「どんな音楽を聴くの?」
2回目のデートの後半くらいに顔を出すセリフだ。
そら,来た。と思いながら,僕はかねてから,だれかに一度尋ねてみたいと思っているせりふを飲み込む。
「いったい人はどうやって,自分の好きな音楽を決めるのだろうね。」と。
もちろん,今まで一度だってそんふうに言ったことないけれどね。
なにしろまだ2回目のデートの後半だから。日が浅いんだよ。
もちろん1年付き合ったとしても,そんなこと訊かないけれど。
だってみんなは,「人には好きな音楽があるものだ」って信じきってるから。
とにかく僕はそんなとき,こういう風に逃げることに決めている。
「ねえ,君はどんな音楽を聴くの?」
帰ってくる答えはいろいろ。
ビートルズ,サザン,コルトレーン,ハナレグミ,モーツァルト,エンヤ,福山雅治,サイモン&ガーファンクル,フィルコリンズ,ELT,アヴリル・ラヴィーン,中島みゆき,チャクラ,などなど。
ねえ,「チャクラ」なんてグループを知ってるかい?日本人のグループだよ。僕? 僕は彼らのアルバムを2枚持っている。しかも一枚はアナログのLPだよ。どんなって?「福の種を蒔こう~」なんて歌ってるのさ。
僕が好きなんじゃないんだ。僕は今まで一度もだれかの,特定の音楽を好きになったりしたことはない。僕が好きになったのは,「チャクラが好きだった女の子」なんだ。
「おまえはどうしてそんなに節操がないんだ。」
高校の同級生だった長尾ちゃんの顔が浮かぶ。
「なぜ,ハマショーの次がプラスティックスなんだ。おまえには主義,主張,男の意地というものがないのか。」
「音楽に主義主張は持ち込まないんだ」さらりとかわしたつもりだったけれど,本当はオフコース命の長尾ちゃんがうらやましくもあった。
そんなわけで,僕は「誰かが好きな音楽」をとても丁寧に聴く。どんなアーティストだって,デモテープだって,その子のために一曲一曲真摯に聴く。小さな女の子の髪を梳くみたいにね。それに僕は,音楽のジャンルで人をジャンル分けしたりしないんだ。なにしろ好き嫌いがないからね。
だから,僕は「その音楽」とも「その音楽を好きな誰か」ともうまくやっていくことができる。自分のお気に入りの音楽を好きになる男を,乙女は邪険に扱ったりしないものだからね。
そうして時はうまく流れていく。ちょうど11回目のデートくらいまではね。
12回目のデートの時,彼女は白いバスタオルで上手に体を隠しながらもう一度僕に質問する。
「ねえ,あなたはどんな音楽を聴くの?」
僕は嘘をつく。そうしていつも失敗する。僕はついこの間まで,心を込めて聴いていた曲の話をする。お察しの通り,それは前の彼女がとても愛していたアーティストであり,曲である。そうして僕の話は,なぜか完全に,今の彼女を怒らせることになっている。 不思議だ。
男の意地がないからだろうか?
ところで,
名刺があと1枚です。