二〇一七年六月六日作。
(1)五万の幟が中東の空を突き刺す
(2)育まれた靴の精度を測る
(3)伸び切った襟で道端
(4)死んだ肌着をたたんで置く
(5)正しく夕焼けの稜線
☞第二十三代ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス・アウグストゥス。太陽神=ヘリオスの忠実な信仰者であった。ゆえに通称=ヘリオガバルス。治世者としては「極端」だとしてたいていの歴史書では最悪の取り扱い方をされている。「極端」とはいえ、ではどのように「極端」だったのか。ずっと後の世になって誕生した言葉が的を得ている。「アナーキズム」だ。
「そもそもユリア・ドムナがいなければ、ヘリオガバルスはいなかったことだろうが、しかし女が男らしくあろうとし、しかも男が女性的な外観をまとおうとするこの王権と聖職との男色的合金がなければ、驚異と知性を注入されたユリア・ドムナの王としての女らしさは、ローマ帝国の玉座の上で輝くことなど思いもよらなかっただろうと私は思う」(アルトー「ヘリオガバルス あるいは戴冠せるアナーキスト・P.50」河出文庫)
引用していこう。しかし引用の手順は常に既に引用する側のイデオロギーを示さないわけにはいかない。
「外的な状況が必要であったし、彼女は女主人でなければならなかった。そういったことすべてがひとつになって一個の怪物をつくり上げるのであり、その怪物は皇帝を戦争に駆り立てるが、しかしいったん戦いから遠ざけられると、まるで祈祷師や魔法使いを生み出すように、彼女のまわりに詩人たちを生み出すのである」(アルトー「ヘリオガバルス あるいは戴冠せるアナーキスト・P.50~51」河出文庫)
「ホムスの町はといえば、エメサが臭かったように町は悪臭を放っている、というのも情事、肉、糞など、すべてが野ざらしになっているからである。しかも儀式のための場が他の場のすぐそばにあったように、便所の近くに菓子屋がある。これらすべてが叫び、溢れ出し、性交し、われわれが唾を吐くように毒と精液を投げ捨てる。路地では、アスエロスの彫像ならそうであったに違いないように、大股で調子よく歩きながら、商人たちはホムスで一本調子に声を上げている、エメサで、本物の競りをやるみたいに、店の前で彼らが一本調子に声を上げていたように」(アルトー「ヘリオガバルス あるいは戴冠せるアナーキスト・P.57」河出文庫)
「彼らは福音書に出てくるあれらの長い寛衣を着て、ひどい臭気のなかをせわしなく動き回っている、東洋の軽業師か道化師のように。そして彼らの前を、だが二一一年のことだが、奴隷や貴族でごちゃ混ぜの群衆が通り過ぎる、そして彼らの頭上の、町の高台では、太陽神の千古の神殿の燃えるような城壁が輝いている」(アルトー「ヘリオガバルス あるいは戴冠せるアナーキスト・P.57~58」河出文庫)
「偉大なる生贄執行官が大禿鷹の喉を熱狂的にかき切り、その血を飲むまさにその瞬間、片目の男たちによって食料の奈落に投げ込まれた金塊は、エジプトの神官たちが伝えた儀式に則った、感情から形態への、また形態から感情への錬金術的変容の観念に呼応するのである」(アルトー「ヘリオガバルス あるいは戴冠せるアナーキスト・P.61」河出文庫)
「しかし流された血と形態の物質的変容というこの観念には、浄めの観念が呼応する。祭司にとっては、直接的にして個人的な享楽の感情のすべてから獲得した利益を孤立させることが問題である。そしてこの炸裂、このすばやい熱狂の爆発が、物質の余分の負担なしに、彼らがそこから出てきた諸原理に戻ることができるということが問題なのである」(アルトー「ヘリオ
「それ故にこれらの無数の部屋は、ひとつの行動またはひとつの単なる身振りにさえ捧げられていて、その神殿の地下道、その蠢く内臓は詰め物のようなものだったということになる」(アルトー「ヘリオガバルス あるいは戴冠せるアナーキスト・P.61~62」河出文庫)
どのように「読む」か、あるいはどのように「読まない」か。それもまた読み手の側のイデオロギーに依存する他ないのだが。
「禊の儀式、放棄と方向転換と没収の儀式、完全にしてあらゆる意味で裸性の儀式、腐蝕性の力と野生の猪の出現に対応する太陽の思いがけない跳躍の儀式、アルプスの狼の憤怒の儀式と牡羊の頑固さの儀式、なまぬるい熱の発散の儀式と、男性原理が蛇に対して勝利を画する時代の太陽の大炸裂音の儀式。これらすべての儀式が、一万の部屋を通して、毎日、あるいは月ごとに、あるいは二年ごとに呼応し合う。──それらはひとつの寛衣からひとつの身振りへ、ひとつの歩みからひとつの血の噴出へと呼応し合うのである」(アルトー「ヘリオガバルス あるいは戴冠せるアナーキスト・P.62」河出文庫)
「旋回し、様々な寛衣をまとった一個の男根が、太陽信仰のもつ黒い部分を強調しているとすれば、太陽の観念を地下へと導く騒がしい諸層は、物理的な手段で、それらの罠と鋭利な魅力によって、限りなく暗い観念の世界を実現しているのだが、性の通常の歴史はその外装にすぎないのである」(アルトー「ヘリオガバルス あるいは戴冠せるアナーキスト・P.62~63」河出文庫)