阿部ブログ

日々思うこと

安部首相のトルコ訪問

2013年05月04日 | トルコ
安部首相が、トルコを訪問した。
当ブログで既報の通り、トルコでは開発案件が目白押しだ↓
 
イスタンブール=アンカラ高速鉄道とボスポラス第3橋

イスタンブール西部開発と第三空港プロジェクト

レジェプ・タイイプ・エルドアン首相は、2020年オリンピックに関して、安部首相に「オリンピック招致を辞退してください(笑)」と発言しているが、その通りで2020年のオリンピックはトルコでの開催が望ましい。

何せ、東京は福島第一原発事故で高度に放射能に汚染されており、今後も巨大地震の発生懸念は増すことはあれ減ることは無く、むしろ富士山の噴火や東海=東南海=南海地震の脅威が増している。

諄いが、2020年のオリンピックはイスタンブールで良いではないか。

火はわが胸中にあり~竹橋事件、近衛砲兵大隊蜂起~

2013年05月04日 | 台湾
2.26事件物で著名な澤地久枝女史の『火はわが胸中にあり 忘れられた近衛兵士の反乱 竹橋事件』を読了した。

兵隊だったので、身に沁みた。さぞかし西南の役は過酷だったろう。
俺は小兵だが、曾爺さんは巨漢で、日露戦争の時は、砲兵として従軍して勲章を拝受している。今で言う185センチを超えていたようだ。まあ、そうでなくては砲兵にはなれないな。勲章は実際にお婆さんに見せてもらった。

近衛兵の兵役が5年とは知らなかったし、既に徴兵されている部隊から抽出されてからの勤務が5年なのだから、たまったもんじゃない。退役後の給金もないのだから尚更だ。若い身での兵営生活は辛いね。徴兵は不公平なので、憤懣やるかたない想いは重々理解できるし、徴兵と雖も金があれば拒否できるのだ。当時にして270円を国に支払うと徴兵されない。当然の事ながら貧乏人の倅が徴集され、過酷な戦場経験をすることとなる。

                            

読了後、思った事は、三添卯之助、死ね!と言う事と、東京鎮台予備砲兵大隊長・岡本柳之助中佐は、アナキストの大杉栄・伊藤野枝、大杉の甥・橘宗一の3名を殺害したとされる憲兵大尉・甘粕正彦と同じと言う事。

甘粕は大杉を殺していないし、岡本も人を直接には殺めていない。そう彼らは自らの手を汚していない。
竹橋事件後から16年経った岡本は、朝鮮国軍兼宮内府の顧問官の地位を得、朝鮮王朝の不穏な動きを封じ、首班の閔妃などを制圧した部隊を率いたのは岡本であった。甘粕大尉も満州帝国で同様の役割を果たしたのではないか? いや、岡本以上だったろうが...

世界ユダヤ人会議開催~バチカンとスコットランド国教会~

2013年05月04日 | イスラエル
今日から、ハンガリーにて世界ユダヤ人会議が開催。ヘブライ語でכל ישראל ערבים זה לזה
会議の標語は上記の通り、全てのユダヤ人はお互いに責任を負う、だ。
本部はニューヨークで議長は、ロナルド・S・ローダー氏だ。議長はアートコレクターで有名。

同会議の開催前の5月1日には、ペレス大統領がバチカンを訪問している。
イスラエルの大統領は、ローマ法王に「あなたが何をしても、どこへ行っても、栄える」(I列王記2:3)と刻印された旧約聖書を贈呈している。新法王にエルサレム訪問を提案したイスラエル大統領の提案を、法王は受諾している。画期的な事だ。

反面、イギリス連邦王国からの独立問題が熱いスコットランドの国教会が、約束の地に関するユダヤ人の歴史的権利を全面否定する報告書を発行している。同報告書によれば、神により特定の人に特定の土地への権利が与えられることはないとの主張してる。親ユダヤのスコットランド国教会に何があったのか? 実に興味深い。 

