業
1976年 地下街「西堀ローサ」開業
1980年 小林百貨店が新潟三越百貨店に社名変更
1994年 高層ビル「NEXT21」全面開業。ラフォーレ原宿・新潟が核テナントに
2010年 大和新潟店が営業終了
2016年 ラフォーレ原宿・新潟が営業終了
2017年 NEXT21に中央区役所が移転
2018年 大和跡地で再開発ビル着工
2020年 新潟三越が営業終了
☆
50万都市で1件程度で成り立つのでは...町中では駐車場が無い、面倒、買い物は車なので一杯に...車は重くない。ひき換え、バァさんの買い物は手荷物程度なので少額。
当然の成り行き、さらにネット通販でわざわざ出かける必要もなし。
当地にも2店のデパートが町中にあったが1店は既に閉店、残った1店も江戸時代からの創業一族も追い出されファンドみたいな経営となった。
何れは、これも無くなるだろう。
百貨店大手・三越伊勢丹ホールディングス(HD)は26日、子会社の新潟三越伊勢丹が新潟市中央区古町地区で運営する「新潟三越」の営業を、2020年3月22日に終了すると発表した。
人口減などに伴う売り上げ減に歯止めがかからず、同区万代地区のもう一つの中核店「新潟伊勢丹」に経営資源を集中する。
新潟市の中心市街地である古町では10年に大和新潟店が閉店。新潟三越の閉店で「街の顔」の百貨店がゼロになる。
古町では大和跡地で再開発が始まるなど、にぎわい再生に向けた取り組みが緒に就いたばかり。
まちづくり計画の練り直しなど、県都に甚大な影響を及ぼしそうだ。
「古町は魅力ある街だが大型百貨店を経営するにはきつかった。
苦渋の決断だ」--。新潟市中央区古町地区の一角で26日記者会見した新潟三越伊勢丹の星野圭二郎社長は、苦悩の表情を浮かべそう語った。
新潟三越は1907年に小林呉服店として創業。
ピーク期の96年度には250億円の売上高を誇り、繁華街古町のにぎわいをけん引した。
しかし郊外大型店との競争激化やインターネット通販の台頭、人口減のあおりを受けて、経営は徐々に悪化。
2008年には三越伊勢丹HDの発足でライバルで業績が堅調な万代地区の新潟伊勢丹の兄弟店となったことも、存在感低下に拍車をかけた。
一般的に百貨店は50万人商圏で1店の経営が成り立つとされ、人口80万人の新潟市は「百貨店過多」(大手行幹部)。
新潟三越の先行きに危機感を抱いた三越伊勢丹HDは昨年度から本格的に「構造改革」に着手し、経費削減のための定休日の導入など「できることは最大限やり、あらゆる選択肢の検討を行った」。
現場も三越を存続させようと丁寧な接客に努めるなどした結果、贈答品などを扱う1階や食料品売り場の地下1階で一定のにぎわいを維持してきた。
しかし稼ぎ頭の衣料品などは閑古鳥のままで、ここ数年は数億円の赤字が続いていたという。
改装投資の余裕もなく星野社長は「県内唯一の百貨店として地域にご愛顧いただける企業にするには今(閉店)だと思った」と決断の理由を語った。
一方、星野社長は新潟三越の閉店を「企業としての新しいスタート」と位置づける。
今後はより広域でセールス活動を行うため、近いうちに新潟市中央区の西側にサテライト店舗をつくる予定という。
万代の新潟伊勢丹でも新事業に取り組む方針で、星野社長は「三越の閉店は残念だったが間違った選択じゃないと言えるようにしたい」と意気込みを語った。
新潟三越跡地は売却予定だが、売却先は決まっていない。
新潟・古町ではにぎわい再生の取り組みが緒に就いたばかりだっただけに、新潟三越営業終了の知らせは行政や地域に衝撃を走らせた。
人口減の中、三越なき後の古町をどうしていくかは、来月行われる新潟市長選の争点にも浮上しそうだ。
「閉店は信じられない。
周辺は週末の夜でもあまりにぎわっている様子もなく、古町のこれからが心配です」。
26日、新潟三越近くに住む主婦の田中栄子さん(58)は心細そうにそう述べた。
北前船の寄港地として栄え、昭和初期には新橋(東京)、祇園(京都)と並ぶ日本3大花街と呼ばれた古町。
1964年の新潟地震で一帯が焼け野原となった時も即座に復興し、県内随一の繁華街であり続けた。
そのにぎわいをけん引したのが、新潟三越、大和新潟店といった百貨店。
休日は周辺商店街を含む一帯が人であふれた。
しかし70年代、万代周辺に大型の商業施設が相次ぎオープンしたことで、古町の地位は揺らぎ始めた。
老舗が幅をきかせる古町に対し万代には流行の新店が続々と開業。
84年にはファッションに強い伊勢丹が進出し、多くの若者らが万代に流れた。
郊外にも大型商業施設が続々と開業。
それらのあおりで古町からにぎわいが失われ、2010年に大和新潟店、16年にはラフォーレ原宿・新潟が営業を終了。
地下商店街の「西堀ローサ」でも退店が相次ぎ、残る大型商業施設は新潟三越のみとなっていた。
古町の先行きを危惧した新潟市は17年、中央区役所をかつてラフォーレが入居していた高層ビル「NEXT21」に移転。今年2月には大和跡地で再開発ビルが着工した。
古町通の各商店街も週末イベントを積極的に展開するなどした結果、一帯の地価が上昇に転じるなど、復活への兆しが見え始めていた。
その矢先での新潟三越の閉店発表。新潟商工会議所の福田勝之会頭は「古町地区において、核の一つである新潟三越の撤退は大きな痛手」とコメントした。
篠田昭市長も「覚悟していたことが起きた」とうなだれた。
◇新潟・古町地区と新潟三越の歴史
1907年 新潟市中央区本町で小林呉服店(現新潟三越)創業
昭和初期ごろ 古町が新橋(東京)、祇園(京都)と並ぶ3大花街として栄える
1936年 小林呉服店が小林百貨店に改称、現在地に移転
1937年 万代百貨店(後の大和新潟店)開業
1976年 地下街「西堀ローサ」開業
1980年 小林百貨店が新潟三越百貨店に社名変更
1994年 高層ビル「NEXT21」全面開業。ラフォーレ原宿・新潟が核テナントに
2010年 大和新潟店が営業終了
2016年 ラフォーレ原宿・新潟が営業終了
2017年 NEXT21に中央区役所が移転
2018年 大和跡地で再開発ビル着工
2020年 新潟三越が営業終了
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50万都市で1件程度で成り立つのでは...町中では駐車場が無い、面倒、買い物は車なので一杯に...車は重くない。ひき換え、バァさんの買い物は手荷物程度なので少額。
当然の成り行き、さらにネット通販でわざわざ出かける必要もなし。
当地にも2店のデパートが町中にあったが1店は既に閉店、残った1店も江戸時代からの創業一族も追い出されファンドみたいな経営となった。
何れは、これも無くなるだろう。