白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

自由律俳句──二〇一七年五月三十一日(3)

2017年06月04日 | 日記・エッセイ・コラム

急速に忘れられて行きつつある被曝体験。しかし、なぜそれを忘れることができるのか、という問題は依然として残されたままだ。ジジェクはこう述べている。

「問題は、(パニックをあおる主張に反対する人たちのいうような)事実の不確実性にあるのではない。この問題に関するデータにもかかわらず、それが実際に起こる可能性をわれわれが信じられない、ということにあるからだ。窓の外をみてごらん、そこには依然として緑の葉と青い空がある、生活は続き、自然のリズムは狂っていない──というふうに。チェルノブイリ事故の恐ろしさはここにある」(ジジェク「大義を忘れるな・P.680」青土社)

「事故現場を訪れると、墓石がある以外、その土地は以前とまったく変わらないようにみえる。すべてを以前の状態のまま残して、人々の生活だけが現場から立ち去ってしまったようにみえる。それにもかかわらず、われわれは何かがとてつもなくおかしいということを意識している。変化は、目に見える現実のレベルにあるのではない。変化はもっと根本的なものであり、それは現実の肌理そのものに影響する。チェルノブイリの現場周辺に昔通り生活を営む農家がぽつんぽつんと数軒存在するのは、不思議ではない。そう、彼らは単に放射能に関するわけのわからない話を無視しているのである」(ジジェク「大義を忘れるな・P.680」青土社)

「この状況を通じてわれわれが直面するのは、きわめて根源的な形で現れた、現代の『選択社会』の袋小路である。通常の、強いられた選択の状況では、私は、正しい選択をするという条件のもとで自由に選択する。そのため私にできる唯一のことは、押し付けられたことを自由に遂行するようにふるまうという空疎な身振りである。しかし、ここではそれとは逆に、選択は実際に自由《であり》それゆえにいっそう苛立たしいものとして経験される。われわれは、われわれの生活に根本的に影響する問題について決断しなければならない立場につねに身を置きながら、認識の基盤となるものを欠いているのである」(ジジェク「大義を忘れるな・P.680」青土社)

事実を受け入れないというわけではない。むしろ事実は「覆い隠されている」と言ったほうが的を得ている。

「超自我とは何か。プリモ・レーヴィやその他のホロコーストからの生還者たちがつねに喚起していることだが、自分が生き残ったことに対する生還者自身の心の内奥での反応に深い裂け目が入っているという奇妙な事実を思い起こそう」(ジジェク「大義を忘れるな・P.512」青土社)

「生還者たちは、意識のレベルでは、自分たちが生き残ったのは無意識な偶然であること、生き残ったことに対して自分たちは何の責任もないこと、唯一罪のある加害者は拷問を行ったナチであること、こうしたことを十分にわかっていた。しかしこれと同時に、ホロコーストからの生還者たちは、『理不尽な』罪の意識に(執拗に、と言ってもよいほどに)とり憑かれており、あたかも、ナチスの犠牲になった人々のおかげで自分たちは生き延びたのであり、したがって生き延びた者は犠牲者の死に対して何らかの責任があるかのようなのだ。よく知られているように、こうした耐えがたい罪の意識は生還者たちを自殺に追いやった」(ジジェク「大義を忘れるな・P.512」青土社)

「この罪の意識は、超自我という審級の最も純粋な姿を示している。つまり超自我とは、われわれを自己破壊というらせん運動に陥らせる非道な審級なのだ。これが意味しているのは次のようなことである。すなわち、われわれを人間として構成している恐怖の原因、人間であることの核心にある非人間的なもの、ドイツ観念論において否定性と呼ばれている次元、フロイトの言う死の欲動、こうしたものをぼかして目立たなくすることがまさに超自我の機能である、ということなのだ。超自我は、昇華による保護のおかげでわれわれが直面しなくてすむ<現実的なもの>(リアル)というトラウマ的な固い核であるどころか、<現実的なもの>(リアル)を隠す覆いなのである」(ジジェク「大義を忘れるな・P.512」青土社)

ジジェクの論考はここで、フロイトの発見による「超自我」をマルクスの発見による「貨幣」の役割と重ね合わせて読むことを可能にしている。

スターリニズムに対する逆説についてはこう述べている。

「スターリン主義には限界がある。それは、スターリン主義はあまりに不道徳である、ということではない。そうではなく、スターリン主義は《あまりに道徳的》であり、依然として大きな<他者>という形象に依存している、ということである」(ジジェク「大義を忘れるな・P.337」青土社)