近衛第一歩兵聯隊の碑

2013年05月04日 | 日記
近衛歩兵第一聯隊は、北の丸公園に位置していた。その碑がある。
      
                           近衛歩兵第1連隊跡記念碑
                             
近衛歩兵第一聯隊は、日本陸軍最初の歩兵聯隊として創設され、明治七年(一八七四)一月二十三日、明治天皇より軍旗を親授せられて以来、昭和二十年(一九四五)大東亜戦争終末に至るまで、七十一年余りの間この地に駐屯して、日夜皇居の守護に任じ、大正天皇 今上天皇も皇太子であらせられたとき、それぞれ十年の長きに亘り御在隊遊ばされた名誉ある聯隊である。
西南・日清・日露の各戦役及び日華事変には、軍に従って出征して輝かしい勲功を樹て、大東亜戦争に於いては、帝都防衛の一翼を担った。
近衛兵には、毎年の徴兵検査で全国から厳選された優秀な壮丁を以て充てられていた。

昭和四十二年一月二十三日
全国近歩一会

                         
帽章の碑の両横には全国近歩一会の方々の銘板が両側に貼り付けてある。それがコレだ。
                          

近衛歩兵第一聯隊跡の碑の裏にも銘板がある。
                           

近衛第一歩兵聯隊の歴史を知りたければ近代デジタルライブラリーが参考になる。


近衛師団司令部~現在は、国立近代美術館工芸館~

2013年05月04日 | 日記
北の丸公園にある東京国立近代美術館工芸館は、近衛師団司令部だった建物で、新進気鋭の陸軍技師・田村鎮の設計により明治43年に落成した。

    

近衛師団は、陸軍最古参の部隊として天皇と皇居を警衛する「禁闕守護」の責を果たし、また儀仗部隊として「鳳輦供奉」の任にあたる枢要な部隊司令部に相応しい威厳ある建築である。様式はゴシック風で、延べ床面積は1860㎡。赤煉瓦と白の花崗岩の組み合わせが見事だ。

             

この近衛師団司令部を有名にしているのは、やはり昭和20年8月15日に起こった森赳師団長惨殺事件だ。森師団長は、2階の師団長室で殺害されている。敗戦の日における軍部の動きは興味深いものがあるが、殊、近衛師団長惨殺事件など8.15における皇族・軍人などの動きを含め極めて興味深い見解を示しているのは、下記の鬼塚英昭氏の「日本のいちばん醜い日」だ。是非とも一読をお勧めする。
 →日本のいちばん醜い日
      
敗戦により近衛師団は解散したが、師団司令部はその後、皇宮警察の寮として利用され、兵舎は東京学生会館として利用されていた。昭和38年、北の丸地区再開発により近衛師団や連隊兵舎等の建物群が撤去され、現在の北の丸公園として整備された。
                        

昭和39年4月には、国立公文書館、国立近代美術館、科学博物館などが建設される事になり、近衛師団司令部も解体される運命にあったが、近衛連隊の戦友会が中心となって明治期における洋風建築の歴史的遺構としての保存運動が沸き起こった。この影響もあり近衛師団司令部は、国の重要文化財の指定を受ける事になり、破壊を免れた。
その後、東京国立近代美術館工芸館として、文化庁建造物課の監理のもと昭和52年11月に改修が終了し、同年11月15日に正式に開館し現在に至っている。今、工芸館では「所蔵作品展 花咲く工芸 Blooming Crafts: Modern Crafts from the Museum Collection」が開催されている。入館料は大人200円なので、一度、旧近衛師団司令部を訪ねるのも良いのではないか。

それと師団司令部の基礎部分に注目。京都の安部晴明神社で見た五芒星だ。
                            
何でも近衛兵の軍帽につく帽章が由来のようだが、帽章の由来はユダヤ教?と思ってしまうのも無理はないだろう。明治期から戦前にかけて日猶同祖論(日本=ユダヤ同祖論)が蔓延ったからだ。私見ながら皇国史観と日猶同祖論は、それこそ同祖だと思う。